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第一〇六話 シャルロッタ 一五歳 王都脱出 一六

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 ——王都内を武装した兵士が走っている、早朝ということもあって目撃した民はあまり多くなく騒ぎにはなっていない……。

「いいか、声をあげるな……第二王子派に味方する商人だけが狙いだ」
 初老の兵士が後に続く兵士たちが頷く……彼らはイングウェイ王国中央軍に配属された部隊であり、第一王子派を示す黒の布を左腕に巻き付けている。
 彼らの顔には緊張と、不安と……そしてこれから何を行うのか分からない、と言ったふうにさまざまな表情が浮かんでいる。
 第一王子派はアンダース・マルムスティーン第一王子をトップとした派閥で高位貴族とそれ以外の貴族家、軍隊の寄せ集めに近く、彼らがそれぞれ別々の目的を持って参加している。
 目的を聞かされないまま隊長についてきた兵士達だったが、流石にそろそろ聞いてもいいだろう、とばかりに勇気あるその中の一人が隊長へと質問を投げかける。
「……隊長、この任務は第一王子殿下の御命令でしょうか?」

「違う、ベッテンコート侯爵閣下よりいただいた任務だ」
 隊長は油断なく辺りを見渡しながら応えるが、それを聞いた兵士の一部の表情が露骨に曇る……一兵士であれば命令に逆らうことは許されず、口応えをすることはない。
 兵士が兵士たる所以……とはいえ第一王子派に参加した兵士たちは理念のために働こうという気概はなく、給料がきちんと支払われるからとか流されるままに参加したものも多く存在している。
 イングウェイ王国が強国である以上に、長年の平和の中で王都に近い領地に駐屯する軍ほど実戦経験からは遠くなっており、魔物退治などを冒険者が代行している地方などでは、食いっぱぐれなく安全な職のひとつとして選択されることもあったりするからだ。
 そして、現在行動中の舞台は後者……忠誠心もそれほど高くない兵士達が集まっている部隊の一つでもあったため、国内でもあまり評判の良くないベッテンコート侯爵の命令、と言われてしまい露骨にやる気を無くすものも少なからず存在している。
「……ったくあんな貴族の言いなりにならなくてもいいのにな」

「聞いたか? 侯爵の領地は搾取がひどいんだとよ」

「第一王子派の中で信頼できる貴族様はそう多くないからな」
 兵士たちは隊長に聞こえないように小声で無駄話を始める……第一王子派に所属する中でもベッテンコート侯爵は特に評判が悪い貴族の一人であるためこの反応も仕方ない、とボソボソと話す兵士たちをチラッと見てから隊長は軽くため息をつく。
 ことさら隊長自身もこの任務には少し疑問を感じていて、表には出していないがやる気という部分に関して言えば兵士たちとそれほど変わらないレベルだ。
 今回の任務は第二王子派に味方している商人を逮捕、拘束すること……とされているが、命令書にあった罪状はかなり無理筋なものであり、非合法スレスレに近い言いがかりのようなものである。
 この命令を隠さずに伝えたとしたら兵士たちは抗議を始めてしまうかもしれない、それ故に隊長は最小限の命令以外は伝える気がなくなっていた。
「……そろそろ邸宅だ……ってどこかの馬車が邸宅の前に止まっています」

「なんだと?」
 前を走っていた一人の兵士が目標の門前に止まっている馬車を見て、隊長へと声をかけてきた。
 隊長が路地裏からその邸宅側を覗き込むと、そこには一台の馬車が止まっている……シンプルだが堅牢そうな外見だが、そこに掲げられている紋章を見て思わず息を呑んだ。
 紋章に描かれた図柄は塒を巻く巨竜……「捻れた巨竜レヴィアタン」と呼ばれるその紋章、イングウェイ王国ではこれを使っている貴族家は一つしかない。

捻れた巨竜レヴィアタン……ッ! インテリペリ辺境伯家の紋章じゃねえか……どうなってんだ!」
 隊長の言葉に周りの兵士たちの顔色が変わる……敵派閥の首魁、インテリペリ辺境伯家の馬車が目標の邸宅前に止まっている。
 先日の襲撃事件でインテリペリ辺境伯家の当主は領地へと帰還しており、王都に残っているのはあの辺境の翡翠姫アルキオネと少数の供回りのみと聞いている。
 ということは本人がいる……? 王都において辺境の翡翠姫アルキオネの名前は広く知れ渡っており、兵士の中にはあの演劇を見たものも多く存在している……隊長の言葉にざわざわと囁き合う兵士たち。
 中にはもしかして噂の辺境の翡翠姫アルキオネの姿が見られるのでは? と別の意味で期待に胸を膨らませているものすらいる始末だ。
 だが、隊長はひとつ大きく咳払いをすると控えている兵士たちへと宣言する。
「いいか! 辺境の翡翠姫アルキオネとはいえ容赦するなよ?! 邸宅を囲んで投降を促すぞ」



「……囲まれてますわねえ……ユル、何人くらいいるかしら」

「五〇名というところでしょうか、きちんと武装していますね」
 わたくしが尋ねると、影の中から姿を現した幻獣ガルム族のユルが少しヒクヒクと鼻を動かすと、呆れたような表情を浮かべて赤い目を輝かせる。
 この邸宅はエイミス商会という第二王子派に資金提供を行なっている商会長の別宅で、すでに商会関係者はこの邸宅を離れてひと足先にインテリペリ辺境伯領へと避難が完了している。
 商会長は好意でこの邸宅も使って良いとわたくしに鍵を渡してくれていて、王都を離れるにあたって戸締りの確認でここに来ただけなのだが、その先でこんなことになるとは。
 バタバタと誰かが走ってくる音が響くと、わたくしとユルがいる居間にリリーナさんが少し慌てた様子で扉を開けて入ってきた。
「シャルロッタ様、第一王子派の兵士が屋敷を包囲しましたが如何いたしましょうか?」

「そうですねえ……脱出はできそうですか?」

「……表から出ますよね?」
 あ、これ「赤竜の息吹」は堂々と出るつもりだな? まあわたくしもそのつもりだったけど……最近彼女はわたくしの意図をうまく理解してくれているようで、少しだけ微笑ましい。
 わたくしはほんの少しだけ口元を歪めて咲う……意図を汲み取ったと理解したのか、リリーナさんは同じくイタズラっぽい笑みを浮かべてわたくしへと微笑むと軽く頷く。
 少し遅れて部屋へとやってきたエルネットさんが何かを話す前に、リリーナさんは彼の肩をポンポン、と叩いてから彼を引っ張っていく。
「エルネット、シャルロッタ様は堂々した帰還をお望みよ」

「え? ええ?! ま、まあ……その方がらしいっちゃらしいか……」
 なぜかすぐに納得すると、エルネットさんは軽くわたくしへと手を振って微笑むとそのまま玄関の方へと歩いていく。
 ……らしい? 彼がいうわたくしらしいってなんだろうね? わたくしは傍で伏せているユルを見るけど、ユルはそっぽを向いたままあくびをしてわたくしと目を合わせようとしない。
 やれやれとわたくしは軽く両手を広げてから、廊下へと歩いていく……しかし、このタイミングでクリスに味方する商会長を捕縛しようとでも考えてたのだろうが、第一王子派……いやアンダース殿下ではなくおそらくハルフォード公爵やベッテンコート侯爵あたりが支持しているのだろうが、実力行使に出てきたのは相当にまずいな。
 廊下から玄関ホールへと向かう途中、向かってくるわたくしを見て、マーサが軽く頭を下げてから外出用の帽子を手渡してきた。
「シャルロッタ様、こちらを」

「ありがとうマーサ、貴女に危険がないよう冒険者の皆様に守ってもらうわね」

「……はい、シャルロッタ様の仰せであれば……」
 マーサは少し表情に迷いが出ていたものの、今この現状で自分の主張を通すことは難しいと理解しているのだろう、普段通りの表情でわたくしに微笑むと再び頭を下げるとすぐにエルネットさん達の元へと走っていく。
 わたくしはユルと二人きりになった部屋で顎に指を当てて今の状況を考え始める。
 正面から堂々と出るとして、兵士達はわたくしをどういう理由で拘束しようというのだろうか……ぶっちゃけ無理筋だと思うんだよね、この場合。
「どういう理屈でシャルを捕まえるつもりなんでしょうねえ……」

「分からない、ただ捕まえちゃえばどうにでもなるとか思ってそう」
 第二王子派と対立しているって言ったって直接的な衝突は起きてないのだし、犯罪行為だって行われていない、それに今ここでわたくしを捕縛でもしたらそれをきっかけに武力衝突になりかねないんだ。
 よほど向こうの指揮官か命令した貴族は周りが見えてないか、短絡的すぎるように思える……いや、混沌が手を引いていると考えればわざとここで揉め事を起こしてより状況を混乱させるという手段をとるかもしれない。
「あいつら状況が混乱して無茶苦茶になればなるほど喜ぶからな……」

「混沌に理屈は通用しませんからね……」
 邸宅を囲んでいる兵士達は今の所遠巻きに囲んでいるだけで、突入しようという動きは見られない。
 出てきたところに声をかけて、とかそういうパターンかな? で、拘束して第一王子派貴族の元へと送って任務完了ってところか。
 兵士からすれば貴族の命令を聞いただけ、という理屈も成り立つし褒賞も出る……良心にほんの少し蓋をしておけば美味しいお酒が飲めるって寸法だ。
 その後わたくしは第一王子派に監禁されてインテリペリ辺境伯、お父様への交渉材料として役立ってもらう……とかそんなところだろ。
 それじゃあつまらないわよね……わたくしが口の端を歪めて微笑を浮かべると、ユルがそれを見て大きく身を震わせると、尻尾に炎を纏わり付かせて咲う。

「……承知した、では主人に触れるものは誰一人として殺さず、だが許さず……我にお任せあれ」
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