社畜魔法使いは獣人彼氏に甘やかされる

山吹花月

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前編

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「よし! 終わった!」
 テーブルいっぱいに広がった薬草染めの紙が数十枚。
 そのすべてに精緻な図形が描かれている。
 急ぎで依頼された魔法陣の製図。
 通常ならば今回の指定期間の倍は時間が必要な量だが、報酬を3倍払うという先方の申し出があり引き受けることにした。
 魔法という特殊技能を持っていたとしても、貴族という地位がなければ下請け業者となんら変わらない。
 自身が貴族の家柄であれば、王族などの地位ある人間に仕えることができ、平民十人が束になってもかなわない額の給金が貰える。
 逆になんの富も権力も持たない平民ならば、どんなに魔法使いとしての実力が優れていようとも下働き以上の地位を得ることは難しく、稼ぎも非魔法使いと大差ない。
 平民魔法使いの仕事と言えば、火起こしや灯りなど、日常生活で使用する生活魔法石の作成。荷物の重さを軽減や、移動速度を早くするといった生活を便利にする魔法を誰でも発動できる魔法陣の製図。日用魔法の制作が主な仕事だ。
 リセリアもそのうちのひとり。
 生まれが平民というだけで、優秀な魔法使いだというのに日々依頼される魔法陣の製図を細々と作り続ける日々。
 18歳で初めて就職した工房は理不尽と圧力が蔓延はびこる生き地獄。
 加えて人ひとりがどうにか生き延びることが出来る程度の安い給金。
 耐えかね独立し、地道に続けて早4年。
 運良く人に恵まれお得意様もいくつか出来た。
 おひとりさまを楽しむ余裕はあるくらいには稼がせてもらっている。
 今回の特別依頼はお得意様のひとり。
 良くしてもらっているので可能な限り引き受けようと常々思っている。
 やってやれないこともない量。
 これまでも同等の条件をこなしたことはある。
 ただ、生活のすべてをこの仕事に注がなければ到底間に合わない。
 いつもなら家は散らかり放題、食生活も乱れお肌は荒れ狂い、目も当てらない惨状になっただろう。
 だが今回は違う。
 清潔な衣服、塵ひとつない床、栄養満点の料理たちに修羅場とは思えない程つやつやと潤った肌。
「あ、終わったんだね。お疲れ様」
 キッチンからティーカップを持った男が出てくる。
 桃色のくせっ毛と、腰からふくらはぎまでしなやかに伸びた尻尾を揺らしながら、笑顔でリセリアに近付く。
「うん、あとは送るだけ」
 真っ白な紙にペンを走らせ蝶を描く。
 みるみる浮き上がり具現化したそれに、完成したばかりの製図を託す。
 人差し指で触覚に触れたのを合図に、蝶は優雅に依頼人の元へ飛び去って行った。
「やっと完了だあ」
 大きな溜息と共にソファへ倒れ込む。
「頑張ったね、リセさん」
 紙の山が消え広くなったテーブルに男がハーブティーを置く。
「カイジュが家事全部やってくれたおかげだよ」
 リセリアは隣に座ったカイジュの肩へ頭を預ける。
 嬉しそうに彼の尻尾が振れ、頭上にあるふたつの耳がぴんと立つ。
 掃除洗濯食事の準備から果ては作業に没頭しているリセリアのスキンケアまで。
 家事どころか介護と言っていい程にカイジュはリセリアに甲斐甲斐しく世話をした。
「好きでやってるから」
 その言葉通り家事全般はカイジュの特技であり趣味である。
 とは言うものの、彼に負担をかけているのでは、と心配になり家事をこなすカイジュをこっそり覗き見たことがある。
 なにをするにも鼻歌交じりで、愉快に揺れる尻尾から楽しんでいることが見て取れた。
「それでも、ありがとう」
 感謝を伝えると彼の尻尾が揺れた。
 楽しい時、幸せな時、穏やかにゆるく揺れる。
 ふわり、とリセリアの手の甲に彼の尻尾が乗せられた。
 さするようにわずかに動いている。
 柔らかくて滑らかな肌ざわり。
 思い切り撫で回したい衝動に駆られる。
 リセリアは彼の尻尾やふわふわの耳を撫でることが好きだった。
 カイジュ自身も彼女に触れられることを好ましく思っている。
 獣人とはいえ意志を持ったひとりの人間をペットのように可愛がるのは差別ではないか、とリセリアは思い切り撫でたい気持ちを我慢することが多い。
 そんな彼女の葛藤もカイジュはお見通しで、リセリアが触れやすいようにいつも自ら尻尾を差し出す。
 控えめに主張する尻尾をひと撫でして彼へ向き直り、大きな耳ごと頭をわしゃわしゃと撫で回す。
 ふわふわのくせっ毛が柔らかくて気持ちいい。
 嬉しそうに破顔したカイジュの口元から犬歯が覗く。
 目を伏せ、気持ちよさそうにリセリアに身を任せている。
 耳の付け根に指先を這わせ軽く掻いてやる。
 カイジュお気に入りの場所。
 撫でる手に頭を押し付け感触を堪能している。
 心地よかったようで、ほんのりと頬が上気し、とろんとした表情になってきた。
「待って」
 毛並みを堪能していた手が彼に取られ中断された。
「気持ち良くて寝ちゃいそう」
 潤みを増した瞳でカイジュが柔らかく笑う。
「寝てもいいよ」
 カイジュは撫でている最中に眠ってしまうこともある。
 撫でられれば誰でも絶対睡魔が襲うわけではない。
 リセリアの手だけは特別で、どうしてもリラックスして眠くなってしまうらしい。
 その寝顔が可愛くてついつい眺めていたら、起きて照れたカイジュに怒られるということが多々あった。
「今はだめ」
 カイジュの両腕がリセリアの背中と膝裏に回り、そのまま持ち上げられた。
 軽々彼の膝の上に乗せられる。
「頑張ったリセさんにご褒美あげなくちゃ」
 こめかみに彼の唇が触れる。
 長くて節張った指がリセリアの髪をなぞっていく。
 穏やかな刺激にやっと肩の力が抜けた心地がした。
 カイジュと出会った日も同じように優しく撫でてくれたことを思い出す。
 仕事がうまくいかず、自棄やけになって深夜のバルで酒をあおっていた時のこと。
 酩酊状態で歩くこともままならなくなったリセリアを介抱したのが、その店で働いていたカイジュだった。
 どうせよこしまな思惑があるのだろう、と斜に構え、と同時にどうにでもなれというヤケクソな気持ちで彼を自宅へ招いた。
 リセリアの予想に反し、カイジュが不誠実な行いをすることはなく、ただただ朝まで抱き締めて頭を撫で慰めるだけだった。
 大丈夫。リセさんは頑張ってるよ。大変だったね。
 囁かれる言葉たちに張り詰めていた緊張の糸が切れ、声を上げて泣いてしまったのは今となっては良い思い出だ。
 その後何度か会ううちに恋人関係に発展し、今では一緒に暮らしている。
 思い返しても恥ずかしくなるほど泣いたな、と照れてしまい頬が熱くなる。
「リセさん顔赤いよ?」
 彼の手の甲が頬に触れる。
 ひんやりとして火照った肌に気持ちがいい。
「ぁ、えっと……気が抜けて疲れが出てきたのかも」
 正直に話すのはなんとなく恥ずかしいのではぐらかしてみる。
「ん、そっか」
 カイジュは特に気にしていないようだ。
 彼の腕がリセリアの体を包んだ。
 優しく抱き寄せられた頭は彼の首元へと埋まる。
 頬に触れたカイジュの首筋から彼の匂いが鼻腔に広がる。
 ぽんぽん、と一定の感覚で触れられる。
 幼い子供をいつくしみ寝かしつけるような温かな手。
 密着した体から伝わる彼の鼓動。
 すべてがリセリアの疲労を溶かしていく。
 ふぁさり、と音を立てて尻尾がリセリアの足を撫でる。
 気持ちいい感触。
 もっと彼の毛並みを味わいたくて手を伸ばす。
 髪の毛と同じ桃色の長毛。
 長くしなやかな尻尾は、器用に先端だけを上下させてリセリアの手の甲をくすぐる。
 掴んでみたくなって手を上に向けると、ふわりと尻尾が乗せられた。
 ゆっくり握ってみる。
 動かずそのまま捕まると見せかけて、閉じる瞬間するりと逃げていく。
 再び手を開けば上に乗る。
 掴もうとして逃げられてを繰り返し、いつまで経っても捕まえさせてくれない。
「もう!」
 悔しくなって声を上げる。
「つい」
 悪戯っぽく笑うカイジュの表情は少し幼く見えた。
 親猫の尻尾であやされる子猫の気分だ。
「拗ねたリセさん可愛い」
 ちょっとだけ強めに抱き締められる。
 苦しくはないけど力強い抱擁。
 彼から求められている感覚が嬉しくて心地いい。
 すんすんと頭上で匂いを嗅ぐ音がする。
 髪へキスをしながら、カイジュがリセリアの香りを楽しんでいる。
 時折頬をすり寄せるような仕草。
 尻尾がぱたぱたと跳ね、とても嬉しそう。
 最近仕事ばかりでカイジュとのスキンシップが極端に減っていたことに気付く。
 もしかしたら我慢をさせていたのかもしれない。
 彼の表情を窺い見ると、とても嬉しそうに口元を綻ばせている。
「カイジュ」
 体を彼へまっすぐ向け頬を掌で包む。
「私が頑張れるのはカイジュのおかげ。ほんとにありがと。大好き」
 触れるだけのキスを送る。
 真正面から感謝と好意の言葉を伝えるのは気恥ずかしいが、彼の頑張りをたたえたい気持ちがまさった。
「っ……」
 目を見開いてぽかんとしていたカイジュの表情が、みるみる笑顔に変わり眩しく破顔する。
「そんな嬉しいこと言って、これ以上僕を惚れさせてどうするつもり?」
 鼻先へ彼の唇が寄せられる。
「僕もリセさんが大好きだよ。……ああ、もう!」
 力強く抱き寄せられる。
「今日は僕がリセさんを癒したいのに……。僕の欲しい言葉ばっかり、ずるい」
 喉元に彼の鼻先が埋まる。
 すん、と何度か匂いを堪能した後、触れるだけの軽やかなキスがいくつも落とされていく。
「いっつもそうやってさ、可愛いのにかっこいい事ばっかり言って僕を甘やかして……」
 ぶつぶつ言いながらもキスはまない。
 皮膚の薄い部分を柔らかい唇がかすめていく。
 呟くカイジュの吐息が肌をくすぐった。
 キスが首筋を登って耳朶へ辿り着いた。
 唇ではむはむと食みながら耳の輪郭がなぞられていく。
 もどかしい疼きがじりじりと湧いて、揺れそうになる腰を鎮めることに必死になる。
「っぅん……ッ」
 耳裏に添う濡れた感触に抗えず、上擦った吐息が洩れた。
 ちゅく、とわずかな水音を立てて舌と唇が肌を丹念に愛撫する。
 ひとつひとつ確かめるように唇で食んで、吸って。
 じれったいほどゆっくりとリセリアの肌を味わっていく。
 ひと通り耳を愛した彼の唇は、リセリアの背後へ移動する。
 髪で覆われていたうなじが露わにされ、慎重に寄せられた唇が触れ官能を刺激する。
「んっ、ぁ……」
 突如添った熱い舌の感触に甘い声が押し出される。
「ねえ、リセさん」
 指が絡められ、そのまま手の甲にキスをされる。
「たくさん気持ち良くするから、もっとリセさんに触ってもいい?」
 切実に、奥に劣情を宿したまっすぐな瞳で見つめられてしまったら、リセリアは頷くことしか出来なかった。
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