猛毒天使に捕まりました

なかな悠桃

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目的地に着いたのか車が停まり、史果は歩生に車から降りるように言われ降りた場所は、普段の生活で利用することは絶対あり得ない高級料亭の店先だった。数百坪以上の広大な敷地にはタイムスリップしたかと思わせる大名屋敷のような建物が悠然と佇んでいた。

少し先を見渡せば、高層ビルが立ち並ぶような場所だが、ここだけはまるで時が止まったかのような雰囲気が漂い、史果は不思議な感覚に襲われていた。

「ほら、行くぞ。すみません、予約してある鹿島です」

「お待ちしておりました。常日頃、ご利用くださり有難うございます。では、お部屋にご案内致しますので、どうぞ此方へ」

裏にある駐車場に停め直した歩生は、史果を降ろした場所へと戻って来た。挙動不審状態でいる史果の手を引き中へと入るとそこには気品ある女将が二人を出迎え、離れの個室へと案内した。

二人の後ろを不安げな表情で廊下を歩いていると、手入れが行き届いた庭園が目の前に現れ圧倒されていると、気付けば案内された部屋の前まで通されていた。

「ここは親父・・・アンタの会社の社長が贔屓にしてるとこで俺も偶に連れて来られるんだ」

「あ、あのですね・・・私のようなしがない会社員には正直、敷居が高いと申しますか・・・お財布事情が・・・って親父?!えっ!歩生さんてうちの会社社長のご子息だったんですか?!」

「なんだ、基希から聞いてんのかと思ってた。俺ら従兄弟なんだよ。まあ、そういうのもあって女装して会社乗り込んだってのも理由の一つなんだが・・・それより食えないもんとかあるか?昨日のお詫びだから気にしなくていいぞ」

史果が特にないことを告げると、歩生は、側にいた女将に事前に予約してあったらしいコースに変更がないことを伝えた。女将は歩生と他愛もない雑談をした後、一旦部屋から退席した。

「改めて、騙して悪かった」

「い、いえ、そんなこと気にしないでください。でも・・・まさか男性だったとは思いもしませんでした。まあ、その声だと一発で男性とわかったでしょうけど」

頭を下げる歩生に慌てるように史果は頭と両手を左右に振っていた。
色香のある中低音の声色に緊張しながら史果は、気を紛らわせるように出されていたお茶を啜った。

「いきなり知らない男が現れたら不信感しかないだろ?しかも、基希の監視もあるし。でも、同性なら多少なりとも緩みも出るからな」

そう話している間に季節の食材を使った前菜料理が運び込まれた。テーブルに置かれた前菜を見つめ思わず固まった表情の史果は、昼から食べるような金額の料理ではないことだけは理解できた。

「女装した時も言ったが、基希あいつ親会社こっち戻るように言ってくんねーか?」

言葉は粗末だが、相変わらず箸の持ち方や食べ方が見惚れるほど綺麗な歩生のギャップに、彼の言葉が脳内にまで理解するのに数秒のタイムラグが発生し我に返る。

「それは・・・私が言ったところで基希さんが言う通りにするとは思えませんが」

史果は、緊張した面持ちで料理に箸をつけ一口食した。見た目も味も上品な料理だが、今の史果には全く味わうことが出来なかった。

「それに、厳しい言い方かもしんねーけど・・・アンタと基希じゃ正直釣り合うには難しいと思う。あいつは将来、会社を背負っていく奴だしそれ相応の相手が必要になってくる。今なら・・・引き返せると思う。アンタも基希も今なら深く傷つかずいられるんじゃないか」

史果は、歩生に現実を突きつけられ、一瞬身体を強張らせた。そもそも、彼のスペック関係なしでも釣り合いなんて取れていないのは自分自身も重々承知なことだが、それを改めて彼の親しい人物に言われるのは正直こたえた。

史果は心の中の仄暗さを見透かされぬように、小さく口元を引き伸ばし歩生に微笑んだ。

「歩生さん、何か誤解してませんか?私たちは貴方が想っているような関係ではないですよ。そもそも、彼みたいなハイスペックな男性ひとが私みたいな何処にでもいるような平凡女、相手にするわけないじゃないですか。ただの暇つぶしで揶揄からかってるだけですよ」

へらへらと笑う史果に対し、片肘を付きながらじっと注視し嘆息をつく。

「少なくとも、俺が接してみてアンタの人となりは 充分観察はさせてもらったつもりだ。確かに俺らの周りにいるような女じゃないのはわかったし基希が気に入るのもわかる気はする。だからこそ、アンタを傷つかせたくないんだ。報われない恋ほどつらいものはねーからな」

歩生は、誰かを想っているかのような表情で開いた障子戸から見える庭園をぼんやりとした視線を向け眺めていた。

(報われない恋か・・・)

その言葉が身に染みるほど伝わる史果は小さく自嘲した。



☆☆☆
昼休憩時間内にきっちり送り届けてくれた歩生と別れた史果は、自身のフロアへと戻り席に着いた。

辺りを見渡すとまだ基希の姿はなく、会社に戻っていないのがわかった。史果は座っていた椅子から立ち上がるとそのままの勢いで総務課のあるフロアまでエレベーターで向かった。


「お疲れ様です。すみません、独身用の社宅のことで相談がありまして。藤基希さんが仲介でやり取りしていた担当者さん、お願いできますか?」

フロアを覗き近くにいた女性社員に問うと担当者を呼んできてくれ、史果の前に一人の若い男性社員が現れた。

「すみません、独身用アパートの件で」

「ああ、藤から聞いてるよ。それにしても災難だったね」

やんわりと話す男性担当者は同情するような口調で史果の身を案じてくれた。

現在会社が所有する他の借り上げ物件をいくつかピックアップしてもらえるよう相談するも彼からは現在空室がないと言われてしまった。


「はあー・・・」

「ふーみーかー」

総務を出た史果は、重い足取りでエレベーターに向かっていると前から由利に声を掛けられた。

「何か最近ちょくちょく会うねー。今日は何かあったの?」

史果は由利に先ほどのやり取りを話すと訝しげな表情で首を傾げ眉間に皺を寄せた。

「えー、それは無いと思うけどな。そりゃあトンでもない条件の物件相談されたら不動産屋巡れって跳ね除けるけど、史果のあげた条件物件ならあるはずだけど・・・ちょっと待ってて」

そう言うと由利は走って総務へ向かい、数分後に印刷された所有物件賃貸リストを持って史果の元に戻って来た。

「ほら、ちょっと調べただけでもこんなに空室あるよ。・・・さっき史果が相談した担当者って誰?」

やり取りした社員の名を告げると由利は史果をもう一度総務に連れて行き、再び彼を呼び出した。

申し訳なさそうな表情で現れ、史果を見るなり第一声に謝罪の言葉が降ってきた。

「あ、あのーどういうことですか?」

彼から出た言葉に史果は唖然とし言葉を失ってしまった。眩暈を起こしそうになるのを何とか踏ん張り頭を振った。隣で心配そうに見つめる由利に支障がないことを伝え一先ず、由利にピックアップしてもらった物件資料の印刷用紙を手に自身のフロアへと戻った。
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