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しおりを挟む「ここにある魔石に触れると設定された温度の湯が……」
「へえ……」
急にイキイキと饒舌になる男にエリナは思わず後退った。
「湯を作るなら今一般的に流通してる生活魔法石でせいぜい料理に使う火で沸かすくらいだがこの魔石なら難なく大量の湯が準備できるんだ。ただその分コストがかかって価格が上がるからそこが今後の課題で……」
「そうなんだね……」
実に楽しそうに喋り続ける男を止めるのは忍びなくて、エリナはややしばらく男のご高説を浴び続けた。
「…………ってわけだ。すごいだろ?」
「す、すごいねえ」
体感二時間くらいに感じられた演説がようやく終わった。
内容はほぼ聞いていない。
「じ、じゃあ私は掃除するわね」
「待て」
突然男は低い声を出した。
反射的に振り返ると、はたきを持っていた手を掴まれる。
「やっぱりそんなにもたねえか」
男の視線を追って自身の手を見ると、指先がわずかに揺らいでいた。
昨日見た不可解な現象。
意識した途端、先端から冷たくなり体温が下がっていく。
さっと血の気が引いていく感覚はやはり気持ちが悪い。
「ほら、こっち向け」
返事を待たずに男はエリナの腰を抱き寄せた。
ためらいなく唇を重ねられる。
今度は目隠しをされていないので間近に男の顔がある。
意外と睫毛が長い、と他人事のように考えていると遠慮なく舌が割り込んできた。
分厚いざらつきが口内を探り、上顎をなぞられ思わず唇が開いてしまう。
「昨日と違って従順じゃん」
愉快げに笑う男に苛立ったが、感情とは裏腹に身体は男を受け入れる体勢になってしまう。
脱力した舌が絡め取られ丁寧に舐めあげられる。
表面を擦り合わされ、なめらかなざらつきの感触にじゅくりと官能が刺激された。
カラン、と鈍い鈴の音が聞こえて意識が引き戻される。
「っぅわ」
急になにかの布で頭からすっぽり覆われた。
「よお……ってまた女連れ込んでるのかよ、ユミト」
視界が塞がれる間際、入り口のドア付近に銀色の髪の男性が見えた。
おそらくその男性の声。
ユミトとはこのいけすかない黒髪男の名前なのだろう。
「見るな。減る」
ユミトは銀髪の男に不愛想に答えながらエリナの背中を押しやった。
状況がわからずされるがまま、エリナは店の奥の扉の向こうへ押し込まれた。
「減るってなんだよ」
「うるさい」
扉越しにわずかにふたりの声が聞こえるが、軽快に軽口をたたき合っていて気の置けない仲のようだ。
追いやられたということは自身のことを隠したいのだろう。
理由はわからないがひとまずユミトの意思に従うことにする。
押し込まれた部屋を見回した。
こじんまりとした書斎、という印象。
入り口の正面に大きな窓がある。
その手前に置かれた机と椅子以外は天井まである本棚が壁一面に備え付けられていた。
収まりきらずに床に積まれた本も少なくない。
することもないので椅子に腰掛け外を眺めた。
レンガ造りの建物が並び、街行く人は中世ヨーロッパの民族衣装のような衣服を身に着けている。
髪の色が金髪に近い明るい人が多い。
「街全体で大規模なコスプレしてるわけじゃないよね……」
昨晩見た本の異世界、渡り人、という言葉が現実味を帯びてくる。
突拍子もない話だと思いつつも、ここがエリナの生きていた世界とは別の場所だと仮定し思考を巡らせる。
ユミトの話と昨日読んだ本によると、渡り人であるらしいエリナはこの世界の人間の体液を摂取しないと消滅する。
指先から冷えて透けていく感覚を思い出して身震いした。
元の世界に戻る方法はあるのだろうか。
それ以前にそもそも帰りたいのか。
残業ばかりの仕事、親しい友人も家族もいない。
これといった生きがいや趣味があるわけでもない、惰性で生きているだけの毎日。
かと言って悲観しているわけでもないし、そもそも自分の人生にあまり興味が無いのだと気付く。
「…………なんにもない」
エリナはふっと鼻を鳴らす。
流されるまま、ただ生きているだけの人生を自嘲気味に笑ってやった。
この世界で生きていける保証はないが、心のどこかで未知の体験にわくわくしている自分がいた。
なにかに心躍るのはいつぶりだろう。
「まあ、いっか」
特に目的もなく生きていた頃よりは楽しくなりそうな予感がした。
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