宙(そら)に願う。

星野そら

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 そんなわけでルーインは、レイモンドの小型宇宙船を操縦して、一人、セントラルにやってきたのである。

 兄のマーティンは、セントラルの要である情報本部に所属していた。父が病で伏せている今、アドラー家を取り仕切っているのは兄だ。
 情報本部に入るために兄に連絡を入れる。二度の厳しいチェックを経て、ようやく執務室にたどり着いた。

「久しぶりだな、ルーイン。ふん、元気そうだ」
「リディック・シュタイン中佐、なぜ、こんなところに!」

 兄のマーティン・アドラーが声をかける前にリディックに話しかけられて、ルーインは眉をひそめる。

「ご挨拶だな。おまえが戻ってくるって聞いて、急いで駆けつけたのに」
「はあ、兄とあなたが、仲がいいのを忘れていました」

 この男がいると、話がややこしくなりそうだと思って、ルーインは内心溜息を吐く。

「ルーイン。この間の事件がどういうことだったか、すっかり話してくれるのだろうな。おまえがどれほど父上やわたしに迷惑をかけたかわかっているのか! よりにもよって、アドラー家がコスモ・サンダーとつながっているんじゃないかと疑われたんだぞ。
 極東基地を押さえたミハイル大佐がフォローしてくれなかったら、今でも風当たりがきつかったかもしれん」

 兄がいきなり怒鳴り散らす。

「落ち着けよ、マーティン。一方的に責めたら話しづらいだろう。ルーインがコスモ・サンダーと関係がないことは俺たちが知ってるじゃないか。
 なっ。ルーイン、突っ立ってないで座って話そう」

 リディックがルーインをソファへと誘った。
 いつもリディックにいいように動かされていたとルーインは思う。兄と同い年で自分より5歳も年上のこの男は、いつでもルーインを意のままにしたがった。

「シュタイン中佐、僕は兄と話をしに来たんです。あなたには関係ないと思いますが…」

 心外な、という顔でリディックが反論する。

「この前、どこかのパーティで会ったときは愛想がよかったのに。まあ、昔からルーインが俺に冷たいのには慣れているけどな。
 だが…、俺は司令部の所属だ。極東基地で何があったか、詳細を聞いておきたい」
「そんなこと! あなたも兄も、すでに把握しているでしょう」

 ルーインはリディックを睨み付ける。

「僕がここへ来た理由はただひとつ。宇宙軍を辞めるという報告です」

 言い切ったルーインに、兄があわてて言葉をかける。

「ルーイン。なにも辞める必要はないだろう。アドラー家に泥を塗ったと責任を感じているのはわかるが、父上もわたしも、おまえの将来は考えている。宇宙軍に必要な男だと思っているし、セントラルにポストを用意するつもりだ。短気を起こすな」

 兄はまったくわかっていないとルーインは思う。アドラー家がどうなろうとどうでもよかった。それに、僕は責任などまったく感じていない。
 セントラルでのし上がりたいと思っていたのは、はるか昔のことだ。それも、父や兄、そして目の前でにやにや笑っているリディックを見返すためだけに…。
 リュウと出会ってからはそんなことは忘れていたのだ。ただ、リュウと一緒に宇宙軍で力を尽くしたいと思うようになっていただけ…。

「ルーイン、司令部に来いよ。極東基地なんかと違って、スケールの大きな仕事ができる。おまえには向いているよ」
「僕は宇宙軍を辞めるといっているんですよ。あなたには、僕がどんな仕事に向いているかなんてわかりっこない!」
「本気なのか、ルーイン? わたしと駆け引きをしているのか」
「こんなことで、兄さんを試したりしません。僕は宇宙軍を辞めることにした。それを告げるためにセントラルまで足を運んだのです」
「どうして辞める? 宇宙軍を辞めて何をするんだ? まさか…」
「まさか、何ですか。僕が海賊になるとでも…」

 沈黙が兄の心情を代弁していた。
 僕を疑っていたわけだ、とルーインは思った。いつも兄はそうだった。信じていると言いながら兄は誰も信じない。父にしてもそうだ。欠点ばかりを指摘された。

「そうですね、海賊になるのもいいかもしれない。コスモ・サンダーはなかなかの組織ですから」
「何てことを! 海賊なんかならず者の集まりにすぎないぞ」
「そうでもありませんよ。僕は、その海賊に命を助けられました。ご存じでしょう、宇宙軍の兵士に撃たれて重傷を負ったんです。コスモ・サンダーの医療チームが手術をして、世話をしてくれました。最先端でしたよ、医療も戦闘設備も」
「おまえは、コスモ・サンダーと通じているのかっ!」
「いいえ」

 ルーインは兄を落ち着かせるために否定する。基地内を自由に歩き回ることは許されたが、コスモ・サンダーのことを知る必要はないとレイモンドに釘をさされた。

「コスモ・サンダーの総督が死にかけている人間を放っておけなかっただけです。怪我が治ったら、こんな風に追い出されました…」
「それならば、なぜ宇宙軍を辞めるのだ?」
「……」
「なぜだ!」

 リディックが重ねて聞く。鋭い口調だ。どんな手段を使っても話させてみせると、その目が語っていた。

「シュタイン中佐。あなたは納得しない限り、追求の手をゆるめない。理由を言わないと帰れそうにありませんね」

 ルーインは仕方がないとつぶやいて、話を続けた。

「前に紹介した阿刀野を覚えていますか」

 リディックが軽くうなずく。

「阿刀野が宇宙軍を辞めると言うんです。あいつは、僕が宇宙軍の兵士に撃たれたのが僕以上にショックだったらしい。僕は阿刀野と一緒にいたい。阿刀野が宇宙軍を辞めるのを止められなかった以上、僕も辞めるしかない、ってことです」
「な、なにっ! 人のためだと! だいたい、第17管区への配属には父もわたしも反対だった。それが、今度はあの男のせいで宇宙軍を辞めるだと!」

 兄が怒鳴るのも仕方がないとルーインは思った。他人のために人生を狂わせるなど、阿刀野に出会う前なら考えられなかった。だが…。

「それで。どうするつもりなんだ?」

 リディックは兄より冷静だ。

「まだ、決めていません。阿刀野や部下たちと相談して、身の振り方を考えます」

 ルーインは嘘を付く。
 ここで、コスモ・メタル社に入るなどと言ったら、どんな関係があるのだとまた、追求されるのが落ちだ。

「ルーイン。そんなあやふやなことでは、俺は納得しない。おまえは昔から優秀だった。自分の考えを変えないのが玉に瑕だったが…、それでも俺はおまえを評価していた」
「知りませんでした。いつも僕の意見は無視されて、からかわれて、都合が悪くなると、忙しいからと追い払われた」
「おまえは小さかった。それなのに、しっかりした意見を持っていた。どんな危険な場所ででも堂々と自分を貫くだろうと思っていた。無鉄砲だから危険な目にあわせるわけにはいかなかったんだ。士官学校を卒業したら俺の部署に引っぱるつもりだった」

 あの頃は、リディックに認められたくて仕方がなかった。リディックは何をやってもずば抜けて優秀だったから。軍での話だから、とのけ者にされるのはいやだった。

 だけど今は…。
 ともに歩きたい男がいる。それに、リディックは優秀だが、他にもそんな男はいるのだと知った。レイモンドは頑張れば認めてくれる。レイモンドの下で働くのは…、ものすごく緊張するし、ミスは許されそうにないが、やりがいがあるだろう。
 それに、リュウはきっと僕のことを必要としてくれるとルーインは思った。

「すみません。僕はもう、宇宙軍に未練はない。新しい道を探します」
「ルーイン、おまえはアドラー家の人間だ。宇宙軍で名を挙げるという使命がある」
「そんなもの。兄さんがやればいいでしょう。弟も従兄弟もいる。僕はもう道を外れてしまった…。すみません、父さんには謝っておいてください」
「宇宙軍を辞めるなら、おまえをアドラー家から絶縁する」

 その脅しは、当主である兄の最後の手段であった。しかし、屈する気持ちはない。ルーインにはアドラー家よりも大切なモノがあるのだから。

「わかりました。失礼します」
「勝手にしろ!」

 喧嘩別れ……、レイモンドはこれで納得してくれるだろうか。
 兄を怒らせてしまったことより、アドラー家から絶縁されたことより、その方が気になった。

「待てよ!」

 廊下に出たルーインの肩をリディックがぐいと引き留めた。

「まだ、用があるのですか?」
「おまえの肝の据わり具合を確かめておきたい」

 着いてこいと言われて、士官休憩室へと足を向ける。

「ルーイン。おまえは俺のことを毛嫌いしていたが、俺は本当の弟のように思っていた。
 なあ、本気なのか。マーティンへの反抗だけで自分の将来を決めるんじゃないぞ。少しでも後悔するなら、なんとでもしてやる」

 リディックは真剣であった。
 ルーインはリディックを慕っていた自分を思い出す。認めてもらいたいがために何度も突っかかっていった。そのたびに言い負かされて、下手をするとねじ伏せられて…。泣かされても、虐められても、尊敬していた。
 いつかは追いつこうと思っていた。賢く、強いものへの憧れ…。
 だが、世の中は思っていたよりずっと広いのだ。追いつこうなどと考えもできない男がいる。一緒に歩きたい男もいる。

「シュタイン中佐。僕は絶対に後悔しません」

 まっすぐに顔を上げて言い切る。その力強さにリディックが説得を諦めた。

「そうか…。わかった、もう、何も言わない。おまえは昔から自分勝手だったからな」

 反論を口にしようとしたルーインはリディックに遮られる。

「いや、言い直すよ。おまえはいつも一途だった。目的ができたら迷わない。そのまっすぐさが俺は好きだった。……阿刀野リュウか、幸せなヤツだ。まあ…、気が変わったら連絡をくれ。じゃあな」

 ルーインは気が変わることなどないと知っていたが、素直に礼を述べる。

「ありがとう。リディック兄さん」

 一度、こう呼んでみたかったのだ。
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