「俺とセックスしないと、アンタ、消えるよ?」

山吹花月

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「終電間に合うとか最高……」

 エリナは無意識に呟いていた。

 金曜日の夜。

 酒を飲んでいるわけでもないのにふらふらとした足取りで改札を抜ける。

 俗に言うブラック企業に勤めているエリナの帰宅時間は終電を越えるのは当たり前、会社で寝泊りも日常茶飯事。

 そんな日々の中金曜日の夜、休日の前の夜に終電で帰宅できるということはほとんど奇跡に近かった。

「神様ぁ……」

 自宅最寄りの改札を出た時、思わず天に祈りを捧げていた。

 喜びのあまり目頭が熱くなるが、深夜の駅前でひとりにやにやしながら泣く女は不気味だな、と我に返りなんとか表情を引き締める。

「よし、絶対に楽しむ!」

 待ちに待った二連休。

 ひとつ大きな仕事を終えたエリナは週末は絶対に電話に出ないと会社に宣言してきていた。

「豪遊しちゃおっ!」

 社用の携帯電話の電源を早々に切り、コンビニへ飛び込む。

「今日は宴だあ!」

 嬉しさのあまり呟きながら次々と商品をカゴに入れる。

 アルコール、スナック菓子、高カロリー弁当、スイーツ。

 気になるものを片っ端からつっこみレジに向かうと、両手でやっと持ち上げられるかといった重量になっていた。

「買いすぎたかな……いや、いいのいの!」

 二連休に浮かれた足取りは軽く、スキップでもしそうな勢いで自宅へと向かう。

「……ん?」

 ふと路地が気になった。

 普段はほとんど通ることのない細い道。

「なんだろ……」

 路地の先、目を凝らすとうっすらと灯りが見えた。

 なぜかとても気になってしまい素通りができない。

 大荷物に構うことなく路地へ入った。

「雑貨屋さん?」

 辿り着いた灯りはどうやら店のライトだったようだ。

 アンティーク調のこじゃれた扉がふたつの灯りで照らされている。

“雑貨屋”と大雑把に書かれただけの板が掲げられていた。

 独特の雰囲気に惹かれ、荷物のことも忘れ扉を開く。

 が、次の瞬間エリナは唐突に浮遊感に襲われた。

 店の中へ踏み入れた足がどこかへ落ちてしまうような、逆に体全体が浮いて無重力空間のような、感じたことのないぐにゃぐにゃとした感覚に包まれる。

 めまいを起こしたのかもしれない、と考えつつも受け身を取る余裕はなく、硬く目を閉じ耐えることしかできなかった。




 がさがさとビニールが擦れるような音が遠くに聞こえた。

 次第にそれは大きくなり、エリナは勢いよく瞼を開いた。

 どこかに仰向けで横たわっている感覚。

 目の前には見慣れない飴色の天井が広がっていた。

「お? 起きたか?」

 少しかすれたような低音の声がした。

 首だけ動かして見ると、黒髪の男がなにかを頬張りながらもごもごと喋っている。

 見覚えのない顔。

 端正な造形ではあるが、人を見下したような高圧的な視線。

「アンタ誰?」

 エリナの思考と全く同じ質問をされる。

「あなたこそ誰ですか」

 まだ重だるい体を無理矢理起こして男を睨みつける。

 彼は両手になにかを持ち、ひたすらそれを口に運んでいる。

「あ! それ!」

 男が持っているものは見覚えのあるものばかり。

 つい先ほどエリナがコンビニで購入した宴用の酒や食べ物たちだった。

「意外といけるぞ」

 男は悪びれもなく言い瓶を豪快にあおった。

「っ! ちょっと……!」

 男の持っていた瓶はワインのボトル。

 最近コンビニで流行り始めていた少々リッチなワイン。

「五千円もしたんですけど!?」

 普段百五十円の缶チューハイしか飲まないエリナにとっては大奮発した酒だった。

「ゴセンエン?」

 瓶を空にした男が不思議そうな顔をする。

「それがなにかは知らねえが美味かったぞ」

 これみよがしに逆さにした瓶を見せつけられる。

「信じられない……っ」

 エリナの視界が急に揺らいだ。

 酸欠のような状態になり、咄嗟に手をつき体を支える。

 ここでようやく自身がソファに座っていることに気が付いた。

「急に大声出すからだろ」

 目の前の男は食べる手を止めることなくため息交じりに言った。

 エリナは室内を見渡す。

 ろうそくの灯りだけで照らされた部屋は薄暗い。

 鈍色のシャンデリアのような装飾が天井から垂れ下がり、年季の入った書物や宝石というよりは岩と言った方が近い鉱石などがごろごろ転がっている。

「え……どこ……」

「今更だな」

 その通りなのだが、この男に言われるとかちんときてしまう。

「アンタが俺の店の玄関で倒れてたんだよ。わざわざ寝かせてやったんだから感謝しろ」

「店……?」

 客商売をしているとは思えないほど雑多な室内に視線を巡らせる。

「うちは専門店なんだよ。小綺麗にして愛想振り撒く必要ねえの」

 エリナの思考を読んだかのように男が言う。

「……ご迷惑をおかけしました」

 いけすかない男だ、とは思いつつも助けてもらったことについては礼を言わなければならない。

「食べ物は全部差し上げますから」

 さっさと退散しようとソファーの脇に置いてあった自身の鞄に手を伸ばす。

「っ!」

 視界に映った自分の手を見てエリナは驚愕する。

「ぇ……」

 ほんのりと透けているように見える。

 なにかが付着したかと思いごしごし擦ってみるが変化はない。

 まだ体調が優れず目の調子が悪いのか、と数度瞬きを繰り返すが変わらない。

 こころなしか透けた指先が冷えている。

 そう感じたのも束の間、みるみる寒さが指を伝って掌へ広がり末端の感覚が薄らいでいく。

 ぎゅっと手を握り締めても感覚がなくなっていた。

「やっぱりか」

 落ち着き払った男が呟く。

「はあ?」

「お前、渡り人だろ」

「わたり……?」

 聞き馴染みのない言葉に困惑している間も、掌から手首へと不可解な症状が進行していく。

「それ、セックスしなきゃ治んねえよ」

「……は?」

 男の突拍子もない発言に、エリナは不快をあらわに聞き返す。

「だから、アンタは今すぐセックスしないと消えるんだよ」

「……はああ!?」

 まったくもって意味が分からない。

 見覚えのない部屋、見知らぬ男、不可解な現象。

 それに加えて初対面では到底言われることのない男の非常識な発言。

 すべてがエリナを混乱させますます焦りが増していく。

「じれってえな」

 苛立たしげな舌打ちが聞こえたかと思うと、エリナの顎が掴まれた。

「ッ……!?」

 急に視界が暗くなった。

 直後、唇に押し当てられる柔らかな感触がする。

 状況がわからず咄嗟に身を引くが、すぐにソファーの背もたれにぶつかってしまう。

「じっとしてろ」

 すぐ間近で男の声が聞こえた。

「ちょっと、なに……ッ」

 言葉の途中で唇が塞がれた。

 濡れたざらつきが押し入ってきたところでエリナは気付いた。

 男に口付けられている。

 
 
 

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