わたくし、前世では世界を救った♂勇者様なのですが?

自転車和尚

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第三四七話 シャルロッタ 一六歳 闇征く者 〇七

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『……勇者よ、我に従い世界の半分を手に入れる気はあるか?』

「世界の半分……? 何を言って……」
 魔王トライトーンと名乗る目の前の腫瘍が放つ言葉に、クリストフェル・マルムスティーンは困惑気味に言葉を返すが、それを見つめる黄金の瞳はまるで彼を値踏みするかのように細く、そして興味深げな色を湛えている。
 世界の半分を手にいれる……言葉通りの意味を捉えるのであれば、魔王と共に世界を支配しようという甘い言葉のようにすら思える。
 しかし……この世界に住む人間であれば混沌との取引など信用に値せず、最後には破滅が待っていると子供の頃からしつこいくらいに教えられて育っている。
 だからこそクリストフェルは「拒否しなければならない」と頭では理解している……だが、魔王トライトーンの言葉は奇妙に頭の片隅にこびりつき、心地良さすら感じるものだった。
『……どうした心が揺れているぞ?』

「……バカな、そんなことが……」

『見えるぞ、お主の愛するものと共に平和な暮らしを享受したい……叶えれば良い、我が元で』

「できるわけないだろうッ! 混沌が……ッ!」

『そんなことはないぞ? 我の言葉に従い、我を崇め、我と共に生きれば……お前が愛するものを永遠に愛せる……』
 永遠に愛する……これほどまでに人を惑わせる言葉はないだろう、愛するものへ語りかける言葉『永遠の愛を誓う』『永遠とわに愛する』『永遠に想い続ける』等々……相手を想う気持ちを伝える時に使われる永遠という言葉。
 だがその言葉が魔王トライトーンの口から放たれた時に、その言葉が汚されたような気分になったのは何故だろうか……目の前にいくつも存在する黄金の瞳が放つ光には、どことなく嫌悪感のようなものを感じてならないのだ。
 クリストフェルは軽く首を垂れ気持ちを落ち着けるために深く深く息を吸うと、大きく吐き出すと言葉を紡いだ。
「……断る」

『……何故?』

「お前の言葉には真実を感じられない……甘い言葉だ、だけど……」
 そう言ってクリストフェルは顔を上げると、その瞳に青い光のようなものが宿っているのを見て、魔王トライトーンは黄金の瞳を細めると、数多く存在している口元を歪めた。
「勇者の眼」と呼ばれる魔力や真実を見抜く瞳は勇者が持つ権能の一つであり、クリストフェルはその瞳を手に入れている。
 勇者と呼ばれる人間が覚醒した際には女神からの加護として様々な権能を入手することができる、クリストフェルは自身が権能を入手した自覚などはないが、それでも自分の瞳が以前と違ったものを見ていることくらいは認識している。
 その瞳が魔王トライトーンの言葉にどこか信用の置けない、嫌な響きを持っていることに警鐘を鳴らしているのだ。
「……お前の話す世界の半分という言葉も、永遠に愛せるという言葉も……全てが信じられない」

『……ク……クハハハッ!』

「何がおかしいッ!」

『さすが勇者、だと思っただけだ……せっかく泥濘の世界を半分くれてやろうと思ったが、騙せぬか』
 泥濘の世界……混沌の本質である全てが絡み合い、混じり合う全ての色を示す世界、それが魔王トライトーンの話す世界そのものなのだろう。
 クリストフェルは魔王トライトーンの言葉に含まれた真実を見抜くと同時に、自らの心にあるシャルロッタ・インテリペリへの愛情を歪められなかったことに安堵し、そして強い憤りを感じた。
 自らが大事に想う全てを魔王トライトーンは利用しようと考えていたのだと理解したからだ……それは彼の心の中にある静かなる怒りに火をつける結果になった。
 黙ったままクリストフェルはゆっくりと剣を構える……それを見つめる黄金の瞳はまるで慌てることはなく、まるで楽しい見せ物を見ているかのように咲う。
『勇者もまた人間であり、勇者もまた人を裏切る……この世界の勇者は裏切ることはなく、また違う世界の勇者は人を裏切り、自ら混沌の泥濘と同化した……それもまた選択の一つ』

「勇者がお前らと手を結ぶだと……?」

『そういう者もいるのだ、人間である以上裏切ることを選択することもある……それが勇者であっても何も変わらない』

「バカな……ッ! 勇者はそんな甘言に屈しないぞ!」
 だが……クリストフェルがほんの少しだけ魔王トライトーンの言葉に誘惑されかかったように、人間である以上誘惑に勝てないものもいるに違いない。
 そんな彼の考えを見透かすかのように黄金の瞳は楽しそうに細められている……言葉により相手を惑わし、堕落の道へと誘う、混沌の本質に最も近い存在がそこには存在している。
 魔王トライトーンはその腫瘍にしか見えない全身をブルブルと震わせると、その姿を変え始める……震える腫瘍はあちこちがでこぼこに膨らみ、そして破裂するように紫色の液体を吹き出していく。
 不気味すぎる変化……クリストフェルと、それまで怯えるばかりだった幻獣ガルム族のユルは異様すぎる魔王の変化に驚いたのか後退りを始めた。
『クハハ……まだ我の誕生は早いというのに……我の心がお前を喰らえと急かしてやまぬ』

「ば、化け物め……」

『何をいうか……我らの足元で殺し合っているものに比べれば、我はまだ優しいと言えるぞ?』

「何を……」
 何を言っている、と答えようかと思ったクリストフェルの視線がその足元を見た時に、瞳に映る魔力の流れに凄まじい二つの大渦が映った。
 その二つの魔力はまるでお互いを食い合うかのように絡み合い、そしてその大きさに耐え切れないのか、お互いが消失していくのが見える。
 一つは嫌悪感を覚えるドス黒い悪意……一度見たかも知れない訓戒者プリーチャーを束ねている仮面の怪人闇征く者ダークストーカーの魔力。
 そしてもう一つはクリストフェルにとって懐かしくも猛々しい愛する者の魔力……白銀の髪を持ち、優しくも温かいエメラルドグリーンの瞳を持つ少女、シャルロッタ・インテリペリそのもの。
「……シャル……ッ!」

『殺しあう者たちが足元にいる……その殺意は我を次の存在へと生まれ変わらせる……』

「……殺意だと?」

『心地よい殺意……シャルロッタ・インテリペリの殺意は猛々しく雄々しい……会い見えるのが楽しみだ』
 魔王トライトーンの姿が次第に変わっていく……腫瘍の塊にしか見えなかったその姿は、次第に一つの形を取り始める……それはどこか人間のような、そして魔物を乱雑に掛け合わさせたような冒涜的な姿へと変わりつつある。
 どうするべきだろうか? 足元、いやもっと下の階層で戦っているシャルロッタを助けるために走るべきだろうか? それとも変化を続け危険な存在へと変わりつつある魔王へと剣を突き立てるべきだろうか?
 クリストフェルは難しい判断を迫られている……どうしていいのかわからなくなっていた彼の右手に、軽く柔らかい毛皮が擦り付けられたことで、ハッとした顔でその方向へと視線を向ける。
「……婚約者殿、迷うことはありません……貴方の体に流れる血が正解を教えてくれているのでしょう?」

「……ユル……」

「シャルは強い、今貴方がやらねばいけないことは目の前にあります」
 ユルはそれまで怯えの色を強く見せており、体を震わせて恐怖に慄いていたがようやくその恐怖から逃れたのだろう、クリストフェルの手に体を擦り付けつつ、その真紅の瞳を輝かせて彼に向かって笑いかける。
 シャルロッタと契約した幻獣として本当は彼自身が真っ先に階下の主人の元へと駆けつけたいはずだが、それに争い彼女が最も大切に想う人物と共にあるのだ。
 ガルムの赤い瞳を見ながらクリストフェルは覚悟を決める……愛する女性は一人で戦っている、それならば彼はどうするべきなのか?
 クリストフェルは黙って王家に伝わる名剣蜻蛉ドラゴンフライを構え直す……今やるべきはこの世界に生まれた勇者として、そして悪を滅ぼすものとしての責務を果たす。
「……わかっている、僕がやらなければいけないことは一つだ」

『……クハハハッ! 勇者の器は今まさに、高潔なる精神を持って勇者となる……女神よ、これがお前の導き出した答えということか!』
 魔王トライトーンはその体を大きく変化させながら震え、数多く備える瞳と口を開いて不気味ながらも混じり気のない声で笑う。
 まるで蛹が羽化するかのように、大きく膨れ上がりながら形状を複雑に変化させていく……それは出来損ないの人型のように膨れ、そして魔獣のような牙を剥き出しにし、そして形容しようのない汚泥の塊のような姿となって膨れ上がる。
 クリストフェルはその冒涜的な姿を見ながらも愛剣の感触にほのかな安心感を感じつつ一歩前へと足を踏み出す……それは勇者としての本能か? それとも蛮勇だったのかわからない。
「……ッ!?」

『……魔力が膨れ……!?』
 勇者と魔王、二つの存在が殺し合いを始めようとしたその瞬間、彼らの足元で異常とも言える魔力が膨れ上がる……それは真っ白な光と共に床面を持ち上げ、眩いばかりの光が当たりを真っ白に染めていく。
 凄まじすぎる魔力の奔流……それは、懐かしくも頼れる心から愛する女性のものであることに驚きながら、クリストフェルは思わず目を見開く。
 凄まじい轟音と共に青い炎が床を突き抜け、天高く立ち上る……オーヴァチュア城の構造を粉砕し、彼とユル……そして魔王トライトーンのいた玉座の間の床面が崩壊し、彼らは空中へと投げ出された。
 足元が崩壊し彼らは一気に下へと突き落とされていく……それはまるで全てを無に返すような一撃だった……クリストフェルは幻獣ガルムのユルの体を慌てて掴む。

「……これは……! 誰かが恐るべき破壊の術を……掴まれッ!」
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