猛毒天使に捕まりました

なかな悠桃

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午前中だった時間も気付けば夕方近くになり見上げれば空は濃い茜色へと変貌していた。目的地に到着したのかタクシーはホテルの出入り口付近の乗降場に停車した。

後部座席側のドアが開くと乗降口にスラッと長身のドアマンが既に待ち構えていた。

慣れた振る舞いの歩生の後を追うようにホテル内へと足を踏み入れる。開放感のあるロビーは、国内のみならず海外旅行者の集客を意識したような造りとなっていた。和と洋が違和感なく取り込まれた雰囲気の空間は派手さはあるものの嫌味がない煌びやかな高級感を創り出していた。

こういう手のホテル自体、プライベートで関わることがないド庶民の史果にとって“超”が付く程の高級ホテルに立つ自分の場違いさに萎縮し落ち着きのない様子になってしまった。

「あの・・・これはどういう・・・」

史果は思考回路がほぼ停止状態の中、隣に立つ歩生に不安げな表情で見上げ顔を向けると歩生は少し険しい表情で史果を見返した。

「今から連れてくところでは一切喋るなよ。俺が何か言ったらとりあえず笑顔で頷いてればいいから。わかったか?」

歩生にそう告げられ釈然としないながらも頷くと急に腰へ手を回され一瞬身体に緊張感が駆け巡り思わず甲高い声を洩らしてしまった。その様子に歩生は、伸ばした人差し指を自身の口元に当て静かにするよう促した。

エレベーターに乗り込み向かった先にはバンケット・ホールが目に入りそのホール周辺には同じく煌びやかなドレスコードに身を包んだ多数の男女がそれぞれ談笑したり挨拶などする光景が視界に飛び込んできた。

歩生は受付の男性に挨拶をしそのまま中へと進みそれにつられるように史果も中へと入ってゆく。ホール内では、立食形式になった食事が並びホールの外同様、幅広い年齢の人たちが楽しそうに談笑する姿が目に入った。

「今日ここで行われるのは、俺らの取引先の創立記念式典。本当は鹿島社長・・・貴斗の親父さんが出席する予定だったんだが、海外の事業トラブルでどうしても現地に行かなきゃいけなくなって急遽代理で基希が行く流れになったんだ」

「そう・・・ですか」

圧倒されるほどの自分とは違う空気を纏った出席者たちを眺め、更に場違いを肌で感じた史果は、正直決まりの悪い気持ちで一杯だった。

人が通りゆく度、歩生は会社関係者に声を掛けられその都度、笑顔で応対していた。史果も同様、彼の邪魔にならぬよう言われた通り余計な言葉を発さず笑顔を振り撒きながらその場を切り抜けていた。

「鹿島くんかい?」

複雑な気持ちで彼らを遠目から眺めていると背後から歩生を呼ぶ男性の声が聞こえ、二人が振り向くと初老の男性が微笑みながら此方へ近づいてきた。

「あぁ、これはご無沙汰しております、前野会長。此方からご挨拶が遅れまして大変申し訳ございません」

深々と頭を下げた歩生は先程までの態度とはまた違い、先ほどの応対以上に言葉遣いや声色、表情など品に溢れ教養を身につけた青年の姿だった。

「こらこら、もうは退いたただの老いぼれだぞ。それにしても会う度にいい男になりおって。儂の孫が女の子だったら真っ先にキミを推薦したかったくらいだったのだが」

「有り難いお言葉です。これからもご期待に応えれるよう精進してまいります」

「・・・ところで其方の娘さんはもしかして」

少し下がったところで立つ史果に視線を向けた前野は興味のあるような口調で告げてきた。

「彼女は私の秘書を務めてもらっております、です。まだ、日も経験も浅いため私に直に付け仕事を覚えてもらっています」

史果はさり気なく歩生から一歩下がると深々と頭を下げ前野に挨拶をした。

「そうか、そうか。てっきりかと思ったんだが早とちりだったか・・・彼は仕事が出来る上に自他とも厳しい男だから着いて行くのに大変だろうが、頑張りなさい」

「ありがとうございます」

優しく微笑みながら偽名の史果に声を掛けると何かを思い出したかのように歩生に視線を向き直した。

「そうそう、さっき基希くんも挨拶に来てくれたよ。社長代理だと言っていたが、彼も少し見ない間に立派になってキミ同様さまになっていたのう。次世代の君たちがいれば会社も安泰じゃな」

「いえ、まだまだ足元にも及ばない若輩者です。会社に恥じぬよう精進してまいりますので今後ともご指導の程よろしくお願い致します」

再び頭を下げる歩生に合わせるよう史果も慌てて頭を下げた。

上機嫌な様子で前野が去り緊張感から一気に解放された史果は、大きな溜息を吐いた。

「さっきの爺さんは俺らの爺さんと懇意で昔馴染みってやつだ。まあ今でこそあんな感じだが、現役の時は身震いするほど恐ろしい仕事ぶりだったよ」

彼らの取り巻く世界をほんの少し垣間見た史果は、やはり自分とは相容れない世界に複雑な想いを馳せた。

「そういやあ、バタバタしてて飯食ってなかったな。基希もいることだしバレると厄介だな・・・。俺、何か取って来るからどっか端っこで待ってろ」

「あ、はい。ありがとうございます」

ビュッフェスタイルになっている一角へ向かって行ってしまった歩生の後ろ姿を眺めながら言われた通り目立たないよう壁際に背を預け周りの雰囲気に目をやった。

どこかの偉い社長、政治家らしき風格の人物、青年実業家のような風貌の人物などが目に入るもどこか他人事で現実味のない空間に史果は空虚感に襲われた。

いくら着飾っても自分には何もなく、ここにいる人とは違うことをまざまざと見せつけられ自嘲気味になっていた刹那、遠目ではあるがダークスーツに身を包んだ基希の姿が視界に飛び込んできた。史果は彼に気付かれぬよう咄嗟に人混みに紛れながら様子を窺った。

自分と接している時は勿論だが、自社での表情ともまた違い“会社を背負って来た”というオーラを醸し出しながら恰幅の良い中年男性と楽し気に談笑していた。

会話などは聞こえないにしても普段とは違う基希にズキリと心臓が痛んだ。歩生同様、自分とは住む世界の違いがそれだけで伝わってきた。談笑する基希にバレないよう史果は、少しずつゆっくりと近づいた。


「基希くん、そろそろ話を進めようと思うんだが、どうかね?」

「はは、私はまだまだそのような器の人間ではないですよ」

「しかしなあ、娘も、「お父様、基希さんを困らせないであげてください」

男性の話を遮るように基希の隣に違和感なく入ってきた着物姿の女性に視線が釘付けになった。何の知識もない史果でさえ高価で美しい召し物だというのは見ただけですぐにわかった。史果と変わらないであろう年齢の女性は、着物に負けず劣らずの容姿、品に溢れ、まるで日本人形のような愛くるしい表情で目の前の父親と隣に立つ基希に笑顔を向けていた。

「社長、そろそろお時間です」

「ああ、わかった。今行く。では基希くん、そろそろ本腰を入れて考えてくれよ。あと美園、基希くんの迷惑にならないように」

「わかってますよっ!んもう、いつまで経っても子ども扱いなんだから!!」

父親と基希は困ったよな笑みを互いに浮かべ、父親の方はスーツ姿の秘書らしき人物と共に壇上の方へと向かって行った。

その後、残された二人は親し気に談笑し傍から見ても長年の深い関係が手に取るように伝わった。時には彼女の方が基希に近づき何か耳元で囁き楽し気な表情を向けていた。基希自身も会社での偽りの微笑みではなく心の底からの笑みを向け、その姿を眺めながら史果は何かが込み上げてくる感覚に襲われた。

史果は、止まった足を一歩ずつ後退させ、踵を返しその場から逃げるように来た方向へと早足で歩んだ。

バクバクと心拍数が上昇し、自分でも抑えられない感情が身体中を侵してゆく。兎に角この場から・・・基希たちから離れたい一心で人を避けるように前へ進んでいると背後から肩を摑まれ無理やり振り向かされた。

「おい、どこ行ってたんだよ!料理持って来てやったのに探してもどこにもいないし・・・って、どうした?」

皿を片手に怪訝な表情の歩生は史果の表情に違和感を覚え問おうとした刹那、拍手と共に壇上に先ほど基希と話していた中年男性がライトに当てられマイクスタンド前に立っていた。皆、その方向へと視線を向け史果たちも自ずと其方へ視線を移した。

「あれが、今日の主役の会社社長。会社同士の繋がりは勿論、古くから公私ともに関係があって贔屓になってる会社・・・そして」

正直今は歩生の説明は頭に入ってこず、壇上にはさきほどの着物を着た可愛らしい女性とその母親らしき人物が壇上に上がると更に盛大な拍手が沸き会場中に響き渡った。

「大手輸入食品卸売株式会社社長、神野友幸。その隣に立つ神野夫人と一人娘で俺らとはガキの頃からの付き合いで幼なじみの神野美園・・・基希の許婚だ」

今まで全くと言っていい程、耳に入ってこなかった彼の説明だったのに、最後の言葉だけはしっかりと脳内に衝撃と共に伝わり浸食してきた。周りの賑やかな声や音のはずなのに何故か静寂に包まれ、史果を音のない世界に誘った。

「・・・だからどうしようもないんだよ。これは気持ちなんて関係なく会社同士の利益のための繋がりでもあるんだ。だからどんなに想ってもどうしようもねえんだよ・・・ガキの頃から既に決まってたことなんだから」

ガツンと鈍器で頭を打たれたような気分になった史果には、歩生の言葉はどこか他人事のように聞こえ、ただ茫然と壇上を見つめていた。
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