パンとサーカスと、自転車に乗って

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第十八話・複雑に絡む糸ほど、ほどくとシンプルということ

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 重野英子四十三歳、シングルマザー、無職。京都府城陽市徳田町コーポ209号。前科あり。一ツ橋は前科が二つ、一ツ橋が轢き殺したとされる杉浦杏子も前科者だ。なにか見えない糸のようなものが入り組んで絡まっているのか、それとももともとシンプルな結び目なのか、葉狩は英子の表情から汲み取れずにいた。響木が抑えてくれた会議室は取調室と違って広い。窓は鉄格子がついているが、独特の圧迫感はない。たまにニュースで「容疑者は黙秘を貫いています」みたいな報道を見ると、よくできるなと刑事ながら思う。あんなに狭い部屋で、自分の自由が奪われ始めたと思うと正気ではいられない。実際に、ありもしない犯罪を告白してしまう容疑者もいる。取り調べを早く終わらせたいということよりも、捜査に協力しているという意識に変わり、自分を犠牲にしてまで自分で冤罪を作り出すこともあるのだ。認められたいという心理だろうか、就労経験のないものにそういった傾向が多いと葉狩は感じていた。
 重野英子は無職だ、シングルマザーで傷害事件を起こした相手が元旦那。養育費が支払われるのか、相手が被害者なだけあって、これ以上のかかわりを持つことができるのか。英子は取り調べではなく、刑事への相談という気持ちからか、口を開くと饒舌に話した。
 夫のこと、働いていないこと、収入のこと、近所のいけすかない老人のこと、葉狩は英子を制した。
「あの、重野さん、一ツ橋さんについて知っていることを伺いたいのですが」
 響木のタイピングが止まった。書記を頼もうと思っていた押上は、署に戻る途中一ツ橋の壊れたバイクを預かっていたという修理工場を突き止めたのだ。押上には修理工場に向かわせ、響木に書記を頼むことにしたのだ。
「一ツ橋さんって、あの人、弁護士だと聞いていたのですが、違うんですか?」
「ええ。一ツ橋は、弁護士登録はされていませんし、そもそも大学も出ていません。青森から東京、大阪、京都と転々としています。真っ当な仕事には就いていないようで、彼は下っ端の詐欺師ですね」
 死人とはいえ個人情報保護順守の精神はあるものの、葉狩は英子から何か手掛かりを引き出すために、情報を開示した。響木はタイピングの手を止めている。こういうところが、押上とは違うと葉狩は響木を評価した。
「詐欺師ですか。やっぱり」
「やっぱりといいますと、そんな予兆があったんですかね。そもそも一ツ橋とは、どこでどう知り合ったんですか?」

「一ツ橋さんとは、ボランティアを通じて知り合いました。ボランティア団体といっても実は新興宗教団体で、彼は集金係でした。よくよくお話を聞くと、弁護士資格も持っているということで、息子の正美の学校問題で力を借りました」
 やはり新興宗教団体か、葉狩は一ツ橋に感じた刑事のカンを改めて信じた。新興宗教団体を隠れ蓑にした詐欺集団を押上が追っている。その中で欠けているピースが弁護士役と押上からの報告ではあった。一ツ橋と符合する。
「息子さんの学校の問題といいますと?」
「イジメで不登校になり、中学一年生の終わりぐらいからなんですが。そこで、学校との話し合いの際に、一ツ橋さんにも同席してもらって」
 英子は額に汗をかいている。小さな玉のような汗が、零れ落ちる。十月とはいえ、京都は暑い。空調を利かせているものの、英子の顔は紅潮しているように見える。
「それで、イジメは解決した?」
「ええ、解決はしましたが、直後に息子がバイク事故にあって」
「バイクに乗って?」
「いえ、バイクに轢かれて」
 また符号した。一ツ橋を追っていたのは、バイクによる轢き逃げ。そもそも、轢き殺す目的でバイクを使うのは妥当ではない。自分も転倒のリスクがあるからだ。普通は車を選ぶのではないかと思う。
「それでお子さんは?」
「今も入院しています。今年で三年目になります」
「ケガがひどいってことですか」
「いえ、私のせいなんです」
 英子がさらに堰を切ったように話し始めた。その表情はどこか虚ろで、それでいて正気で。電車の中で突然決心して大声で歌い始める狂気じみた、あの見知らぬ誰かのようだった。つまり、寝室のクローゼットに潜む誰かのような。強い怖さがそこにあった。

「正美の入院を長引かせて、保険金詐欺をしています。教団への献金に、売るものも何もなくなってしまって。それで」
 葉狩は響木に目配せした。書記をするなというアイコンタクトを響木はつかみ取っていた。
「正美君の入院を長引かせるといっても、そんなことは重野さんにできっこないでしょ」
「だから…」
 英子は自分の核心の部分をギュッと握ったまま離そうとしない。その核心を手放せば、自分は正美とは一緒にいられなくなるとわかっているからだ。前科が二つ目になって、収監は免れなくなる、それは英子自身がよくわかっていた。
「大丈夫です。この件については、我々の手で起訴するつもりもありません。病院に協力者がいるってことですね。医者か看護師、どちらかまたは両方とも」
 英子の表情が変わった。自分から告白する必要がなくなったと感じ取ったのか、どことなく表情が穏やかになったと、葉狩は感じた。
「一ツ橋は、重野さんと教団をつなぐパイプ。教団といっても実は詐欺集団だと。彼らが、正美君の入院を長引かせる詐欺を重野さんに提案したのでしょう。重野さん、私たちが追っているのは一ツ橋を殺したと思われる人物なんです。一ツ橋は自殺なんかじゃない。そんなタマじゃないですよ。自殺に見せかけた他殺です」
 葉狩は葉狩の核心を英子に投げつけた。
「早田千賀子、一ツ橋さんに納めたお布施は彼女のところに届けられていました」
「ソウダチカコ?」
「はい、会ったのは一度だけで。でも車の後部座席にいるのを、窓越しに見ただけで」
「顔はわかりますか?」
「いえ、スモークが貼っていたから」
「正美くんの入院保険金詐欺の首謀者はそのソウダチカコ、という人物なのですか?」
「たぶん」

 葉狩は手元のスマホでソウダチカコで検索した。早田千賀子という俳優が検索に引っかかった。だが、既に亡くなっている。亡くなってちょうど十七年経っている。

「すでに亡くなった俳優でいるみたいですが、人違いというか、その名前すら偽名かもしれませんね」
「葉狩さん、画像が出てますよ。その俳優さんの」
 響木は書記中のパソコン画面を葉狩と英子に見せた。英子から驚きの声がこぼれる。
「似てる」
「いやいや、似てるって、顔見てないんでしょ。スモークで」
「いいえ、その正美の友達のお婆さんに」
「お婆さん?」
「ええ、詳しくはわからないのですが、お婆さんに引き取られたって」
「その方のお名前わかりますか?」
「久保隅咲江って、でも、この写真からはずいぶん時間も経って、歳も、ねぇ。取られたみたいだから。でも、キレイ。ホントに似てる」
 英子はうっとりと響木のパソコン画面を眺めた。確かに美しい人だと、葉狩も思った。
 一ツ橋が殺害されたとする根拠は英子からは引き出せていないが、別の詐欺事件が浮上してきた。
「それで、お子さんを護って欲しいってどういうことですか?」
「漠然とした不安だけなんですが、正美はバイク事故にあったのはもしかしたら一ツ橋さんの仕業なのではと思うようになって」
「どうして?」
「入院の保険金詐欺ももう毎日の差額ベッド代ぐらいで、あまり身入りも多くなくて、そのことを一ツ橋さんにいったら。《死亡保険なら、ガッポリもらえるかもしれませんね》って」
 やはり下っ端だ、馬脚を露してやがる、と葉狩は苦々しく思った。
「でも、殺害だなんて。実の息子さんでしょ」
「はい、その話をされたとき、あの男が正美をバイクで轢いたんじゃないかって」
「一ツ橋は亡くなりましたが、その病院自体も危険でしょうが、一週間ほど警護にあたります」
「いいんですか?」
響木がぼそっといった。
「四六時中とはいきませんが、毎日は顔を出します。警察だということも、アピールするようにしておきます。そうすれば、一ツ橋の息のかかった連中も手出しはできないでしょう」
 英子はすっかりと憔悴しきっていたため、葉狩はこれで聞き取りは終わりと伝えた。

 書記記録をメールで響木からもらい、葉狩は読み込んでいた。響木が葉狩のマグにコーヒーをなみなみと入れて、入口付近のデスクに持ってきた。
「なんか、重野英子って、まだ何か隠していますよね。」
「そりゃぁそうでしょ、わざわざこちらに出向いてきて、様子伺いだと思うよ」
 押上からメールが届いていた。一ツ橋の壊れたバイクが持ち込まれたという修理工場に向かわせていた件で面白い報告があった。
 ヘッドライトと後方のリアターンシグナルライトが破損されたバイクが持ち込まれたと裏が取れた。十月二日の早朝だった。男が荷台付きの軽トラックで持ち込んできた。二十台前半ぐらいの男ということで、一ツ橋とは年齢が二回り近く違う。念のため一ツ橋の写真を見せたが違うといい切った。修理工場は京都ではなく、滋賀の大津にあり琵琶湖のプレジャーボート専門の修理を請け負っている。店主がバイク好きということで、バイクの修理も行っているらしい。部品が足りないため修理に時間がかかるとその男に伝えたところ、他の店で修理すると十月七日の昼にバイクを引き取りに来た、ということだった。防犯カメラはなく、その男の映像は存在しない。
 一ツ橋が亡くなったのが十月七日午後八時から十時。男がバイクを引き取ったのが十月七日の午後一時ごろ。バイクを修理するつもりだったが、修理が叶わず引き取り、再び一ツ橋のアパートの駐車場に置きなおした、ということだ。

 葉狩は押上に署に戻るようにと返信した。メールの表題は《ありがとう》とした。妻から今日も怒られたばかりだったのを思い出したからだ。人には感謝を伝える、早々に実践したのだ。
 葉狩は響木の書記記録を眺めながら、A4ノートにまとめはじた。パソコンは苦手だ、ノートに書いてまとめると見逃していた疑問に気づくことが多い。

 重野英子は息子・正美を長期間入院させ、保険金詐欺を働いていた。→《だから無職だったのか。》
 その金は宗教団体に寄付しており、一ツ橋が集金係であった。《だから、重野英子は金が必要だったのか》
 一ツ橋は重野英子の息子・正美のイジメ解決のための弁護士として不登校・イジメ問題の解決にあたった。→《だから、一ツ橋をいつまでも「さん」付けで呼んでいたのか》
 一ツ橋は偽弁護士だということは、重野英子も薄々気づいていた。→《轢き逃げニュースで確信したのか》
 一ツ橋が重野英子から預かった金は、早田千賀子という人物に上納していた。→《詐欺の上納システムか》
 早田千賀子という俳優がいたが、十七年前に亡くなっている。→《本当に亡くなったか。くしくも、重野正美は十七歳だ》
 早田千賀子の若い頃の写真は、年齢を重ねてはいるが重野正美の同級生の祖母、久保隅咲江に似ている。→《名前を変える、改名、結婚で変わったか、それとも戸籍を》
 事故車のバイクが一ツ橋とは異なる人物に持ち出され、県外で修理を依頼し、叶わず元の場所に戻されていた。→《この人物が一ツ橋事件を複雑にしている。こういうキーマンは意外とシンプルな動機が行動原理のはずだ》

「押上君もうすぐ戻ってきますが、どこか会議室でも取りましょうか」
「そうだな、頼むよ」
 葉狩は自分で書いたノートをじっと見つめ続けた。なにかわからないことが見えてくるかもしれない。捜査では【わからないこと】の認知が大切なのだ。わからないことを明確にしないと捜査方針も立たない。
「ああぁ、会議室がいっぱいですねー」
「どこか小さなところでもいいんだが」
「ちょっと待ってくださいね、ここ桜井君が取ってる場所だから、横取りしちゃお」
 響木は悪びれもなく、桜井が取っておいた会議室をキャンセルし、葉狩の名前で取りなおした。
「いいのか?」
「いいんですよ。アノ人、仮眠用に会議室取ってるって昨日言ってたんです」
「アノ人って、先輩だろ?」
 響木は気まずそうに、葉狩を見た。葉狩も何のことかわかった。これは、家での会話だ。二人が付き合ってるって話は、確か押上から訊いていたが、本当だったとは。
「なら、いいか」
「葉狩さん、このこと黙っててくださいよ」
「このことって会議室パクった話のことか?」
 葉狩はわざととぼけた。
「パクる?」
「盗んだって意味だ。お前たちの世代はいわないか?」
「パクるって、私たちの世界じゃぁ逮捕じゃないですか。」
「ちょちょ、今なんて言った」
「え?」
「俺なんていった?」
「パクる?盗む?」
「それだよ。盗むだよ」
 葉狩はノートのある個所をぐりぐりとボールペンで丸を付けた。
 それは、事故車のバイクが一ツ橋とは異なる人物に持ち出され、県外で修理を依頼し、叶わず元の場所に戻されていた。→《この人物が一ツ橋事件を複雑にしている。こういうキーマンは意外とシンプルな動機が行動原理のはずだ》
の箇所だった。
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