上 下
245 / 402

第二一〇話 シャルロッタ 一六歳 暴風の邪神 一〇

しおりを挟む
 ——メネタトンの街にまで聞こえる轟音はある時を境に聞こえなくなっていた……。

「……音は消えたな……心なしか雪の量も減ったか?」
 メネタトンの街の中心地、居城としている小さな砦ヴァルケヒエッテンの窓から外を眺めつつ、ビョーン・ソイルワーク男爵はほっとため息をついた。
 ソイルワーク男爵……年齢は三〇代中盤で鍛えられた細身の肉体と仕立ての良い衣服を身に纏った赤髪の男性であり、このメネタトンの街を治める領主である。
 衛兵からの報告で警戒態勢を強めていたが、これでようやく一息つけるだろうか? 内戦に突入している第一王子派と第二王子派の争いから少し距離を置きたがっている身としては、領地で起きる異変に辺境伯家の力はあまり借りたくはないのだ。
 インテリペリ辺境伯家の寄子貴族の身ではあるが、戦となっても兵を出すことはしないと通達をしているため、介入を招きかねない事態は避けたいとも考えている。
「……衛兵に連絡を、警戒態勢を解いてよろしい」

「はっ!」
 ビョーンの言葉に頷くと、執事を務めるエルメントは静かに頷くと執務室を出ていく……メネタトンは辺境伯領の中でも北部に位置しており、冬の間は雪に閉ざされることも多い秘境とすら称されることの多い山地に建設された街だ。
 人口は二〇〇名程度だが、周辺の山地を住処にしている魔獣などを狩り加工することなどで生計を立てる民が多く、さらには魔獣を狙って冒険者が集まるため冒険者組合アドベンチャーギルドの支店が建築されている。
 そのため人口よりも来訪者が多い街でもあり、辺境伯家にとっても重要な都市の一つになっている……それ故歴代ソイルワーク男爵の権限は大きく、他の寄子貴族とは格式が異なっている。
「……そういえば先日衛兵がシャドウウルフを連れた女を見たと話していたな……」

 ビョーンは衛兵達が話していた噂話をふと思い出した……シャドウウルフはメネタトンでも多く狩猟の対象となる魔獣だが、冒険者が連れている従属テイムされた個体は珍しい。
 美しく輝く黒い毛皮をもつシャドウウルフを連れている冒険者の噂話などここ数年聞かなかったな……と辺境伯領で活動する冒険者の記録を思い出す。
 魔物使いテイマーとして登録されている冒険者の数は非常に少なく、冒険者組合アドベンチャーギルドのリストにも数えるほどしか載っていなかった。
 しかもその中で女性となると……とそこまで考えると、ビョーンは一つだけ思い当たる節を思い出した。

「……確かシャルロッタ嬢はガルムを連れていたな……」
 インテリペリ辺境伯家の誇る辺境の翡翠姫アルキオネことシャルロッタ・インテリペリは幻獣ガルムをどういうわけか従属テイムしており、その能力は未知数だと言われていた。
 だが王都において第一王子アンダースによって第二王子であるクリストフェルが政変に巻き込まれ、脱出……その後紆余曲折がありハーティにおいて戦闘が繰り広げられ、第一王子派をなんとか追い返した。
 その際に辺境の翡翠姫アルキオネ、という噂が流れてきている……男爵は昔見たことのあるシャルロッタの顔を思い出す。
 美しい少女だった……銀色の髪にエメラルドグリーンの瞳、母親似の整った顔立ちは辺境伯領だけでなく、王国すべての男性の憧れとも言われていた。

「……まさかな」
 彼女が素晴らしい能力を隠し持っていた、ということは辺境伯領だけでなくハーティの戦いを知るものには次第に知れ渡っているのだが、男爵の治めるメネタトンは内戦に積極的な介入をしていないこともあって詳しい情報を手に入れることができていない。
 それ故にシャルロッタが人外の能力を持ち、相手をねじ伏せる凄まじい強さを持っている……という本当の内容を知ることはなかった。
 せいぜいガルムを使役しているのだから、それなりに戦えるのだろう……という評価ではあるが、この街に彼女がきているのだとしたら、寄子貴族としてもそれなりの応対をしなければならない。
 その時、扉がコンコンと叩かれたため男爵は「入れ」と声をかけると……先ほど出ていったはずのエルメントが少し困った表情で部屋へと入ってきた。
「旦那様……実はお耳に入れたいことがございます」

「どうした? 衛兵には伝達が済んだのだろう?」

「はい、その際に聞いたのですが……シャドウウルフの背に乗った女の話を伝えられまして……」
 エルメントによると先日街に訪れた魔物使いテイマーの女冒険者が一旦は街の外へと出たものの、あの轟音や雷光などが収まったあと、シャドウウルフの背に乗せられて気を失ったまま街へと帰還したのを衛兵が見ていた。
 銀髪の女性で顔ははっきりとは見えていなかったが、少なくとも普通の冒険者には見えなかったと報告してきていた……さらにそのシャドウウルフは特別な個体らしく、衛兵が止めようとしたところ言葉を話し説明をしてきたのだとか。

『おい、待てっ!』
『我主人が疲弊していて……先日泊まった宿に戻る予定です』
『喋れるのか?』
『主人によると我は特別な個体だとかで……確かこの辺りに冒険者の証が……』

 そう言って口元で背に乗せた女冒険者の首元から青銅級を表すペンダントを引っ張り出して見せたのだという。
 不審ではあったものの、女性の容態が心配だという特別個体のシャドウウルフはそのまま冒険者達が常宿にしている「暁のコブラ亭」にいるとだけ伝えて、そのまま立ち去ったそうだ。
「……言葉を喋るシャドウウルフだと……?」

「はい、かなり流暢に喋っていたそうですが……」

「……そんなものいるわけがなかろう……まずいな、馬車の準備を急げ!」
 男爵が報告を聞いて顔色を変えたのを見てエルメントは少し驚くが、すぐにビョーンはメイドを呼ぶと着替えの準備を始める……シャドウウルフを名乗る喋る魔獣、銀髪の女性……男爵には思い当たる人物が一人しか思い浮かばなかった。
 辺境の翡翠姫アルキオネシャルロッタ・インテリペリ……インテリペリ辺境伯家の令嬢にして、第二王子の婚約者にしてハーティの戦乙女……先日の異変ももしかしたら彼女がこの地に現れたことから始まったものかもしれない。
 そして主家であるインテリペリ辺境伯家の令嬢を無碍に取り扱ったとしたら、どういう言いがかりをつけられるかわかったものではないのだ。
 まずはシャルロッタがどうしてこのメネタトンへやってきたのか確認をしなければいけない……そして早々に立ち去っていただかなくては。
「……本当にまずいぞ……下手をすると、このまま主家の娘を匿っていると第一王子派の矛先がこの街へと向くやもしれぬ」



「……さて……どうやらシャルロッタ何某はメネタトンへと到着したようだ」
 小さな街の明かりが見える場所、高台の上にて不気味な姿をした使役する者コザティブが黄金に輝く瞳をぎょろぎょろと動かしながら呟く。
 あえて手出しをせず、足取りを追っていたが辺境の翡翠姫アルキオネは疲弊しているらしく、道中幻獣ガルムが背負ったまま全く動こうとしなかった。
 暴風の邪神ウェンディゴも存外に役に立つ……と内心ほくそ笑みながらも、メネタトンを遠巻きに見つめてどうするべきか思案を巡らせる。
 この地は第一王子派の所領からは少し離れており、最も近い場所でも数日はかかる位置になっている……冬の間は陸の孤島とさえ言われるこの地に辺境伯家に察知されずに軍勢を呼び出すことはかなり難しい。
「……なら手駒を作り出すか……」

 使役する者コザティブはパチン、と指を鳴らすと地面に急激な勢いで汚泥のようなものが渦を巻いて出現する……そしてその汚泥は次第に形を成していき、でっぷりと太った体とあちこちが歪に歪んだ、ニタニタと笑顔を浮かべる悪魔デーモンがそこに出現する。
 疫病の悪魔プラーグデーモン……以前この世界に顕現したサルヨバドスとは違う個体で、色合いが紫色を中心とした少しカラフルな色合いの第四階位に属する悪魔デーモンがあたりを興味深そうに見回しながら目の前に立つ訓戒者プリーチャーへと首を垂れる。
「ケヒヒッ! ……ブラドクススが召集に応じた」

「久しいな病原菌にして汚泥の一つよ」

「我が神が愛する訓戒者プリーチャーの召集に答えぬ者いない」

「ふむ……一つ仕事を任せたい、やれるか?」

「何なりとお命じを」
 ブラドクススは笑顔を浮かべると、まるで待っていましたとばかりに両手を擦り合わせてまるで媚を売るかのような仕草を見せる。
 第四階位疫病の悪魔プラーグデーモンはディムトゥリアの眷属そして最弱の尖兵にして、病原菌を撒き散らす汚物である。
 以前呼び出されたサルヨバドスは呪いという分野に精通したものだったが、今回のブラドクススは病魔に長けたものである……彼を使う意味は一つしかない。
「では疫病の悪魔プラーグデーモンに命ずる……冬の魔獣へと病魔を忍ばせ、我の合図にてメネタトンへと襲撃を仕掛けさせる」

大暴走スタンピードを起こすのですな」

「そうだ……お前の権能にあるだろう?」
 恭しく首を垂れたブラドクススはニタニタと笑うと、その場で肯定を意味するのか楽しそうに小躍りを始める……彼の存在意義は病気を蔓延させること。
 病気となるものはなんでも良く、訓戒者プリーチャーに言われた大暴走スタンピードを起こす病原菌を魔獣に植え付けていくのは喜びを感じる仕事なのだ。
 嬉しそうに小躍りを繰り返しながらその場をさっていく疫病の悪魔プラーグデーモンを眺めながら、歪んだ笑みを浮かべた使役する者コザティブは、まだ何も知らないメネタトンの街を眺めつつほくそ笑んだ。

「……さあ、この小さな街をお前が守って見せよ辺境の翡翠姫アルキオネ……早く目覚めねば人々が死んでいくぞ、クハハハッ!」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄騒動に巻き込まれたモブですが……

こうじ
ファンタジー
『あ、終わった……』王太子の取り巻きの1人であるシューラは人生が詰んだのを感じた。王太子と公爵令嬢の婚約破棄騒動に巻き込まれた結果、全てを失う事になってしまったシューラ、これは元貴族令息のやり直しの物語である。

異世界災派 ~1514億4000万円を失った自衛隊、海外に災害派遣す~

ス々月帶爲
ファンタジー
元号が令和となり一年。自衛隊に数々の災難が、襲い掛かっていた。 対戦闘機訓練の為、東北沖を飛行していた航空自衛隊のF-35A戦闘機が何の前触れもなく消失。そのF-35Aを捜索していた海上自衛隊護衛艦のありあけも、同じく捜索活動を行っていた、いずも型護衛艦2番艦かがの目の前で消えた。約一週間後、厄災は東北沖だけにとどまらなかった事を知らされた。陸上自衛隊の車両を積載しアメリカ合衆国に向かっていたC-2が津軽海峡上空で消失したのだ。 これまでの損失を計ると、1514億4000万円。過去に類をみない、恐ろしい損害を負った防衛省・自衛隊。 防衛省は、対策本部を設置し陸上自衛隊の東部方面隊、陸上総隊より選抜された部隊で混成団を編成。 損失を取り返すため、何より一緒に消えてしまった自衛官を見つけ出す為、混成団を災害派遣する決定を下したのだった。 派遣を任されたのは、陸上自衛隊のプロフェッショナル集団、陸上総隊の隷下に入る中央即応連隊。彼等は、国際平和協力活動等に尽力する為、先遣部隊等として主力部隊到着迄活動基盤を準備する事等を主任務とし、日々訓練に励んでいる。 其の第一中隊長を任されているのは、暗い過去を持つ新渡戸愛桜。彼女は、この派遣に於て、指揮官としての特殊な苦悩を味い、高みを目指す。 海上自衛隊版、出しました →https://ncode.syosetu.com/n3744fn/ ※作中で、F-35A ライトニングⅡが墜落したことを示唆する表現がございます。ですが、実際に墜落した時より前に書かれた表現ということをご理解いただければ幸いです。捜索が打ち切りとなったことにつきまして、本心から残念に思います。搭乗員の方、戦闘機にご冥福をお祈り申し上げます。 「小説家になろう」に於ても投稿させて頂いております。 →https://ncode.syosetu.com/n3570fj/ 「カクヨム」に於ても投稿させて頂いております。 →https://kakuyomu.jp/works/1177354054889229369

「お姉様の赤ちゃん、私にちょうだい?」

サイコちゃん
恋愛
実家に妊娠を知らせた途端、妹からお腹の子をくれと言われた。姉であるイヴェットは自分の持ち物や恋人をいつも妹に奪われてきた。しかし赤ん坊をくれというのはあまりに酷過ぎる。そのことを夫に相談すると、彼は「良かったね! 家族ぐるみで育ててもらえるんだね!」と言い放った。妹と両親が異常であることを伝えても、夫は理解を示してくれない。やがて夫婦は離婚してイヴェットはひとり苦境へ立ち向かうことになったが、“医術と魔術の天才”である治療人アランが彼女に味方して――

うっかり『野良犬』を手懐けてしまった底辺男の逆転人生

野良 乃人
ファンタジー
辺境の田舎街に住むエリオは落ちこぼれの底辺冒険者。 普段から無能だの底辺だのと馬鹿にされ、薬草拾いと揶揄されている。 そんなエリオだが、ふとした事がきっかけで『野良犬』を手懐けてしまう。 そこから始まる底辺落ちこぼれエリオの成り上がりストーリー。 そしてこの世界に存在する宝玉がエリオに力を与えてくれる。 うっかり野良犬を手懐けた底辺男。冒険者という枠を超え乱世での逆転人生が始まります。 いずれは王となるのも夢ではないかも!? ◇世界観的に命の価値は軽いです◇ カクヨムでも同タイトルで掲載しています。

【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜

白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。 舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。 王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。 「ヒナコのノートを汚したな!」 「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」 小説家になろう様でも投稿しています。

『王家の面汚し』と呼ばれ帝国へ売られた王女ですが、普通に歓迎されました……

Ryo-k
ファンタジー
王宮で開かれた側妃主催のパーティーで婚約破棄を告げられたのは、アシュリー・クローネ第一王女。 優秀と言われているラビニア・クローネ第二王女と常に比較され続け、彼女は貴族たちからは『王家の面汚し』と呼ばれ疎まれていた。 そんな彼女は、帝国との交易の条件として、帝国に送られることになる。 しかしこの時は誰も予想していなかった。 この出来事が、王国の滅亡へのカウントダウンの始まりであることを…… アシュリーが帝国で、秘められていた才能を開花するのを…… ※この作品は「小説家になろう」でも掲載しています。

ちょっと神様!私もうステータス調整されてるんですが!!

べちてん
ファンタジー
アニメ、マンガ、ラノベに小説好きの典型的な陰キャ高校生の西園千成はある日河川敷に花見に来ていた。人混みに酔い、体調が悪くなったので少し離れた路地で休憩していたらいつの間にか神域に迷い込んでしまっていた!!もう元居た世界には戻れないとのことなので魔法の世界へ転移することに。申し訳ないとか何とかでステータスを古龍の半分にしてもらったのだが、別の神様がそれを知らずに私のステータスをそこからさらに2倍にしてしまった!ちょっと神様!もうステータス調整されてるんですが!!

せっかくのクラス転移だけども、俺はポテトチップスでも食べながらクラスメイトの冒険を見守りたいと思います

霖空
ファンタジー
クラス転移に巻き込まれてしまった主人公。 得た能力は悪くない……いや、むしろ、チートじみたものだった。 しかしながら、それ以上のデメリットもあり……。 傍観者にならざるをえない彼が傍観者するお話です。 基本的に、勇者や、影井くんを見守りつつ、ほのぼの?生活していきます。 が、そのうち、彼自身の物語も始まる予定です。

処理中です...