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第二七五話 シャルロッタ 一六歳 野戦 〇五
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「クラカト丘陵か……随分と渋い場所を選ぶ……」
神聖騎士団団員にして騎士隊長であるディル・アトキンスは、斥候からの報告を受けて思わず唸った。
先行した斥候部隊はクラカト丘陵を占領し陣地を構築しつつある第二王子派の軍勢を発見……偵察に移るも彼らを見つけた敵軍の斥候部隊と交戦、被害を出しつつも後退し帰還した。
この戦いにおける最初の交戦ともいうべき戦いではあったが、本格的な会戦には至らず双方共に多少の損害を出した程度で痛み分けとなっている。
陣地の構築についてはおそらくインテリペリ辺境伯の選択なのだろう、そして彼の戦術眼が優れていることを示唆している……丘陵地帯に設置した防衛陣地は急造のものながら丘陵地帯をうまくカバーしていると言っても良い。
攻めるには難しい地形、ディルは以前ここで馬術の訓練をしたことがあり地面が柔らかいことも知っている。
斥候によると第二王子派の軍勢は多くても一万程度ということで、現状把握できている情報ではこちら側が有利ではあるが、簡易的な城攻めとなると油断ができない。
「騎乗した状態では効果を最大限発揮できない……一番槍は他家に譲るしかありませぬな」
「なら引き摺り出せば良いわ、洞穴に潜る怪物は陽の元へ引き出すのがセオリーではなくて?」
「聖女様……敵軍も同じことを考えておりますよ、この場合どちらが怪物か分かりませんがね」
ディルの様子を見ていた聖女ソフィーヤ・ハルフォードの言葉に彼が反論すると、多少不満そうな表情を浮かべつつもその返答が正しいことを理解しているのか彼女は押し黙る。
クラカト丘陵に陣取った第二王子派の軍勢は簡易的ながらも馬防柵や地形を生かした陣を構築し、すでにある程度の防衛態勢を整えている。
これが斥候部隊による報告ではあるが、歴戦の指揮官であるディルからするとこの丘陵の奪還は街道の安定化を図るためにも必須であり、決して無視できない状況となっている。
「……でん……いや国王代理陛下はなんとおっしゃっておりましたか?」
「まずは一騎打ちだそうよ、殿方はロマンチストが多いわね」
「……全く……負けたらどうするつもりだろうか……」
第二王子派は予想もしていなかったが、実は今回の遠征軍には第一王子派の諸侯だけでなく国王代理アンダース・マルムスティーンその人が名目上の指揮官に収まっていた。
とはいえ本人の武勇は誰しもが知るところだが、指揮官としての能力は未知数のため経験のあるベッテンコート侯爵などが実際の指揮を担当している。
ただアンダースが陣にいるということで第一王子派の迎撃軍は士気が高まっており、行軍中も脱落するものがほぼ発生しておらず全力で戦いに集中できるという点はメリットとなっていた。
奇しくもクラカト丘陵に二つの派閥の旗頭が揃うこととなり、両陣営ともに負けるわけにはいかない戦いへと変化しつつあった。
「国王代理陛下は弟に負けるわけがない、と考えているでしょうね」
「実際に過去手合わせをしたときはクリストフェル殿下は国王代理陛下に勝ったことがないはずです」
「それは過去の話ですわよ? 今の殿下は恐ろしく強くなっているはず」
ソフィーヤはあのとき戦場の様子を見ていて、自分が慕っていた第二王子クリストフェル・マルムスティーンの鬼気迫る強さというのを実感している。
昔のほんの少し線が細く、優しい笑みを浮かべている彼とは比べ物にならないくらい成長していると実感するのだ。
そしてそれは人の道を踏み外し人外……勇者としての能力を引き出しつつあることを意味しており、幼少の頃からの彼を知っている自分としては少々寂しい気持ちにさせられる。
聖女としての教育、特権を生かし過去の歴史などを紐解いていたソフィーヤは勇者に関する文献を多く読みあさっていたことで、ある程度の知識を身につけている。
その知識から考えるにシャルロッタ・インテリペリも同種の何かであるのかもしれない、と彼女は考えるようになっていた。
「……殿下もそうだけど、あの泥棒猫も似たようなものかしらね……」
「何かおっしゃいましたか?」
「いいえ、気にしないで独り言よ……」
勇者とは世界を護る守り手としての役目だけでなく、女神の尖兵でもある……それが何を意味するのか? 混沌神の眷属である悪魔や天使などと同じ人の姿を模してはいるが、本質としては人ではない存在に近い。
超次元の戦闘能力を保有する彼らは成長とともに恐るべき力を発揮する……イングウェイ王国建国時の勇者スコット・アンスラックスはその類稀なる剣技と誰よりも高次元な魔法を駆使していかんなくその戦闘能力を発揮したと言われる。
『剣速は雷鳴に等しく、魔力は一軍に匹敵する、恐るべきは傷一つ負わずに悪魔を退けるその強さである』
勇者アンスラックスの伝説はその死と共に風化し、次第に忘れられていった……唯一彼が伝承したとされるカヴァリーノ流剣術のみがその存在が本当であったことを現代に伝えている。
もちろんスコットがそうであったように勇者も血液を大量に失えば死ぬし、魂を破壊され尽くせば存在ごと抹消されることもあるのだという。
歴史の闇の中に葬り去られているがスコット・アンスラックス以降実は何人も勇者の器は生まれていたが、悉く命を落としている。
それは訓戒者という混沌神の眷属による策謀なのだと、ようやく最近理解した……そして実はクリストフェルが病に侵されたこともそれが謀の一つであったのだという事実も。
だが……それはもはやどうでもいいことだ、勇者であっても魔性の女にうつつを抜かし、聖女たる自分を見ようとしない彼にはその資格はない。
勇者を支えるはずの聖女を等閑にする勇者など、それは紛い物でしかないのだから。
「おそらく国王代理陛下ではクリストフェル様には勝てないわ、今から策を練っておきましょう」
「……それほど強いのですか? 殿下は……」
「あなたでは勝てないでしょう……気を悪くしないでね」
ソフィーヤの口ぶりにディルはほんの少しだけ表情を歪めたようにも見えるが、それは年若い王子に歴戦の騎士である自分が負けると言われたことに対する苛立ちのようなものだ。
ディル・アトキンスは神聖騎士団の中でも剣の腕が素晴らしいわけではないが、卓越した戦闘指揮能力を買われて今この場にいる。
それを思い出したのかすぐに彼は表情を落ち着かせると、恐縮したかのように頭を下げた。
だが彼女は薄く笑うと落ち着けと言わんばかりにひらひらとその細くしなやかな指を立てて左右に振る……その仕草は優雅であり、思わず見惚れるほど美しかった。
だが……ソフィーヤはすでに別のことに思考を向けている、戦争の中でどう第二王子派に勝利をするのか、それと最も効果的なタイミングであの辺境の翡翠姫を排除するのか……それに集中するしかない。
「……フェリピニアーダにも活躍してもらいましょうか……やる気みたいだったし」
「……え? アンダース兄様が戦場に来ている?!」
クリストフェル・マルムスティーンはその報告を聞いて心臓が跳ね上がるような気がした……まさか兄が戦場まで足を運ぶとは全く想像していなかったからだ。
クリストフェルが幼いとき記憶にある兄アンダースは弟には優しい頼れる兄という印象だったが、いつの日か彼は横暴で我儘を通す人間へと変化していった気がする。
確かに能力は高く、個人の剣も騎士としては優秀だというレベルでまず及第点だ……自制の効かなさはあるものの、貴族としては優秀なレベルに相当する。
欠点は女性に目がない……複数の令嬢に婚前交渉を迫り実際にそう言った関係になった女性が複数人おり、落胤もいるとされている。
だが……そう言った欠点も含めて個性的な人物であることには違いなく、クリストフェルはそこまで兄を嫌うことはなかったのだ。
「アンダース殿下の性格的に一騎打ちを申し込んでくるかもしれませんな」
「……殿下、もしお辛いのであれば家中のものにお任せいただければ」
「いや、大丈夫……いつかはやらなければいけないことだから僕がやります」
「分かりました」
クレメントの言葉に一瞬だけ逡巡したかのように見えたクリストフェルだが、軽く頭を振ると寂しそうな笑顔を浮かべて笑った。
その表情だけでも彼の心境がわかるものだが……だが今の彼は第二王子派を指揮する旗頭であり、彼が倒れれば第二王子派は簡単に瓦解するだろう。
残念ながら第二王子派の結束はそこまで強固ではなく、クリストフェル個人の魅力とクレメント辺境伯の剛腕によって支えられていると言っても良い。
クリストフェルはもう一度軽く自らの頬を手で叩くと、居並ぶ諸侯へと微笑んだ。
「負ける気などないですよ……僕は王位を目指すと誓った時から覚悟はしています」
神聖騎士団団員にして騎士隊長であるディル・アトキンスは、斥候からの報告を受けて思わず唸った。
先行した斥候部隊はクラカト丘陵を占領し陣地を構築しつつある第二王子派の軍勢を発見……偵察に移るも彼らを見つけた敵軍の斥候部隊と交戦、被害を出しつつも後退し帰還した。
この戦いにおける最初の交戦ともいうべき戦いではあったが、本格的な会戦には至らず双方共に多少の損害を出した程度で痛み分けとなっている。
陣地の構築についてはおそらくインテリペリ辺境伯の選択なのだろう、そして彼の戦術眼が優れていることを示唆している……丘陵地帯に設置した防衛陣地は急造のものながら丘陵地帯をうまくカバーしていると言っても良い。
攻めるには難しい地形、ディルは以前ここで馬術の訓練をしたことがあり地面が柔らかいことも知っている。
斥候によると第二王子派の軍勢は多くても一万程度ということで、現状把握できている情報ではこちら側が有利ではあるが、簡易的な城攻めとなると油断ができない。
「騎乗した状態では効果を最大限発揮できない……一番槍は他家に譲るしかありませぬな」
「なら引き摺り出せば良いわ、洞穴に潜る怪物は陽の元へ引き出すのがセオリーではなくて?」
「聖女様……敵軍も同じことを考えておりますよ、この場合どちらが怪物か分かりませんがね」
ディルの様子を見ていた聖女ソフィーヤ・ハルフォードの言葉に彼が反論すると、多少不満そうな表情を浮かべつつもその返答が正しいことを理解しているのか彼女は押し黙る。
クラカト丘陵に陣取った第二王子派の軍勢は簡易的ながらも馬防柵や地形を生かした陣を構築し、すでにある程度の防衛態勢を整えている。
これが斥候部隊による報告ではあるが、歴戦の指揮官であるディルからするとこの丘陵の奪還は街道の安定化を図るためにも必須であり、決して無視できない状況となっている。
「……でん……いや国王代理陛下はなんとおっしゃっておりましたか?」
「まずは一騎打ちだそうよ、殿方はロマンチストが多いわね」
「……全く……負けたらどうするつもりだろうか……」
第二王子派は予想もしていなかったが、実は今回の遠征軍には第一王子派の諸侯だけでなく国王代理アンダース・マルムスティーンその人が名目上の指揮官に収まっていた。
とはいえ本人の武勇は誰しもが知るところだが、指揮官としての能力は未知数のため経験のあるベッテンコート侯爵などが実際の指揮を担当している。
ただアンダースが陣にいるということで第一王子派の迎撃軍は士気が高まっており、行軍中も脱落するものがほぼ発生しておらず全力で戦いに集中できるという点はメリットとなっていた。
奇しくもクラカト丘陵に二つの派閥の旗頭が揃うこととなり、両陣営ともに負けるわけにはいかない戦いへと変化しつつあった。
「国王代理陛下は弟に負けるわけがない、と考えているでしょうね」
「実際に過去手合わせをしたときはクリストフェル殿下は国王代理陛下に勝ったことがないはずです」
「それは過去の話ですわよ? 今の殿下は恐ろしく強くなっているはず」
ソフィーヤはあのとき戦場の様子を見ていて、自分が慕っていた第二王子クリストフェル・マルムスティーンの鬼気迫る強さというのを実感している。
昔のほんの少し線が細く、優しい笑みを浮かべている彼とは比べ物にならないくらい成長していると実感するのだ。
そしてそれは人の道を踏み外し人外……勇者としての能力を引き出しつつあることを意味しており、幼少の頃からの彼を知っている自分としては少々寂しい気持ちにさせられる。
聖女としての教育、特権を生かし過去の歴史などを紐解いていたソフィーヤは勇者に関する文献を多く読みあさっていたことで、ある程度の知識を身につけている。
その知識から考えるにシャルロッタ・インテリペリも同種の何かであるのかもしれない、と彼女は考えるようになっていた。
「……殿下もそうだけど、あの泥棒猫も似たようなものかしらね……」
「何かおっしゃいましたか?」
「いいえ、気にしないで独り言よ……」
勇者とは世界を護る守り手としての役目だけでなく、女神の尖兵でもある……それが何を意味するのか? 混沌神の眷属である悪魔や天使などと同じ人の姿を模してはいるが、本質としては人ではない存在に近い。
超次元の戦闘能力を保有する彼らは成長とともに恐るべき力を発揮する……イングウェイ王国建国時の勇者スコット・アンスラックスはその類稀なる剣技と誰よりも高次元な魔法を駆使していかんなくその戦闘能力を発揮したと言われる。
『剣速は雷鳴に等しく、魔力は一軍に匹敵する、恐るべきは傷一つ負わずに悪魔を退けるその強さである』
勇者アンスラックスの伝説はその死と共に風化し、次第に忘れられていった……唯一彼が伝承したとされるカヴァリーノ流剣術のみがその存在が本当であったことを現代に伝えている。
もちろんスコットがそうであったように勇者も血液を大量に失えば死ぬし、魂を破壊され尽くせば存在ごと抹消されることもあるのだという。
歴史の闇の中に葬り去られているがスコット・アンスラックス以降実は何人も勇者の器は生まれていたが、悉く命を落としている。
それは訓戒者という混沌神の眷属による策謀なのだと、ようやく最近理解した……そして実はクリストフェルが病に侵されたこともそれが謀の一つであったのだという事実も。
だが……それはもはやどうでもいいことだ、勇者であっても魔性の女にうつつを抜かし、聖女たる自分を見ようとしない彼にはその資格はない。
勇者を支えるはずの聖女を等閑にする勇者など、それは紛い物でしかないのだから。
「おそらく国王代理陛下ではクリストフェル様には勝てないわ、今から策を練っておきましょう」
「……それほど強いのですか? 殿下は……」
「あなたでは勝てないでしょう……気を悪くしないでね」
ソフィーヤの口ぶりにディルはほんの少しだけ表情を歪めたようにも見えるが、それは年若い王子に歴戦の騎士である自分が負けると言われたことに対する苛立ちのようなものだ。
ディル・アトキンスは神聖騎士団の中でも剣の腕が素晴らしいわけではないが、卓越した戦闘指揮能力を買われて今この場にいる。
それを思い出したのかすぐに彼は表情を落ち着かせると、恐縮したかのように頭を下げた。
だが彼女は薄く笑うと落ち着けと言わんばかりにひらひらとその細くしなやかな指を立てて左右に振る……その仕草は優雅であり、思わず見惚れるほど美しかった。
だが……ソフィーヤはすでに別のことに思考を向けている、戦争の中でどう第二王子派に勝利をするのか、それと最も効果的なタイミングであの辺境の翡翠姫を排除するのか……それに集中するしかない。
「……フェリピニアーダにも活躍してもらいましょうか……やる気みたいだったし」
「……え? アンダース兄様が戦場に来ている?!」
クリストフェル・マルムスティーンはその報告を聞いて心臓が跳ね上がるような気がした……まさか兄が戦場まで足を運ぶとは全く想像していなかったからだ。
クリストフェルが幼いとき記憶にある兄アンダースは弟には優しい頼れる兄という印象だったが、いつの日か彼は横暴で我儘を通す人間へと変化していった気がする。
確かに能力は高く、個人の剣も騎士としては優秀だというレベルでまず及第点だ……自制の効かなさはあるものの、貴族としては優秀なレベルに相当する。
欠点は女性に目がない……複数の令嬢に婚前交渉を迫り実際にそう言った関係になった女性が複数人おり、落胤もいるとされている。
だが……そう言った欠点も含めて個性的な人物であることには違いなく、クリストフェルはそこまで兄を嫌うことはなかったのだ。
「アンダース殿下の性格的に一騎打ちを申し込んでくるかもしれませんな」
「……殿下、もしお辛いのであれば家中のものにお任せいただければ」
「いや、大丈夫……いつかはやらなければいけないことだから僕がやります」
「分かりました」
クレメントの言葉に一瞬だけ逡巡したかのように見えたクリストフェルだが、軽く頭を振ると寂しそうな笑顔を浮かべて笑った。
その表情だけでも彼の心境がわかるものだが……だが今の彼は第二王子派を指揮する旗頭であり、彼が倒れれば第二王子派は簡単に瓦解するだろう。
残念ながら第二王子派の結束はそこまで強固ではなく、クリストフェル個人の魅力とクレメント辺境伯の剛腕によって支えられていると言っても良い。
クリストフェルはもう一度軽く自らの頬を手で叩くと、居並ぶ諸侯へと微笑んだ。
「負ける気などないですよ……僕は王位を目指すと誓った時から覚悟はしています」
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