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 来る日も来る日もレンリは考え続けた。

 だが、どんなに考えても答えは出なかった。

 ランジの幸せを願うと同時に、彼と共にいたいと願う気持ちも抑えられない。

「なんだ?」

 キッチンで並んで食事の準備をする彼を無意識に見つめていた。

「っ、なんでもないわ」

 慌てて視線をそらす。

 この穏やかな時間は有限。

 早く決着を付けなければと焦れば焦るほど、レンリの気持ちは揺れた。

 これまで通り日々の雑務をこなしながら悩む日々。

 例の男が現れてから一ヶ月と十日、彼の言う通り商人は現れなかった。

 期限の日だ。 

 覚悟を決めなければいけない。

「ランジ、ちょっといい?」

 夕食を終え、食器を片付けるランジに声を掛ける。

「ああ」

 早々に片付けを終わらせたランジは向かいに腰掛けた。

「……これ」

 ランジの服と剣を出す。

 やはりランジと一緒に居ることはできない。

 一生逃亡生活をさせて気の休まらない日々を送ってほしくない。

 だが、なんと伝えようか。

 正直に話せばランジは共に逃げることを選ぶかもしれない。

 彼自身がそれを選んだとしても、本当にランジが幸せになることはできるんだろうか。

 適当な嘘を並べ立てるしかないのか。

 これまで散々考えた言い訳はあるのに、すぐに言葉にすることが出来なかった。

 ランジは急かすことなくレンリの言葉を待つ。

「ランジ……ッ!」

 意を決して口を開いた瞬間、その声はなにかが割れる音に掻き消された。

 ガラスが割れたような音、おそらく別室の窓だろう。

 なにかが飛んできて割れてしまったと考えるのが自然だが、今は風もない静かな夜。

 直感的に例の不気味な男の仕業だとよぎる。

 不穏な空気を感じたのはランジも同じだったようだ。

 レンリが差し出していた剣を握り、扉に貼りつき外の様子を窺っている。

 ドアノブに手をかけ開けようとしている。

 行かないで。

 思わず声が出そうになるが、気付いたランジは唇に人差し指を当て静かにするようジェスチャーをする。

 違うの、待って。

 頭の中ではうるさいくらい言葉が巡っているのに声にならない。

 レンリが引き止める前にランジは扉を開けて出て行ってしまった。

 慌てて後を追う。

 割れた窓を確認すると、硝子の中に手のひらサイズの石があった。

 やはりこれは故意。

 ランジはすでに玄関扉の横。

 彼もこれが自然災害ではないことに気が付いているはず。

 このままでは誤って彼が攻撃を受けてしまうかもしれない。

 ランジの手がドアノブに伸びた。

「待って!」

 咄嗟に大声をあげる。

 おそらく外にまで聞こえているはず。

「引き渡すから攻撃しないで!」

 ランジは目を丸くしてこちらを見ている。

 おそらくあの男も近くにいるはずだ。

 争う意思はないことを表明する。

 返答はなく外は静まり返っていた。

 ゆっくり一歩ずつ進み、玄関のランジの隣まで辿り着く。

 見上げた彼は困惑の表情を浮かべている。

 これが彼との最後の時間になるだろう。

 無理矢理頬を引き上げ笑顔を作る。

 せめて最後は笑った顔を見せたかった。

 慎重に扉を開ける。

 攻撃はない。

「いるんでしょ」

 レンリの声の後、木の陰からあの時の不気味な男が姿を現した。

「ッ! レンリ、あいつは……ッ!」

「返すわ」

 焦った声を上げるランジを遮り、彼の腕を掴んで引っ張り出す。

 ランジがうろたえている気配が伝わってくる。

「ご協力、感謝いたします」

 男はわざとらしく頭を下げた。

 それが合図だったかのように、ふたりの周りを兵らしき人間が取り囲む。

 咄嗟に剣を構えるランジ。

「抵抗しないで」

 声が震えてしまった。

「レンリ?」

 彼の声色は動揺を隠しきれていない。

「ランジ様、お迎えに上がりました」

「どういうことだ」

 ランジの声が冷たく響く。

「次期当主様、ランジ様のお兄様が亡くなりまして。現当主様はランジ様を跡取りに、とのことですが」

「断る。なにを今更」

「おや、もしかしてなにも聞いていらっしゃらないんですか? そちらの、レンリ様とはすでにお話がついておりますが」

 ランジが振り返る気配がする。

 彼がどんな顔をしているのか直視するのが怖くて、視線を合わせられない。

「レンリ様、大切な我が家の次期当主様の治療、大変感謝いたします」

「どういうことだ、レンリ」

 ここで突き放さなければ自身が彼の枷になってしまう。

 ぎゅっと手を握り締め、意を決して声を出す。

「もう帰って」

「なにを言って」

「治療費もあの人から貰ったわ。もうあなたに用はないの」

「……っ」

 ランジが息を詰める気配がする。

 きっと表情も歪んでいる。

 そんな顔をさせているのは自分。

 罪悪感で胸が張り裂けそうになる。

「お金、すごくたくさん貰ったの。こんな森の奥でこそこそ暮らさなくても、どこか遠くの街で不自由なく暮らせるわ」

 ランジの反論が聞きたくなくてまくし立てる。

「あなたのおかげで稼がせてもらったわ。ありがとう」

 心にも無い言葉がぺらぺらと出てくるものだ、と自分でも感心してしまう。

「レンリ……」

 ランジの悲痛な声。

 聞きたくない。

「もうあなたはいらないわ。さっさと行ってちょうだい」

 耐えきれなくなって彼に背を向けた。

 玄関へ向かって歩き出す。

「さあ、参りましょう。ランジ様」

 周りの兵たちがにじり寄るが、ランジは剣を構えて抗う姿勢を見せた。

「ランジ様、抵抗されるようでしたら……」

 ひとりの兵がレンリに剣を向ける。

 この距離ではランジは間に合わない。

 それがわからない彼ではない。

「嘘、だったのか。今までの全部」

 掠れるランジの声。

「っ……そうよ。全部嘘よ。お金のために今日まであなたを匿っていたの」

 精一杯蔑むような笑いを込めて言う。

 しばしの沈黙の後、ガシャリとなにかが落ちる音がする。

「…………そうか」

 ひどく静かなランジの声。

 長い沈黙の後、ざくざくと土を踏みしめる足音がゆっくりと遠ざかっていく。

 ランジが離れていく。

 行かないで。

 零れそうな声を必死で堪える。

「ご協力、ありがとうございました」

 男のいやみったらしい声の後、周りの兵たちが引き上げていった。

 一気に静寂が訪れる。

「もう……平気かな……」

 恐る恐る振り返る。

 誰もいない。

 足音も聞こえないのでもう随分遠くに行っただろう。

 ランジの剣が落ちている。

「結局、返せなかったな」

 レンリは力無く剣の横に膝をついた。

 一気に目の前が滲み涙が零れる。

 今声をあげたらランジに聞こえてしまうかもしれない。

 必死で声を押し殺して泣いた。


 
 
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