わたくし、前世では世界を救った♂勇者様なのですが?

自転車和尚

文字の大きさ
上 下
292 / 430

(幕間) 少女 〇二

しおりを挟む
 ——その裏路地には一人の女性が事切れて倒れている……そんな状況の中、黒い巨体が音もなくそのそばへと降り立った。

「……ママ!」
 ユーリは目の前で血を流して倒れている彼女の母親の姿を見つけて、慌ててユルの背中から飛び降りる……彼女が母親を揺さぶっても起きることはない、すでに命はなく事切れているからだ。
 必死に起こそうと声を上げるユーリをよそに、ユルは母親の体に付着した匂いを嗅ぎ取る……致命傷となった腹部の傷はまだかろうじて熱を持っており、殺されたのはほんの少し前であることに気がつく。
 そしてあまりいい匂いではないが、汗や何やらが混じった嫌な匂い……薬物まじりだろうか? ひどく不快感を感じさせる悪臭にユルは思わず咳き込む。
 この匂いは……混沌の眷属もしくはその信奉者に付着している独特の香料のように思える……まずいな、少女をこのままここに居させるのは危険だ。
「ユーリ……お母さんのことは残念ですが、すぐにここを離れないと……衛兵にお願いしましょう」

「ママあ! ママ起きて……!」
 ユーリは冷たくなり始めている母親の体に縋り付いて離れようとしない……ユルはどうするか迷っていたが、ユーリの泣き叫ぶ声に表通りの人間が気がついたのだろう。
 ガシャガシャと音を立ててエスタデルの衛兵が路地へと入ってくるのに気がついた……そこに黒い巨体に赤い目をしたユルが少女のそばに立っていることに気がついてギョッとした表情を浮かべる。
 だがその首にインテリペリ辺境伯家の紋章が付いていることに気がつくと、少し困惑したような表情を浮かべたのち衛兵の中でも中年に差し掛かった男性がユルへと声をかけてきた。
「……あ、ああ……貴方は辺境伯家の……ええとガルムのユル様ですか」

「はい、我はユル……シャルロッタ様の契約している幻獣です、この少女はユーリです」

「ど、どういう状況ですか? それに死人が出ているようですが……まさか?」
 中年の衛兵の視線がユルをじっと突き刺すように見つめる……いやいや、そんな目を向けられてもと思いつつも、この状況は大変まずいことに改めて気がつく。
 幻獣ガルムの扱い……この世界において神の使いであると同時にその凶悪な見た目から魔獣との区別がつきにくい存在でもある。
 黒い毛皮に深紅の瞳……特にユルは年若いガルムでありながら体が非常に大きく立派であり、そしてその醸し出す雰囲気は強者のそれだ。
「い、いや……我はこのユーリの頼みで……」

「し、しかし……目の前に死体がある以上お話を詳しく聞かなければいけません」

「ママあ!」
 衛兵の話はもっともだとユルは思った。
 疑わしい状況にいるユルやユーリから話を聞かないことには捜査もできないのだから……目の前にいる衛兵は職務に忠実な行動をとっているに過ぎない。
 エスタデルの衛兵は比較的優秀な人物が揃っているため最終的には犯人を捕えることも難しくはないだろう、むしろこのままユーリを引き渡して終わりという幕引きもできるはずだ。
 だが……どうにも混沌の使徒がエスタデルに潜伏しているかもしれない、という可能性が心の片隅に残っている……それを探り当てないことには。
 ユルは少し考えを巡らせたのち決意をしたのか、ユーリの側へと近寄ると彼女へと優しく語りかけた。
「ユーリ、我はお母さんを傷つけたものを探しにいきます、貴方は衛兵のおじさんと一緒にいてください」

「ユル……どこかいっちゃうの? ママは……」

「ママ殿は女神様の元へと向かわれています、一度女神様の元へ向かった人は帰ってきません」

「そんな……もう会えないの? 私どうしたらいい?」

「我が貴女を保護します、我の主人に頼めば色々と手助けしてくれるはず……」
 そうだ、シャルロッタならなんとかしてくれるはずだ……インテリペリ辺境伯家では身寄りのない子供を引き取り、辺境伯家で働かせることもあったと聞いている。
 現当主であるクレメント伯も慈愛に満ちた人物であることも知られているし、なんらかの赦しは得られるのではないか? と思うのだ。
 ユルはそっとユーリの頭に前足を乗せて優しく撫でると、彼女の頬を軽く舌でペロリと舐めた……以前小さな子供が泣いた時にそうしたら泣き止んでくれたという経験からだった。
 その想いが伝わったのか、ユーリはまだしゃくり上げてはいるものの、先ほどまでよりは随分落ち着いてみえる……それをみたユルは衛兵へと向き直って一度頭を下げたのち語りかけた。
「申し訳ないのですがユーリをシャルロッタ様の元へ事情を説明すれば預かってもらえます、それと我より伝言を……『想定外の事態が起きている』と」

「……わかりました、お伝えします」

「我はユーリの母親を殺めた犯人を探します、必ず衛兵隊に引き渡しますので遠吠えが起きたらその場所へと来てください」
 ユルの言葉に中年の衛兵は黙って頷く……少なくとも暴れる素振りを見せないユルが本当に目の前の死体に関わっているとは考えにくかったのだろう。
 衛兵は年若い部下たちに命令して、ユーリの母親を運ぶように告げるとユーリの側へとしゃがみ込んで何やら話しかけ始める。
 それをみていたユルはすぐに地面へと鼻を近づけて匂いを探っていく……混沌の香料、これは人食い花などを乾燥させて作られるものが多いらしいが、その嫌な匂いが消えないうちに追いかけなければいけないからだ。
 正直いえば嗅ぎたくない匂い……だが、追いかけるためにはやむをえまいとその方向を定めていく。
 母親を襲ったのは人間大の生物……人間かどうかはわからないが、少なくとも複数人がここから立ち去っているのがわかる。
「こちらか……」

 地面の匂いを追いかけながらゆっくりと歩き出すが、路地裏から黒い巨大な狼のような彼が出てきたことで、表通りにいた複数の人がギョッとした表情を浮かべる。
 やはりユルの首につけられた紋章を見て、納得したかのような表情へと変わるのが少し面白い、と思った。
 エスタデルの街は広く衛兵が定期的に巡回しているとはいえ、裏稼業に携わる人間が溜まり場にしている場所なども多い。
 多くは取り決めがなされており、大きな犯罪に発展することは珍しい……これはインテリペリ辺境伯家の先祖が街を大きくしていくにあたって、盗賊組合シーブズギルドとの契約を結んでいるからだ。
 それ故に重大な犯罪が起きたとしても衛兵が捕まえるよりも早く盗賊組合シーブズギルド所属の盗賊たちが犯人を突き出してくることもあるのだ。
「……だが今回は難しいかもな……」

 匂いはやはり混沌の眷属もしくは信徒……明らかに強い薬物の匂いが残っている。
 追いかけていくに従って、シャルロッタから教えられていた盗賊組合シーブズギルド管轄の地域ではない場所へと向かっているのがわかる。
 最近エスタデルの郊外にできた新区画の少し見窄らしいあばら屋が立ち並ぶ地域の入口へと到着する。
 この場所はまだ衛兵による立入捜査ができていない地域だ、と前にリヴォルヴァー男爵が話しているのを聞いている……そのうち検査を行い住民を別の地域へと移動させなければいけないという話だったはずだ。
 左右を見渡して誰にも見られていないことを確認するとユルはその姿を影の中へと溶け込ませる……影から影へと別の空間を渡って移動していく。
 こうやって移動することで、姿を見られずに一定の距離までは移動が可能だ……影移動シャドウウォークと呼ばれる魔法の一種を使ってユルは次々と建物の影から影へと移動を繰り返していく。

「……この辺り……見つけた……」
 ユルの鼻に先ほどまで追いかけていた強い混沌の薬物が放つツンとした刺激臭が感じられて、思わず咳き込みそうになるが……影の中からそっと顔だけを覗かせて彼の目の前に広がる小さな広場の様子を確認していく。
 あばら屋が立ち並ぶ最中不自然なほどにひらけた場所には小さな井戸がポツンと設置されている……ちょうどこの区画の中心地に近い場所のため、おそらく住み着いた住人たちはこの井戸を中心に家を建てていったのだろう。
 そして広場を観察している彼の目には強い魔力……井戸の中から異様とも言える雰囲気を持った魔力が立ち上っているのが見えた。
 井戸はすでに水を引き上げるための道具が設置されておらず枯れ井戸になっていることがわかる……そして匂いの素は一直線にそこへと向かっているのだ。

「枯れ井戸の中か……」
 のそり、と影の中から姿を現したユルは井戸の近くへと近づいていくが、よく見れば地面にははっきりと井戸へと向かう小さな足跡が続いていることに気がつく。
 まるで爬虫類のような不気味な足跡……二足歩行、直立をした種族で考えるならリザードマンなどが考えられるが、それにしては尻尾を引きずったような跡がない。
 それ以上にリザードマンはむやみやたらに犯罪を犯すような種族ではないはずだ……人間との取り決めによって彼らは定められた法を守る盟約を結んでいる上混沌に与することを恥として認識している。
 もう一つ考えられるのは……混沌の眷属、だがそれにしては幾分か小さすぎる気がするが……とユルは悩みながらも井戸の中を覗き込む。
 嫌な匂いだ……だがここで引き下がればエスタデルで起きた殺人事件の犠牲者が増えてしまう可能性もある……少し悩んだあと彼はそっと井戸の中へと少し小型化した肉体を滑り込ませるように入っていった。

「……仕方ない、後でお風呂に入ってもらって体を洗おう……この匂いは我慢ならん……」
しおりを挟む
感想 88

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる

農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」 そんな言葉から始まった異世界召喚。 呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!? そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう! このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。 勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定 私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。 ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。 他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。 なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。

【完結】実はチートの転生者、無能と言われるのに飽きて実力を解放する

エース皇命
ファンタジー
【HOTランキング1位獲得作品!!】  最強スキル『適応』を与えられた転生者ジャック・ストロングは16歳。  戦士になり、王国に潜む悪を倒すためのユピテル英才学園に入学して3ヶ月がたっていた。  目立たないために実力を隠していたジャックだが、学園長から次のテストで成績がよくないと退学だと脅され、ついに実力を解放していく。  ジャックのライバルとなる個性豊かな生徒たち、実力ある先生たちにも注目!!  彼らのハチャメチャ学園生活から目が離せない!! ※小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも投稿中

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

解呪の魔法しか使えないからとSランクパーティーから追放された俺は、呪いをかけられていた美少女ドラゴンを拾って最強へと至る

早見羽流
ファンタジー
「ロイ・クノール。お前はもう用無しだ」 解呪の魔法しか使えない初心者冒険者の俺は、呪いの宝箱を解呪した途端にSランクパーティーから追放され、ダンジョンの最深部へと蹴り落とされてしまう。 そこで出会ったのは封印された邪龍。解呪の能力を使って邪龍の封印を解くと、なんとそいつは美少女の姿になり、契約を結んで欲しいと頼んできた。 彼女は元は世界を守護する守護龍で、英雄や女神の陰謀によって邪龍に堕とされ封印されていたという。契約を結んだ俺は彼女を救うため、守護龍を封印し世界を牛耳っている女神や英雄の血を引く王家に立ち向かうことを誓ったのだった。 (1話2500字程度、1章まで完結保証です)

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。

勇者パーティを追放された聖女ですが、やっと解放されてむしろ感謝します。なのにパーティの人たちが続々と私に助けを求めてくる件。

八木愛里
ファンタジー
聖女のロザリーは戦闘中でも回復魔法が使用できるが、勇者が見目麗しいソニアを新しい聖女として迎え入れた。ソニアからの入れ知恵で、勇者パーティから『役立たず』と侮辱されて、ついに追放されてしまう。 パーティの人間関係に疲れたロザリーは、ソロ冒険者になることを決意。 攻撃魔法の魔道具を求めて魔道具屋に行ったら、店主から才能を認められる。 ロザリーの実力を知らず愚かにも追放した勇者一行は、これまで攻略できたはずの中級のダンジョンでさえ失敗を繰り返し、仲間割れし破滅へ向かっていく。 一方ロザリーは上級の魔物討伐に成功したり、大魔法使いさまと協力して王女を襲ってきた魔獣を倒したり、国の英雄と呼ばれる存在になっていく。 これは真の実力者であるロザリーが、ソロ冒険者としての地位を確立していきながら、残念ながら追いかけてきた魔法使いや女剣士を「虫が良すぎるわ!」と追っ払い、入り浸っている魔道具屋の店主が実は憧れの大魔法使いさまだが、どうしても本人が気づかない話。 ※11話以降から勇者パーティの没落シーンがあります。 ※40話に鬱展開あり。苦手な方は読み飛ばし推奨します。 ※表紙はAIイラストを使用。

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

処理中です...