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  先に入ってて、と言われて居酒屋に一人で入るのはなんだか嫌な気分だ。もう三十三にもなるんだから、いい歳した大人なんだけど、なんだか不安になる。

 もし、来なかったら、一人でチョット食べて少し飲んで、連れ来ないんでって、店員さんにも言って、帰る。あぁ、考えただけでもめんどくさい。早く来いよ、優子。

 優子とよく待ち合わせする居酒屋だが、一人で来たことはない。ざっとテーブルが十ほど、あとはカウンターに椅子が五つ。焼き鳥のイイにおいがする。とりあえず、ネギマとモモをタレで、あとはビールにしとくか。

 店の引き戸がガラガラっと開く、店員の「いらしゃーせ」の歓迎の発声が響く。
沢田優子《さわだゆうこ》が店に入ってきた。仕事帰りなのにいつもと服装の雰囲気が違う。どこか、かしこまったような、康太《こうた》は違和感を感じていた。「ごめんごめん、ちょっとさ、部長がしつこくて。仕事終わりかけで、声かけてくるもんだから」

 優子は遅れた言い訳をしながら、慌ただしく席に着いた。人気の焼き鳥居酒屋は、今日も満席だった。康太は今日の日のために、慣れない予約をしていた。

「ビールでいい?」
「うん」
「すみませーん、ビールふたつと串盛りタレで。あとトマトサラダ」

 慌ただしく店員が動き回ってる。店員からの会釈のようなアイコンタクトで、オーダーが通ったことがわかった。
「でさ、今日話ってなに?」
「あ、西村卓也《にしむらたくや》、って覚えてる?中三の時の、あの不登校になっちゃった」
「あぁ、西村?俺の席の後ろだったやつだよな」
「そうそう、コウちゃんが中島だから、なかじま、で次が、にしむら。その西村くんがさぁ、昨日亡くなったんだって」

 中島康太は、そんなことよりもいつビールが来るのかが気になっていた。あと五分待って来なかったら、店員にチクリと言わないと。そんなことばかり考えていた。
「西村、死んだんだ。なんでよ?」

 ちょうど店員がビールを運んできた。
「じゃぁ、かんぱーい」
 優子はビールをぐぐっと喉を鳴らしながら飲んだ。

 ビールの飲み方だけなら、こいつは立派なオッサンだ。中学で三年間も同じクラスだったのに、ほとんど話すことはなく、社会人になってから偶然飲み屋で再会して、そこから付き合いが始まった。まぁ、お互いをどれくらい認識してたかなんて話も昔は多かったけど、いまじゃぁ、中学で同級生だったことをすっかり忘れたカップルだ。

 だから今日は新鮮な気分だ。中学生の時みたいな感覚で、当時のことを思い出しながら酒を飲むなんて、背徳感タップリだ。
「で、西村?なんで死んだの?」
「それがさぁ、自殺ってやつで」
「じ、自殺??」
「声が大きいよ」
「いや、中三の夏休み明けから、引きこもりがちになって、不登校だろ。そこから高校には通信で、大学も行ったって聞いてたけど」

 優子は残りのビールを飲み干し、おかわりを頼んだ。
「だけどさ、働いてないんだって。そのまま十年近くまた引きこもりになっちゃって、先週?亡くなったんだって」
「そっか、じゃぁもうお葬式なんておわってるんだな」
「そうね、初七日も終わってるしね」
「で、話ってコレだけ?」
「違うのよ、西村君の部屋から中学の時の日記が出てきて、そこにね、呪いたい人の名前が書いてあったって話なのよ」
「呪いたい?なんで?誰のことを?」

 康太は落ち着かない様子で、ビールに口をつけた。
「橘祐樹《たちばなゆうき》、杉岡和彦《すぎおかかずひこ》、持田久志《もちだひさし》、それと中島康太《なかじまこうた》」
「え、俺の名前も?」
「イジメられた恨みだって」
「イジメ?」
「でさぁ、橘・杉岡・持田って、三人とも昨日事故で亡くなったのよね。三人まだつるんでたみたいで、ほらおとついニュースになってたでしょ。飲酒運転で事故。そうそう、ダムの近くのカーブ曲がり切れずに。そうそう、あの事故。三人とも即死だったらしいよ」
「それって?」

 康太はビールを飲み干した。タバコに火をつけようとライターを取り出した。
「お客様、当店禁煙でございます」
 康太はライターを内ポケットにしまい、口にくわえたタバコを戻した。
「すみませーん、ビールおかわりください」

 優子は残ったビールを飲み干して追加オーダーをした。
「なんで、俺の名前が書いてんだよ」
「知らないわよ」
「優子さあ、その日記のことなんで知ってんだよ」
「だって、私、西村卓也の妹だもん」
「え、優子何言ってんだよ」
「だから、私は西村麻美《にしむらあさみ》。西村卓也の一つ下の妹」

 康太の背中に冷たい汗が滴《したた》り落ちる。
「それって」
「そうよ、沢田優子になりすまして、アンタに近づいて、卓也兄ちゃんにしたイジメ、認めさせようとしたんだけど」
「なんのために、俺にイジメを認めさせようとしたんだよ」
「橘たち使って卓也兄ちゃんイジメさせてたのアンタじゃん!」
優子改め、麻美はビールのジョッキを握りしめた。今にもジョッキが割れそうなぐらい強く握りしめている。

「兄ちゃん、大学出たのにまた引きこもったのよ!アンタが同窓会の案内状送ったからよ」

 康太は優子が西村卓也の妹で、西村麻美だ、という告白のような宣言にも似た、この荒唐無稽《こうとうむけい》な話がまだ信じられなかった。優子と知り合って二年ほどだが、ずっと騙《だま》されてたのか、そんなことばかり考えていた。

「同窓会の案内状を送ったらなんで引きこもるんだよ」
「だから、アンタ兄ちゃんイジメてた首謀者《しゅぼうしゃ》でしょ。それで、同窓会の幹事なんか引き受けて。せっかく、中学の事忘れた兄ちゃんに同窓会の案内状送りつけて、思い出させて!」
「それが自殺の原因になったてのかよ?」
「そうよ!とにかく、アンタには兄ちゃんの呪いがかかった!あの三人みたいに惨めに死ぬだけよ」
 麻美はそう言い残して、店を出て行った。



 康太は火のついていないタバコをくわえたまま、麻美の座っていた椅子を眺めていた。テーブルの上の飲みかけのビールは、そこに優子がいたことの唯一の証明のような気がした。

「どうでした?優子さん、うまくいきました?」
「わかんないわよ、でも、これで別れられると思う。康太かなりビビってたし」
「ありがと、麻美ちゃん」
「いえいえ、先輩に頼られたらねぇ」
電話越しに、男の声が聞こえる。
「麻美ちゃん、そこに西村君いるの?」
「兄ですか?ゲームしてます」
「そう、西村君にもよろしくね」
「ええ、今度ご飯ご馳走《ちそう》してくださいねぇ。焼き肉がいいって兄も言ってます」
 
 この別れ話のストーリーを書いたのは、西村卓也だ。康太が私と別れてくれないことを部活の後輩だった西村麻美に相談した。シナリオライターの西村卓也がこの計画を考えてくれた。麻美も私も、こんな穴だらけのストーリー信用するかと不安だったが、こんなにもうまくいくとは思わなかった。
 
 橘・杉岡・持田は西村を中学生時代にイジメてたのは事実だ。その首謀者が中島康太というのは、卓也のでっちあげ演出だった。だからうまくいくか、どうか、わからなかった。
橘・杉岡・持田が交通事故で亡くなったのは事実だった。この事実と自分がイジメられていた事実、そのふたつの事実だけを重ねて作ったストーリーだった。
「まぁ、悪いことしたやつは、バチがあたるんだよな」
 西村卓也はゲームをしながら、つぶやいた。
 
 中島康太は、居酒屋でタバコに火をつけ、店員とひと悶着《もんちゃく》あった。店長が警察に通報したせいで、そのまま近くの交番に連れていかれた。
「あなたさぁ、いい大人なんだから。ルールは守らないと。最近はタバコ吸えないお店も多いんだから」
 年配の警察官は康太に語気《ごき》を強めに諭《さと》した。

「あ、はい」
「今日は、なにがあったの?」
「いや、不思議なんですよ。どうしてわかったのかなって。俺が首謀者ってこと」
「なんの、首謀者?何言ってるキミ」
 年配の警察官が早口でまくし立てた。
「いえ、なんでも」
 中島康太は注意を受けただけで、釈放《しゃくほう》された。優子に電話をかけたが、つながることはなかった。

 西村卓也は、中島康太への復讐《ふくしゅう》のシナリオを練《ね》っていた。橘・杉岡・持田が同じ車に乗ってて、事故で死んだ。中学生の頃に夢見た通りの仕返しだった。車で事故と文字にしてしまえばそれだけだが、車がカーブを曲がり切れずに、崖下《がけした》に落ちた。

 そのまま車はぐしゃぐしゃに潰れた。即死《そくし》と言っていたが、本当は三人ともまだ生きていたようだった。車から脱出しようとした跡があったらしい。三人とも足を骨折していた。ガソリンが漏れた車はすぐ燃えた。三人とも生きたまま燃えた。

 中島康太の最後のシナリオはどうするべきか。このまま実行せずに、シナリオを練り続けることが生きがいになりつつある。この復讐《ふくしゅう》のシナリオが実行されてしまえば、これから何を糧《かて》に生きていけばいいのか。

 西村卓也は、今日もノートに書き連ねる。中島康太の悲惨な最期《さいご》を。

(おわり)

※この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
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