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第二五四話 シャルロッタ 一六歳 弑逆 〇四
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——数人の男達が王城の中を音もなく走っている……。
「陛下がおわす場所は近いぞ、見つかるなよ」
フェルト・ウインガー子爵は数人の仲間を見て頷く……第一王子派と第二王子派どちらにも属さない中立派貴族であり、自前の領地を持たない王都住みと呼ばれる一人だ。
彼らは今回の戦いが起きたことを悲しんでおり、軟禁されているというアンブローシウスやブリューエットを救い出し専横を極めるアンダースや、反逆者となったクリストフェルを止める必要があると思っていた。
国王さえ復権すれば今の状況が完全に解決する……そうフェルトは信じている、実際に以前の国王であればアンダースの我儘など簡単に制することができただろう。
「ウインガー子爵、国王陛下さえ助け出せれば今の状況も改善するのですな?」
「ああ、元々アンダース国王代理は陛下には頭が上がらなかった……陛下さえ助け出せば」
アンダースは確かに評判の良くない王子ではあったが、国王であるアンブローシウスは彼の行動を咎め正道に戻そうという気概があった。
そんな父親の意思を理解していたのか、本当に王族として逸脱し切った行動などはとらなかったのだが……アンブローシウスが病魔に倒れ、半分軟禁状態へと移ってからアンダースは完全に変わってしまった。
クリストフェルが反旗を翻したのもわかる気がする、とウインガー子爵は勇者の器たる第二王子に同情を感じている。
元々クリストフェルは王位を望むような発言を避けていた……だが、彼自身の中で兄の行動に思うところがあったのだろう。
そして美しい婚約者たる辺境の翡翠姫を迎えたことで本格的に自身の派閥を強化する動きへとでた。
「……しかしこんな抜け道のような場所を知っているとは……」
「若い頃陛下に教えてもらったのだ、いざという時は脱出のためにここを使えとな……まあこんな形で使うことになるとはな」
ウインガー子爵は元々斥候の家系で、敵地への侵入や偵察を生業としてきた生粋の武人でもある。
アンブローシウスとの関係は悪くなく、国王からすると使い勝手の良い手駒の一つであり信頼できる兵士でもあったのだろう、爵位に見合わぬ待遇を彼は受けている。
そしてその忠義の証として、今回国王救出のために子飼いの部下を引き連れて王城への侵入を果たしている……中立派貴族は勢力がかなり小さくなっており、戦力としてはほぼ無力に等しく今更どちらかの派閥に属したところで大した働きはできないだろう。
それ故に陣営は常に逆転の一手を模索し続けており、その答えが国王救出であった……これさえ成功して仕舞えば、確かに中立派貴族達が主導権を握ることも不可能ではない。
「陛下はご無事でしょうか……」
「無事に決まっている、陛下はイングウェイ王国の要……復帰してもらわなければ困るのだ」
そう、今起きている内戦を鎮めるには国王陛下が必要……二人の王子の仲を調整し、修復するのは父親であるアンブローシウスしかいない。
ウインガー子爵は本気でそう思っていた……彼らからすれば、アンダースや第一王子派がすでに混沌の手先に取り込まれていて堕落しているなどとは思っていない。
混沌との戦いは遠い昔、神話時代の話でしか知らない……いや正確にいえば知らないことにされているのだが、それでも彼らの中ではまだこの国の舵取りは国王であればなんとかなると考えていた。
「……ついたぞ」
彼らの目の前に、国王アンブローシウスの私室へと繋がる小さな扉が現れる……正しい道順で通路を抜けないと見つけることのできない特殊な魔法をかけられた場所。
そこにある扉は異様な雰囲気を放っており、侵入者である彼らは思わずごくりと喉を鳴らす……この先に国王陛下が軟禁されている。
ウインガー子爵は扉を開ける前に一度深々と扉に向かって頭を下げる……アンブローシウスを救出したら何を伝えようか。
アンダースが強権を発動し王国の行末を左右するような命令を連発し、クリストフェルとの戦争を起こしたこと。
クリストフェルは数少ない仲間とともに不利な戦争を見事勝ち抜いていること……そして辺境の翡翠姫シャルロッタ・インテリペリは隠されていた能力を発揮し、英雄として名を馳せていること。
まるでお伽話の中にある英雄譚のよう……在りし日の国王陛下であれば、嬉しそうに笑ってそう言葉にしただろう。
「陛下、ウインガー子爵が助けに参りました……御免」
子爵がゆっくりと小さな扉を開けて中へと入っていく……同行者である男達も彼に続いてその中へと入っていくが、真っ暗で広い部屋の中暖炉の横にある小さな扉から彼らは国王の私室へと侵入していた。
明かりがひとつもついていない……窓から差し込む月の光がぼんやりと部屋の中を照らしているが、明らかに光量が小さく広い部屋の中をはっきりと見ることができない。
そんな彼らの前でのそり、と動く影が見える……外套のようなものを纏っているようにみえ、ウインガー子爵はそっとその影へと声をかけた。
「陛下? 陛下でございますか?」
「う、お……おおぉ?」
影はその声に反応するようにのそのそと動いている……大人の腰ほどの高さだろうか? ずるずると絨毯の上を何か重い物を引き摺るような音を立てて、ウインガー子爵達の前へとその影がゆっくりと歩みでた。
その姿はまるで肉塊のようにも見えた……紫色と黒色の瘤のような物をぶら下げながら、元は人間だったのだろう、目鼻立ちなどの痕跡のような跡が残ったぶよぶよの塊が月の光に照らされてその姿を表す。
あまりに奇怪で不気味なその姿に、侵入者達は思わず息を呑んだ……怪物? いやこのような怪物など存在しようはずがない。
ここは王城……しかもアンブローシウス陛下の私室だ。
「おお、おおお?」
「ば、化け物……」
「い、いや待て……纏っている外套は……」
ウインガー子爵はその真紅に染め上げられた元々は美しい光沢を放っていたであろう外套を見て、ハッとした気分になった。
アンブローシウスはその日の気分で外套を変えることがあったが、基本的には同じ色の物を好んで着用していた。
薄汚れてあちこちがボロボロになった外套は以前アンブローシウスが好んで着用していたものの一つ……どういうことだ? と子爵は混乱する。
肉塊は半分溶けて腐臭を放つ腕だったはずの器官を懸命に伸ばして子爵達へと近づこうとしている……奇怪かつ醜悪な塊が近寄るたびに侵入者達は思わず一歩ずづ後退りしていた。
「おおおお? おおおおお?!」
「く……この怪物め! 陛下はどこだっ!」
ウインガー子爵は目の前の怪物……正確には膨れ上がった肉の塊なのだが、それがこれ以上近づかないようにするため腰に差していた剣を引き抜くと、肉塊へと突きつけた。
その行動に驚いたのか、肉塊は呆然としたかのように立ち止まると切先を見つめて、唸り声を上げた……まるで泣いているかのような、それとも怒りを表しているのか、不気味な声が部屋へと広がっていく。
その声にに反応したのか、別の方向からかしゃかしゃという音を立てながら天井を這うように別の生物が姿を表す……それは不気味な昆虫のように見える怪物だった。
灰色と黒を基調としたマダラ模様の甲虫に見える体と、その顔には彼ら全員が見覚えのある……イングウェイ王国宰相であり、絶大な権勢を振るった貴族の一人であるアーヴィング・イイルクーンの顔がそこにはついていた。
「キョアアアアア?」
「さ、宰相殿の顔が……!」
「か、怪物めええええッ……!」
「ギョアアアアアア!?」
ウインガー子爵だけでなくその場にいた男達全員が背筋が凍りつくような感覚に襲われる……一斉に剣を引き抜くと、雄叫びと共に子爵達は怪物へと切り掛かった。
意外なことに、その怪物達は抵抗をする様子もなく子爵達の攻撃を受けて血飛沫と奇怪な悲鳴をあげながら床へと倒れ込む。
アーヴィングそっくりの顔を持った甲虫は緑色の体液を吹き出しながら、痙攣しつつ床へと倒れ悲鳴を上げる間もなく絶命する。
肉塊も何度か低い呻き声を上げた後ぴくりとも動かなくなり、侵入者達はこの光景がまるで現実ではないかのような感覚に陥っていた。
なんだこれは……彼ら全員がそう思っていたとき、くすくすと笑う声が聞こえてきたことで彼らはハッとして声の方向へと剣を向けた。
「誰だっ!」
「……あらあら……淑女に剣など向けないでくださる?」
そこにいたのは夜の闇かのような美しい長い黒髪を持った美女だった。
闇の中でもぼうっと光る赤く輝く瞳をもち、微笑を湛える口元にはチラチラと紫色の舌が覗いており、その女性が明らかに人間ではないことを示している。
だが美しい……白磁のように滑らかで白い肌は申し訳程度にしか纏っていない夜着の上からでも恐ろしく豊満であり、尚且つ男性であれば思わず息を呑むような妖艶さが漂っている。
子爵は油断なくその美女へと剣を向けつつ問いかけた。
「お前は何者だ……!」
「欲する者……ノルザルツが眷属にして快楽と欲望を司る訓戒者……」
「欲する者?!」
アンダース国王代理の側に侍る女性の一人がそう名乗っていたことを子爵は知っていたのだろう、驚くとともに不気味というよりは、圧倒的な存在感、そしてその場にいるだけで気分が悪くなるほどの濃密な魔力の渦に意識を失いそうになりながらも彼は剣を構えている。
そんなウインガー子爵の様子を楽しそうに見つめながら欲する者は再び歪んだ笑みを浮かべた。
「……そこの肉塊はあなたが探していたものの成れの果て、国王陛下そのもの、哀れな国王陛下は悪逆な貴族に殺されてしまったのよ」
「ば、バカな……この怪物が国王陛下なわけがない!」
「裏道を抜けてきたのでしょう? わざわざ開けていた場所を使ってきてくれるなんて好都合よ、でもね暗殺者は死ななければいけない、口封じってやつよ」
欲する者が軽く腕を振るうと、子爵以外の全員……怯えながらも逃げ出そうとしていなかった全ての兵士たちが巨大な肉の花を咲かせたかのように、一瞬にして血飛沫を上げながら肉片となって砕け散る。
まるで肉体の全てが内側からひっくり返って破裂したかのような光景に、ウインガー子爵はなんとか保っていた勇気が一瞬にして砕けたような気分に陥ると、へなへなと床へと座り込んでしまう。
目の前にいる美女は明らかに人間ではない、まるで一瞬の殺戮を楽しむかのように歪んだ笑みを浮かべている。
へたり込む子爵を見て満足そうに微笑むと、欲する者はちろりと紫色の舌を伸ばして舌なめずりするとウインガー子爵の頭にそっと手を乗せて囁いた。
「……知っているかしら? 人間は肉片になる時が一番美しいの……赤くて鮮やかな色が、命を散らす絵画のように見えるのよ? では……さようなら愚か者よ」
「陛下がおわす場所は近いぞ、見つかるなよ」
フェルト・ウインガー子爵は数人の仲間を見て頷く……第一王子派と第二王子派どちらにも属さない中立派貴族であり、自前の領地を持たない王都住みと呼ばれる一人だ。
彼らは今回の戦いが起きたことを悲しんでおり、軟禁されているというアンブローシウスやブリューエットを救い出し専横を極めるアンダースや、反逆者となったクリストフェルを止める必要があると思っていた。
国王さえ復権すれば今の状況が完全に解決する……そうフェルトは信じている、実際に以前の国王であればアンダースの我儘など簡単に制することができただろう。
「ウインガー子爵、国王陛下さえ助け出せれば今の状況も改善するのですな?」
「ああ、元々アンダース国王代理は陛下には頭が上がらなかった……陛下さえ助け出せば」
アンダースは確かに評判の良くない王子ではあったが、国王であるアンブローシウスは彼の行動を咎め正道に戻そうという気概があった。
そんな父親の意思を理解していたのか、本当に王族として逸脱し切った行動などはとらなかったのだが……アンブローシウスが病魔に倒れ、半分軟禁状態へと移ってからアンダースは完全に変わってしまった。
クリストフェルが反旗を翻したのもわかる気がする、とウインガー子爵は勇者の器たる第二王子に同情を感じている。
元々クリストフェルは王位を望むような発言を避けていた……だが、彼自身の中で兄の行動に思うところがあったのだろう。
そして美しい婚約者たる辺境の翡翠姫を迎えたことで本格的に自身の派閥を強化する動きへとでた。
「……しかしこんな抜け道のような場所を知っているとは……」
「若い頃陛下に教えてもらったのだ、いざという時は脱出のためにここを使えとな……まあこんな形で使うことになるとはな」
ウインガー子爵は元々斥候の家系で、敵地への侵入や偵察を生業としてきた生粋の武人でもある。
アンブローシウスとの関係は悪くなく、国王からすると使い勝手の良い手駒の一つであり信頼できる兵士でもあったのだろう、爵位に見合わぬ待遇を彼は受けている。
そしてその忠義の証として、今回国王救出のために子飼いの部下を引き連れて王城への侵入を果たしている……中立派貴族は勢力がかなり小さくなっており、戦力としてはほぼ無力に等しく今更どちらかの派閥に属したところで大した働きはできないだろう。
それ故に陣営は常に逆転の一手を模索し続けており、その答えが国王救出であった……これさえ成功して仕舞えば、確かに中立派貴族達が主導権を握ることも不可能ではない。
「陛下はご無事でしょうか……」
「無事に決まっている、陛下はイングウェイ王国の要……復帰してもらわなければ困るのだ」
そう、今起きている内戦を鎮めるには国王陛下が必要……二人の王子の仲を調整し、修復するのは父親であるアンブローシウスしかいない。
ウインガー子爵は本気でそう思っていた……彼らからすれば、アンダースや第一王子派がすでに混沌の手先に取り込まれていて堕落しているなどとは思っていない。
混沌との戦いは遠い昔、神話時代の話でしか知らない……いや正確にいえば知らないことにされているのだが、それでも彼らの中ではまだこの国の舵取りは国王であればなんとかなると考えていた。
「……ついたぞ」
彼らの目の前に、国王アンブローシウスの私室へと繋がる小さな扉が現れる……正しい道順で通路を抜けないと見つけることのできない特殊な魔法をかけられた場所。
そこにある扉は異様な雰囲気を放っており、侵入者である彼らは思わずごくりと喉を鳴らす……この先に国王陛下が軟禁されている。
ウインガー子爵は扉を開ける前に一度深々と扉に向かって頭を下げる……アンブローシウスを救出したら何を伝えようか。
アンダースが強権を発動し王国の行末を左右するような命令を連発し、クリストフェルとの戦争を起こしたこと。
クリストフェルは数少ない仲間とともに不利な戦争を見事勝ち抜いていること……そして辺境の翡翠姫シャルロッタ・インテリペリは隠されていた能力を発揮し、英雄として名を馳せていること。
まるでお伽話の中にある英雄譚のよう……在りし日の国王陛下であれば、嬉しそうに笑ってそう言葉にしただろう。
「陛下、ウインガー子爵が助けに参りました……御免」
子爵がゆっくりと小さな扉を開けて中へと入っていく……同行者である男達も彼に続いてその中へと入っていくが、真っ暗で広い部屋の中暖炉の横にある小さな扉から彼らは国王の私室へと侵入していた。
明かりがひとつもついていない……窓から差し込む月の光がぼんやりと部屋の中を照らしているが、明らかに光量が小さく広い部屋の中をはっきりと見ることができない。
そんな彼らの前でのそり、と動く影が見える……外套のようなものを纏っているようにみえ、ウインガー子爵はそっとその影へと声をかけた。
「陛下? 陛下でございますか?」
「う、お……おおぉ?」
影はその声に反応するようにのそのそと動いている……大人の腰ほどの高さだろうか? ずるずると絨毯の上を何か重い物を引き摺るような音を立てて、ウインガー子爵達の前へとその影がゆっくりと歩みでた。
その姿はまるで肉塊のようにも見えた……紫色と黒色の瘤のような物をぶら下げながら、元は人間だったのだろう、目鼻立ちなどの痕跡のような跡が残ったぶよぶよの塊が月の光に照らされてその姿を表す。
あまりに奇怪で不気味なその姿に、侵入者達は思わず息を呑んだ……怪物? いやこのような怪物など存在しようはずがない。
ここは王城……しかもアンブローシウス陛下の私室だ。
「おお、おおお?」
「ば、化け物……」
「い、いや待て……纏っている外套は……」
ウインガー子爵はその真紅に染め上げられた元々は美しい光沢を放っていたであろう外套を見て、ハッとした気分になった。
アンブローシウスはその日の気分で外套を変えることがあったが、基本的には同じ色の物を好んで着用していた。
薄汚れてあちこちがボロボロになった外套は以前アンブローシウスが好んで着用していたものの一つ……どういうことだ? と子爵は混乱する。
肉塊は半分溶けて腐臭を放つ腕だったはずの器官を懸命に伸ばして子爵達へと近づこうとしている……奇怪かつ醜悪な塊が近寄るたびに侵入者達は思わず一歩ずづ後退りしていた。
「おおおお? おおおおお?!」
「く……この怪物め! 陛下はどこだっ!」
ウインガー子爵は目の前の怪物……正確には膨れ上がった肉の塊なのだが、それがこれ以上近づかないようにするため腰に差していた剣を引き抜くと、肉塊へと突きつけた。
その行動に驚いたのか、肉塊は呆然としたかのように立ち止まると切先を見つめて、唸り声を上げた……まるで泣いているかのような、それとも怒りを表しているのか、不気味な声が部屋へと広がっていく。
その声にに反応したのか、別の方向からかしゃかしゃという音を立てながら天井を這うように別の生物が姿を表す……それは不気味な昆虫のように見える怪物だった。
灰色と黒を基調としたマダラ模様の甲虫に見える体と、その顔には彼ら全員が見覚えのある……イングウェイ王国宰相であり、絶大な権勢を振るった貴族の一人であるアーヴィング・イイルクーンの顔がそこにはついていた。
「キョアアアアア?」
「さ、宰相殿の顔が……!」
「か、怪物めええええッ……!」
「ギョアアアアアア!?」
ウインガー子爵だけでなくその場にいた男達全員が背筋が凍りつくような感覚に襲われる……一斉に剣を引き抜くと、雄叫びと共に子爵達は怪物へと切り掛かった。
意外なことに、その怪物達は抵抗をする様子もなく子爵達の攻撃を受けて血飛沫と奇怪な悲鳴をあげながら床へと倒れ込む。
アーヴィングそっくりの顔を持った甲虫は緑色の体液を吹き出しながら、痙攣しつつ床へと倒れ悲鳴を上げる間もなく絶命する。
肉塊も何度か低い呻き声を上げた後ぴくりとも動かなくなり、侵入者達はこの光景がまるで現実ではないかのような感覚に陥っていた。
なんだこれは……彼ら全員がそう思っていたとき、くすくすと笑う声が聞こえてきたことで彼らはハッとして声の方向へと剣を向けた。
「誰だっ!」
「……あらあら……淑女に剣など向けないでくださる?」
そこにいたのは夜の闇かのような美しい長い黒髪を持った美女だった。
闇の中でもぼうっと光る赤く輝く瞳をもち、微笑を湛える口元にはチラチラと紫色の舌が覗いており、その女性が明らかに人間ではないことを示している。
だが美しい……白磁のように滑らかで白い肌は申し訳程度にしか纏っていない夜着の上からでも恐ろしく豊満であり、尚且つ男性であれば思わず息を呑むような妖艶さが漂っている。
子爵は油断なくその美女へと剣を向けつつ問いかけた。
「お前は何者だ……!」
「欲する者……ノルザルツが眷属にして快楽と欲望を司る訓戒者……」
「欲する者?!」
アンダース国王代理の側に侍る女性の一人がそう名乗っていたことを子爵は知っていたのだろう、驚くとともに不気味というよりは、圧倒的な存在感、そしてその場にいるだけで気分が悪くなるほどの濃密な魔力の渦に意識を失いそうになりながらも彼は剣を構えている。
そんなウインガー子爵の様子を楽しそうに見つめながら欲する者は再び歪んだ笑みを浮かべた。
「……そこの肉塊はあなたが探していたものの成れの果て、国王陛下そのもの、哀れな国王陛下は悪逆な貴族に殺されてしまったのよ」
「ば、バカな……この怪物が国王陛下なわけがない!」
「裏道を抜けてきたのでしょう? わざわざ開けていた場所を使ってきてくれるなんて好都合よ、でもね暗殺者は死ななければいけない、口封じってやつよ」
欲する者が軽く腕を振るうと、子爵以外の全員……怯えながらも逃げ出そうとしていなかった全ての兵士たちが巨大な肉の花を咲かせたかのように、一瞬にして血飛沫を上げながら肉片となって砕け散る。
まるで肉体の全てが内側からひっくり返って破裂したかのような光景に、ウインガー子爵はなんとか保っていた勇気が一瞬にして砕けたような気分に陥ると、へなへなと床へと座り込んでしまう。
目の前にいる美女は明らかに人間ではない、まるで一瞬の殺戮を楽しむかのように歪んだ笑みを浮かべている。
へたり込む子爵を見て満足そうに微笑むと、欲する者はちろりと紫色の舌を伸ばして舌なめずりするとウインガー子爵の頭にそっと手を乗せて囁いた。
「……知っているかしら? 人間は肉片になる時が一番美しいの……赤くて鮮やかな色が、命を散らす絵画のように見えるのよ? では……さようなら愚か者よ」
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