わたくし、前世では世界を救った♂勇者様なのですが?

自転車和尚

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(幕間) 夜蝶 〇二

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 ——夢見る淑女ドリームレディの呼びかけに答えた瞬間、わたくしとユルは突然の浮遊感に襲われる。

「うあ……ッ!」
 いきなり足元がなくなり、凄まじい高さから落ちるような感覚……いや、現実ではあってもこれは夢見る淑女ドリームレディの夢を具現化したもの。
 人間が見る夢で高い場所から落ちる夢というのはその人の精神状態によっては、不吉なものとして捉えられるがこの夢は神の見る夢だ……何を暗示しているのかは人であるわたくしではわからないが、少なくともこれは現実だ。
 わたくしとユルは凄まじい勢いで暗闇の中へと落ちていく……自由落下フリーフォールするという経験は少なくとも慣れているわけじゃない、わたくしだって高い場所からひたすらどこへ落ちているかわからないという感覚には恐怖すら覚える。
「シャルっ! 気を確かに持ってください……これは神の夢ですよ!」

「大空を舞う翼、風に乗りて、我が身を舞い上がらせよ、天空の翼ウイングオブヘブンッ!」
 わたくしとユルの足元に白色に輝く魔法陣が構成されていく……前世でもよく使った足元に魔法陣を展開して大空を自由自在に飛行、浮遊など非常に便利な飛行魔法だ。
 欠点は夜などでは足元から伸びる光の帯のようなものが少しの間残ってしまうことなのだが、この状況ならその欠点を考える必要もないだろう。
 まずは……この永遠に落下している状況をどうにかする。
「……って、あれ?! な、なんで?!」

「これはまずい……ッ!」
 わたくしが魔力をコントロールしてその場に浮遊しようとした瞬間、恐ろしく強い引力のようなものが全身に加わり一瞬速度が落ちたはずのわたくしの体が再び暗闇の中へと再加速していく。
 足元を見てもちゃんと天空の翼ウイングオブヘブンの魔法陣は構成されているが、わたくしが魔法へと込める魔力よりも強く、そして恐ろしいまでの力で暗闇の中へと引き摺り込まれているのがわかった……夢の力はなんでもありってことか?!

 落下を続けるわたくしの前にガラスを爪で引っ掻いたような甲高い悲鳴のようなものをあげる不気味な怪物が数体飛び出してくる……全身には鱗が生え、霜と硝石に塗れた翼を羽ばたかせながら、立て髪を持つ少し長めの頭部を持ったその生物は体を回転させるような動きを見せてわたくしとユルへと突っ込んでくる。
 ギリッ! と奥歯を噛み締めながらわたくしは腰の剣を引き抜き、その突進してくる怪物を一刀で切り裂いていく……手応えは見た目に反して巨大な昆虫を切り裂いた時のような感覚だろうか?
「シャンタク鳥……外世界を飛び回る黒い怪鳥です!」

「見た目と手応えが違いすぎますわよ!?」
 わたくしの斬撃で切り裂かれた不気味な鳥のような怪物は赤黒い血液を撒き散らしながらわたくしたちよりも高い位置へと……もうすでに上下感覚すらもう理解不能の状況だ。
 いきなりわたくしたちは落下方向から、連続で別の方向へと強く引き寄せられるような感覚に陥り、上方向に強く引き寄せられたかと思うと次は横方向へと落下していく……三半規管が無理やりな方向への移動で揺さぶられすぎて、視界がチカチカしてきている。
 ジェットコースターで色々な方向へと引っ張られているような感覚に近い……そして元々日本人であった時も絶叫マシンが得意ではなかったわたくしは酸っぱいものを喉の奥に感じながらも必死に口元を押さえて我慢する。
「……きぼぢ悪い……も、もう勘弁してくださいまし……」

「シャル、大丈夫で……うぼええええええっ!」

「うきゃー! なんか飛沫が飛んできたああッ!」
 ユルがその移動に耐えきれなかったのだろう、突然口から吐瀉物を吹き出した……キラキラと輝くような液体が落下していくわたくしたちよりも上や横へと撒き散らされる。
 だが、次の瞬間いきなりその地獄のような落下が突然終わり、わたくしたちは恐ろしく柔らかい何かに包み込まれたかのような感覚に陥るとふわりと空中へと浮き上がる。
 そこでようやく天空の翼ウイングオブヘブンの効果が生まれ、わたくしとユルは暗闇以外何もない空間に浮く。
「おえええええっ……」

「……うぐ……見ない方がいいですわ……」
 わたくしの隣でユルが苦しそうに色々なものを吐き出している……よく見ると肉とかだけでなく、草とか骨とか相当な量が出ているのが見える……あ、だめこれ以上見てると吐いてしまいそう。
 視線を動かして暗闇の中へと目をこらす……そこには超巨大な何かがいるようで、視界の中で何かが規則正しく動いているのが見える。
 これは一体なんだ……? わたくしがじーっとその規則正しく動く何か、を見ているとゆっくりと暗闇が横に裂けていき黄金色に輝く四角い瞳孔が浮かび上がってくる。
『……よく来た勇者……にしてはずいぶん小さいのう……』

「がああっ……い、痛い……ッ!」
 頭の中に凄まじい大音量の声が響く……あまりの音の大きさは直接脳に強い痛みを発生させわたくしは思わず頭を押さえて魔法陣上にうずくまってしまう。
 ユルも全身を総毛立たせて両足で耳を押さえるような仕草をしているから同じように痛みを感じているのだろう。
 その黄金の目は「おや?」というふうな動きを見せると、すぐにわたくしたちの脳内へと響く音量を下げた状態で話しかけてきた。
『数百年ぶりに人を見たからな……わらわは夢見る淑女ドリームレディ……微睡む神とも言われる』

「あたた……とりあえず音を下げてくれてありがとうございます、わたくしはシャルロッタ・インテリペリと申します、こちらは契約しているガルム族のユル」
 わたくしは淑女の嗜みとして夢見る淑女ドリームレディへとカーテシー披露すると、傍に控えて少し怯えたような表情を見せるユルを紹介する。
 浮かび上がる目は不規則な回転を見せながら、わたくしとユルを興味深そうに見つめる……その動きはまるで山羊の瞳のように少し不気味さを感じさせるものだが、不思議と目の前の微睡む神には敵意がないと感じる。
『混沌四神が言うておった……神々の盟約が一度破られたと、そうかそうか……わらわを前に堂々たるその姿は確かに興味深いものだ』

「そ、それは光栄ですわ……夢見る淑女ドリームレディ、一つだけお願いがあるのですけど」

『……続けなさい』

「ナイトパピヨンを貴女の御許へと戻していただけない? このままでは貴女の夢に巻き込まれて多くの人が死ぬ……この地域を支配する辺境伯家の人間としてそれは看過できないの」

『ふむ、遍く混沌ケイオスは甘美なる快感そして美しい夢なのだが……』

「それは貴女たち混沌神やその眷属だけよ、わたくしたち人間にはそれは苦痛を伴うものなの」
 わたくしの言葉を聞いて、黄金の瞳がグルグルと回転する……どうやら考え事をしているらしい、というのがわかった。
 目だけしか見えていないけど案外相手の状況がわかるもんだな、と自分のことながら変に感心してしまう……ともかく暗闇の中にはおそらく目以外の夢見る淑女ドリームレディの本当の姿があるはずなのだけど、暗闇の中に蠢く黒い巨大な何か、というぼんやりとした姿でしか見えていない。
『……よろしい、わらわの眷属を暗闇の中、微睡む世界へと戻そうぞ』

 よかった……ほっとした気分も束の間、夢見る淑女ドリームレディはまるでほくそ笑むかのように少しだけ目を細めて、ぐるりと一回転させる。
 ズズズ……と何か巨大なものがこちらへと動いてくる気配があり、黄金の目がもう一つ空間の中へと出現する……左右の瞳はまるで脈絡のない動きで別々の方向へと回転し、ギョロリとわたくしを見つめるとゆっくりと暗闇の中から節くれだったヌメヌメとした黒い鱗と、灰色の毛皮を纏った巨大な指がわたくしへと伸びる。
『……対価はわらわの望むもので良いな?』

 しまった……神を相手に交渉するということは、対価が必要になる古くより人間が神へ贄を捧げるのは神との交渉に必要なものだ。
 しかしナイトパピヨンを戻さなければ辺り一帯が壊滅してしまうし、この領域内で神を相手に戦えるほどわたくしは自分の戦闘能力に過信していない……苦戦はするだろうけどギリギリ勝てるか、そのくらいかも知れない。
 だが夢見る淑女ドリームレディはほくそ笑むようにクスクスと笑うと、驚くべき一言を言い放つ。
『……わらわが望むときに夢でお前を呼び出し命令を行使できる、これが対価だ』

「命令を行使できる?」

『お前は神と戦えるのだろう? わらわにも敵はおるでな……その時命をかけてわらわを護ってたもれ』

「そ、それはどういう……え? あ……ああああっ!?」
 そして暗闇の中から黒い影にしか見えなかった夢見る淑女ドリームレディの姿が次第に姿を表す……視界に入ってしまったその姿は冒涜的であり退廃的で、そして恐ろしいくらいに醜く狂気的だった。
 淑女? そんな美しい言葉を口に出すのが憚られるくらい、神の姿は悍ましかった……あちこちに腫瘍と蠢く触手、そして顔を構成する器官、目と鼻や口に耳が全身にでたらめに配置されている……耐えきれずにわたくしは思わず絶叫した。



 ——次の瞬間わたくしは太い木の根元に横たわって空を見上げていた。
 ……どうやら少しの間寝てしまっていたようで、辺りを見回すと深い森の中で静寂の中、カサカサと葉が揺れる音や虫の鳴き声が聞こえてくるが、ふと頬が自分の涙で濡れていることに気がつき、わたくしは大きく息を吐く。
 隣にはユルがひっくり返った姿で寝息を立てており、なんだか無性に腹が立って思わず彼の頭をペシッと叩いてしまい、ユルは慌てて飛び起きた。
「はっ?! ……ね、寝てしまっておりましたか?」

「わたくしもよ……でもナイトパピヨンは去ったみたいね」
 わたくしたちが辺りを見回すと「深緑の森」の名前にふさわしいくらい、静かで静謐な森の光景が広がっている……まるでここに来たときのことが嘘だったかのように、静かで土と草の匂いが心地よい空間だ。
 戻るか……わたくしが軽く衣服を叩いて立ち上がると、ユルは全身を大きく振るわせてからわたくしにそっと頭を擦り付ける。
 わたくしは優しく彼の頭を撫でてから、その背中に身を踊らせるように飛び乗るとユルは風のような速さでその森の中をかけていく。
 しかし……どうしてあんな場所で倒れていたんだろう? と疑問に思ったわたくしの耳に囁くような声が聞こえた。

『……約束は守ってたもれ……その時はそう遠くないでな……シャルロッタ・インテリペリよ』
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