わたくし、前世では世界を救った♂勇者様なのですが?

自転車和尚

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第二三八話 シャルロッタ 一六歳 内戦 〇八

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 ——幻獣ガルムの投入により、圧倒的な兵力差で攻め立てていたスティールハート軍の攻勢に限界が生じ始めていた。

 元々寄せ集めと新兵、そして金で雇われた荒くれ者の集団である。
 当初の勢いを失っていくことによって攻勢が難しくなることはスティールハート軍の指揮官たちはよく理解しており、この軍の編成は特殊な構造となっている。
 現在第二王子派の軍勢へと襲いかかっている部隊……これらは新兵と荒くれ者を中心とした寄せ集めが多く、装備も大したものではない。
 その後ろには弓兵と重装歩兵を中心とした本隊が布陣しており、弓兵には逃げ出そうとする前の部隊へと矢を射かけるための督戦隊としての役割が与えられている。
 最奥にはディマリオ・スティールハートが率いる少数の騎兵部隊が布陣しているが、過去にあった農民による蜂起や、盗賊狩りなどではこの部隊が活動したことは少ない。
「逃げるなっ! 戦えっ!」

「ふ、ふざけんな! 俺たちがなんで……ぎゃああっ!」
 逃げ出そうとした同僚の額に容赦無く矢が突き刺さるのを見て、隣にいた若い兵士はガタガタと震えながらも一歩一歩前へと進んでいく。
 元々この部隊に志願したのも故郷の農村が荒れ果て、食い扶持を失ってしまっているからだ……大軍の中の一兵士であれば死ぬ危険も少ないかもしれない、そんな甘い想像など一瞬で吹き飛ぶ状況。
 こんなことなら田舎に残って畑を耕していればよかった……と兵士は思うが、今更後に引くことなど出来はしない。
 隣のやつはどうしているんだ? とふと気になって隣を見ると、真っ青な顔でガタガタと震える若い兵士が全身を痙攣させながら必死に槍にしがみついているのが見えた。
「……お、おいお前すごい顔色だぞ……」

「……ああ、聖女様に……」

「あ?」

「聖女様に直してモらったんダぁ……腕モ生えテ……」
 真っ青な顔の兵士はニタニタとうれしげな笑みを浮かべつつ、口元をだらしなく開いて恍惚とした目でまるで別の方向を見ている。
 その場に救護施設で治療を受けていた者がいれば、その顔色の悪い兵士が少し前まで聖女ソフィーヤの治療を受けていたあの兵士だと言うことに気がついたかもしれない。
 だが……隣にいた兵士はその奇妙な雰囲気には気がついたが、怪我でもしているのかもと心配になって近づくと、様子のおかしい兵士の肩を軽く叩いた。
「お、おい……大丈夫か?」

「あァアアア……幸せダ!」

「うわぁああっ!」
 次の瞬間、様子のおかしい兵士の体がまるで風船のように膨らむ……大きな球体状に膨らんだ兵士の体は、脆い肉を引き裂いて骨や内臓が吹き出すように漏れ出していく。
 バキバキという無理矢理に関節が可動域を超えて崩壊する音と共に、巨大な肉塊と化した兵士の姿は血液と撒き散らされる肉片がまるで渦を巻くかのように膨れ上がっていく。
 声をかけた兵士はその渦に巻き込まれ、同じように肉体がひしゃげて破壊されていく嫌な音を立てながら悲鳴を上げる暇すらなく一瞬で消えていった。

「うわああああ! なんだ!」
「ぎゃあああああっ!」
「敵の魔法攻撃か?!」

 渦は周囲の兵士を巻き込みながら次々と赤黒い嵐となって吹き荒れていく……あまりの異変に督戦隊ですら矢を射かける手を休めてその血液と肉片の竜巻のようにすら見える光景を呆然と眺めているだけになっている。
 次第にその竜巻の回転が遅くなっていき、数百近いスティールハート軍の兵士を巻き込んだ異変が治っていくと、そこにはうずくまるように黒い不気味な怪物が深く深くまるで寝ているかのようにすら思えるほどの穏やかな息を吐いているのが見えた。
 その体はぬらぬらとした血液と、砕けきらない肉片、そして白い骨片に覆われており、その装飾は先ほどまで竜巻に巻き込まれていた人間のものだということがわかる。
「……ぐるぉおおおおおお……」

「ひいっ……いっ!」
 周りの兵士が腰を抜かして必死にその場所から遠ざかろうと這いずるっていくことに気がついたのか、その怪物はゆっくりと立ち上がる。
 意外なことにその怪物は人型をしていた……だが身長は三メートル近い大きさであり、肉体は上半身は恐ろしく筋骨隆々な男性のものだが、下半身は黒と黄色い体毛に覆われた蜘蛛そのものだった。
 そして顔には複眼を持ち、口に当たる部分が四つに割れる牙に覆われた人のようでありながら人ではない恐怖すら覚える外見をしているのだ……その姿を見た兵士たちは恐怖のあまり失禁しながら必死にその場を離れていく。
「か、怪物だ……!」

「……いいえ……私は怪物などではありません」
 冒涜的な姿をした怪物が感情を感じさせない言葉を放ったことで、兵士たちは驚きと恐怖でその場で立ち止まる……いや、正確には動けなくさせられている。
 ギシギシという軋むような音を立ててその不気味な存在はゆっくりと動き出す……どこか作り物のような、そして顔にある複眼が様々な色に変化しながら瞬く。
 この場に「赤竜の息吹」のメンバーが立ち会っていたのであれば、過去に会ったことのある悪魔デーモンとの共通点を見出したかもしれない。
「私は暴力の悪魔バイオレンスデーモンクーラン……血と肉と恐怖によって顕現した悪魔デーモンです」

「ば、暴力の悪魔バイオレンスデーモン?」

「……かしこまりました、では殺戮を始めましょう……」

「な……何を、うわあああああっ!」
 クーランは突然まるで違う方向へと一度恭しく首を垂れるような動作を見せると、呆然と彼を見つめる兵士たちを無視して軋むような音を立てながら第二王子派の陣地へと向かって歩き始める。
 だがその進路にいる兵士には気がついていないのか、そもそも眼中にもなかったのか武装をした兵士をまるで路傍の石を蹴飛ばすかのように跳ね飛ばし、悲鳴と肉片を撒き散らしながらまっすぐ進んでいく。
 悪魔デーモンの巨体は恐ろしく重く、そしてその細いが頑丈な足は人間の体を踏み潰し、恐怖と絶望を振り撒いて進む。
 怪物が突き進んでいった後には、悲鳴と絶望そして流血と肉片が撒き散らされた凄惨な光景へと変貌していく……だがクーランはまるで意に介せず、無機質な声を響かせたまま歩いていく。
「私は暴力の悪魔バイオレンスデーモンクーラン……召喚者の名により殺戮と絶望を皆様の元へ」



「……あらやだ、暴力の悪魔バイオレンスデーモンなの? ハズレを引いちゃったわ」
 スティールハート軍を眺めながら、銀色のゴブレットから血のように赤いワインを一口含み、その味を楽しむかのように舌で転がした後、ソフィーヤはそばに控えるディル・アトキンスへと肩をすくめるように苦笑いを見せる。
 重傷を負った兵士に飲ませた液体の効果には満足しつつも、お目当てのものが出なかった子供のように残念がるソフィーヤを見つつ、神聖騎士団員であるディルは眉ひとつ動かさずに黙って頷いた。
 自らが敬愛する聖女ソフィーヤ……彼女の行動は最近奇妙なものへと変化しているのは気がついている。
「……本来は違うものを呼び出すはずでしたか?」

「ええ、どうせなら天使エンジェルが欲しかったわ」

「……でも実際には悪魔デーモンが出現した、と」

「あの兵士の煩悩が強すぎたのでしょうよ、女神様もお怒りなのではないかしら」
 ソフィーヤはゴブレットを側机へと戻すと、大袈裟な仕草で両手を使って祈りを捧げる……だがその口元は歪んでおり、決して本音でものを語っていないことだけはわかる。
 いつからこうなっただろうか? 聖女認定の少し前、アンダース国王代理……当時はまだアンダース殿下と呼ばれていたが、彼を介してあの顔を思い出せない奇妙な女と交流を持つようになってから彼女は変わった。
 聖女たる能力を発揮し、慈愛と優しさを持つ治癒魔法の使い手となったはずの彼女が時折恐ろしいと思うようになったのは偶然ではない。
 天使エンジェル悪魔デーモンの違いがなんであるか、女神の教えではその存在は似たようなもの、根源が同じものであると教えている。
悪魔デーモンだったとしても、この世界に顕現した以上命令には従うわ……ある程度敵兵を削り切ったらあとは元の世界へとお帰りいただくわよ」

「……そうですか、女神様はなんと?」

「……王国の存続を望むのであれば、多少の死を許容しろとおっしゃっているわ」
 ニタリとした笑みを浮かべたソフィーヤの顔を見たディルは、背筋がゾッと寒くなったような感覚に陥った。
 その笑みはどこかで見たことがある、顔も思い出せないあの女の笑みにそっくりだ……あれはいつだろうか? アンダース国王代理の側で艶かしい笑みを浮かべていたあの……ディルの脳内に赤い瞳がまるで遠くから自分を見ているかのような感覚を覚えたあと、彼は大きく身を震わせる。
 恐怖……いや考えてはいけないと思う強い欲求が彼を包み込む……そう、考えてはいけないあの女のことは考えると怖いのだ。
「……風邪でも引いたかしら?」

「い、いえ……少し考え事をしておりました」

「そう、まあ戦場の様子をそっと眺めましょう」
 ソフィーヤはくすくす笑うと、悲鳴と怒号そして大きな怪物がゆっくりと進む戦場へと視線を戻す……スティールハート軍の崩壊は免れない。
 元々無理のある作戦計画だ……督戦隊もその光景についていけず呆然とした様子で、大きな怪物が歩いていくのを見ている。
 戦争であったはずのその場所が、悪魔デーモンによる殺戮の場となるなど誰が予想できようか? だがその光景を見て聖女は咲う。

「十分弱ったところに神聖騎士団を突入させるわ、準備なさい」
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