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第九四話 シャルロッタ 一五歳 王都脱出 〇四

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「ほ、本当かい?! ソフィー……いやハルフォード公爵令嬢がそんなことを?」

「はい……先日の査問でお咎めなしになったのかと思っていたのですが……」
 わたくしの前で本当に驚いているクリス……久々にお茶を飲もうと誘われたわたくしが最近会ったことを聞かれて、先日のソフィーヤによる恫喝とも取れる行動を伝えたところ本気でびっくりしたのか、椅子からずり落ちそうなくらいのリアクションを見せてくれた。
 クリスはすぐに姿勢を正すと手に持ったカップをテーブルに置いて隣に座るわたくしをじっと見つめる。
「……ごめんシャル……まだ査問は開催されるようなんだ」

「……そうでしたか……」

「おそらく次もユルには出てもらわないとダメだろうね……いつまでやる気なのかはわからないけど……」
 申し訳なさそうな顔でクリスはため息をつくと軽く頭を掻いているが、彼のせいでもないしな……。
 査問がまたあるということは、もう一度ユルを呼び出して危険がないことなどをアピールする必要があるけど……再びあの時に査問を見ていた連中、貴族ではなくその裏で糸を引いている人物が出てきたとしたらわたくしはどう対処すればいいのだろうか……。
 王族の前で襲い掛かられた時とか、周りの目がある時に襲われた時に本気で反撃したら厄災としか言いようのない結果しか出てこないだろうしな。

 少し考えてみたけど良い解決策が思い浮かばず、わたくしは軽く頭を左右に振ると大きく息を吐いてから紅茶を入れたカップを取って軽く啜る。
 だめだ、少し前に結構真面目に戦ってしまったこともあって、わたくしの思考が完全に腕力寄りになってしまっているな……カップをテーブルに置いてから深くため息をつく。
 隣に座っていたクリスはそんなわたくしをじっと見つめると、微笑を浮かべてそっとわたくしを優しく抱き寄せた。
「あ、ちょ……ク、クリス?」

「シャル、もう少し肩肘張らずに考えよう……ちょっと怖い顔をしていたよ」
 クリスが優しくわたくしを抱きしめると、恥ずかしさよりも暖かさというか……なんとなくもう少しだけ彼にこうしてもらいたいような気分になってしまう。
 まあ好意を向けられるのはそれほど嫌な気分ではないし、そのなんだ……別に彼のことが嫌いなわけではないしむしろ好きな方だとは思う……婚約者か。
 彼に抱きしめられるままそっと身を預けると、彼の鼓動が聞こえる……ほんの少し早くドキドキという音が聞こえてくる、彼もちゃんと緊張したりドキドキするんだなと意外なところで感心してしまう。
 軽くクリスがわたくしの頬に手を添える……暖かく柔らかな感触に少しだけホッとするが、クリスと目が合うと彼は少しだけ潤んだ瞳でわたくしをじっと見つめていた。
 ああ、なんだか彼に全てを委ねたい気分になってくる……優しい彼の目を見つめるうちに次第にわたくしたちの距離が近くなっていく。
「……クリス……?」

「……シャル……僕は……」

「うぇえっおほおぉおん!」
 大きなワザとらしい咳払いにわたくしとクリスは大きく身を震わせて思わず飛び上がりそうになる……クリスなんか慌てすぎて、一瞬でわたくしをソファに下ろすと少しだけ離れた場所へと移動していた。
 慌てて声の方向を見ると、そこには咳払いをしながら渋い顔をしているミハエルが立っている。
 すっかり忘れていたけどここにはミハエルも一緒にいたんだった……なんだかバツが悪くなってしまうが、あれ? わたくし今何しようとしてたんだ?
 わたくしクリスの婚約者すり替え大作戦とか忘れてなかった? 最近自分がおかしくなっている気がして正直心境の変化に内心恐怖を感じてきた。
 やばい、このままだとわたくし王妃になっちゃうんだけど!? そんなわたくしたちはさておき、少しだけ恥ずかしそうな顔でミハエルはクリスへと苦言を呈し始める。
「仲がいいのは良いことですけどね……時と場所があるでしょう?」

「ご、ごめんミハエル……すっかり自分たちの世界に入ってしまって……」

「も、申し訳ありません……」

「謝らなくていいです、それでも個室とはいえ学園内でそういうことをしようとするお二人の度胸に呆れますよ」
 ミハエルは先日のサウンドガーデン公爵領での事件以降、本格的にクリスを支持する学生たちを取りまとめて精力的な活動をするようになってくれている。
 学生の間ではクリスは人気者ではあるが、学生の支持が高くても現状あまり効果はあるわけではない……ただ、心理的には積極的に対抗しようと思わなくなる人間も存在するだろう。
 ミハエルの考えだったが、確かに優しく大半の人間には明るく接するクリスを見れば争いたくないと思う人間も出てくるよなあ……。
「しかしソフィーヤが聖女認定されるとはねえ……兄上も良い駒が手に入ったと喜びそうだね」

「もともとお家柄もありましたし……とはいえ第一王子派に聖女認定された人間がいるのは強いですね、対してこちらは魔女認定されかかっているのがいるので、大幅マイナスです」

「め、面目ないですわ……」
 ミハエルが少し冷たい視線でわたくしを見るが……だって仕方ないじゃん! わたくし別に好きでクリスの婚約者になったわけじゃないし、ユルだって役に立つから契約しているのであってあんな査問になるなんて思わなかったもの。
 しかしこのタイミングで聖女認定とは……イングウェイ王国ではおおよそ一〇〇年ぶりの聖女誕生ということで、新聞の一面もソフィーヤの話題で持ちきりだ。
 わたくしはテーブルの上に置かれている王都で発行されている新聞に視線を移す。

『婚約者候補として尽くした彼女だったが、辺境の翡翠姫アルキオネにその座を奪われてもなお、神への信仰を捨てず聖女へと上り詰める!』
『神聖なる聖女の誕生により、第二王子は素晴らしい人材を失うことになった……』
辺境の翡翠姫アルキオネに疑惑……その魔性は人を喰らい、魂を汚染する、彼女に気をつけろ』

 識字率はそれほど高い世界ではないが、それでも読み聞かせなどで新聞の一面を見聞きする層も多く醜聞や噂話には尾鰭がついて回る。
 そして恣意的な情報であってもそれを否定することが難しい状況にあればあるほど、面白おかしく話は人へと伝わっていってしまう。
「シャルはそんな人間ではないのに、これではおかしなことになってしまうよね……」

「全くです、当の辺境の翡翠姫アルキオネに弁明させたところで信じない人間の方が多いですしね……ガルムも見た目が怖すぎて逆効果になると思います」

「どうしたらいいものか……」
 クリスとミハエルがうーん、と少し悩むような仕草をしているが、わたくしには名案と呼べるものが湧きそうにもない。
 そもそもわたくしは戦闘には自信があるが、こうやった搦手の扇動とか宣伝というのにはてんで疎く、こういう時にどうすればいいのかわからないのだ。
 殴って済むならそれで済ませたいのだけど、そういうわけにもいかないしなあ……お父様あたりに聞いたら良い解決方法が思い浮かぶだろうか? 一応彼も大貴族の一員として政争を潜り抜けてきているわけだし、抜け目無いところもあるのだから。
 クリスが悩むわたくしを見て、手をぱちん! と叩いてこの議論は終わりと言わんばかりに微笑む。
「悩んでも解決しそうにないからね、この問題はおいおい考えることにしよう……外部から人を入れるということも考えてもいいわけだしね」



「……私がクリストフェル殿下の派閥に……? どういうことですか?」
 唐突な言葉を受けてプリシラ・ドッケンは眉を顰める……プリシラはドッケン伯爵家の令嬢であり、ウェーブするブロンドの髪が魅力的と称される学生だ。
 清楚な可愛らしさと貴族令嬢らしい美しい所作は一部の学生から高い人気を誇っていると言われる。
 ドッケン伯爵家は現在第一王子派に属しており、家族は軍関連の要職に就くことが義務付けられている名門貴族の一つでもあり、彼女自身も学園を卒業したのちは軍関連の仕事に就くと言われている。
 プリシラの前に座る女性……ナディア・スティールハートは優しく微笑むと彼女へ一枚の書状を手渡す。
「プリシラさんの家がアンダース殿下支持であることは理解しています、これは殿下からの書状です」

「読んでいいですか?」
 プリシラの言葉に黙って頷くナディア……今回ソフィーヤの取り巻きである彼女が、ドッケン伯爵家令嬢へと接触したのは第一王子アンダースを支持する貴族より密命を受け取ったからだ。
 現在学園にはクリストフェルを支持している第二王子派の主力とも言えるミハエルとシャルロッタが近くにおり、第一王子派は彼らに積極的には近寄らないことで態度を示そうとする貴族が存在している。
 ドッケン伯爵家も娘のプリシラには「殿下には近づいてはいけない」と伝えられており、真面目な彼女はその言いつけを守ってクリストフェルとの距離感を適切に保ち続けている。
「……お父様に、この話は伝わっておりますか?」

「アンダース殿下から直々にお話しするそうよ」

「そうですか……でも私の実家が第一王子派であることはクリストフェル殿下もご存じのはずです、それでもなお私に内情をスパイせよというのは……」

「……ソフィーヤ様にも積極的に関わっていないから選ばれた、ということよ」
 ナディアの言葉に少しだけ身を震わせるプリシラ……確かにクリストフェル殿下には積極的には関わっていない、だが彼女はそれと同時に第一王子派へと鞍替えしたソフィーヤとも積極的には関わろうとしなかった。
 それが引いては自分の実家を守ることにつながると考えたためだったが……今回その関係性の希薄さを第一王子派から目をつけられ、スパイとして彼女を送り込む計画が立案された。

「……そうですか……お断りすることも難しそうですね」
 プリシラは少し諦め顔でため息をつくと、書状をテーブルへと置き一度ナディアへと頭を下げる。
 書状にはもう一枚……父親からの手紙が入っていた「殿下の指示に従うように」と、偽造されたものかとも疑ったが彼女の家でしか使わない暗号が入っており、それを見た彼女は断った場合に第一王子派から実家がどのような扱いになるのか容易に想像できたからだ。
 頭を下げたプリシラを見てナディアはニヤリと笑う……ソフィーヤだけでなく第一王子アンダース殿下とその取り巻きの高位貴族達の命令、自分であっても断ることは難しいだろう。

「……では、学園長含めて相談しまして補佐役としてクリストフェル殿下の側にいられるよう配慮するわ、よろしくね」
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