パンとサーカスと、自転車に乗って

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第六話・祖母との鉢合わせと暗号

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 ノートに書き出している。ノートは腐るほどある。高校を辞めてしまったから。後悔はない。通信講座タイプの高校に編入することも咲江さんから勧められたが、正美のことを考えているとどうにも譲り受けた曲たちを形にせねばと思う気持ちが強くなった。そんなの高校の勉強しながらでもできるでしょうと咲江さんは言った。半ば根負けした形で、隣町の夜間に通うことにした。学校にはさまざまな経歴の人たちがいて驚いた。

 母さんぐらいの年齢の人や、咲江さんぐらいのオバアサン、ちょっとヤンキー風の男性、同じくヤンキー風の女性、おとなしい三十代ぐらいの女性、名前はわからない。みんないつも授業に出ているわけではないからだ。僕は時間があるから、欠席することはなかった。少なくともあの高校の授業よりは退屈ではなかった。英語と国語を勉強しているときが一番心地よかった。

 休み時間、どうしても作詞を進めたくて、音源を聴きながら歌詞を書き出していた。ワイヤレスイヤホンではなく、ピンジャックをスマホに差し込んで、ヘッドホンで聴くタイプだ。必然的に目立つ。こっそり音楽を聴いていると言う感じではなかったと思う。ノートに書き出している姿を見て、クラスメイトが声をかけてきた。唯一僕と同じ欠席をせずに出席し続けている中田陽子なかたようこさんという人だった。子供が大学を卒業して子育ても終わったから、学びなおそうとしていると言う話だった。
久保隅くぼずみくん、ペン落ちてるよ」

 陽子は教室の板張りの床に落ちた秀一のペンを拾った。作詞用に油性ペンを使っている。いわゆるネームペン。うっかり落ちていた。ヘッドホンをしている秀一は気づかない。洋子は秀一の肩を叩いて、ペンを見せた。自分のペンを拾ってくれたことに気づいた秀一はヘッドフォンを外した。
「あ、ありがとうございます」
「熱心ね、英語のリスニング?」
「いえいえ、音楽を聴いてるんです」
「へぇーどんな?」
 陽子はその名前の通り、太陽のような暖かな人だと秀一は思った。懐に入ってくる間合いがちょうどいい。話すのは三度程度だが、話しかけてみたいなと、秀一は思っていた。母も同じくらいの年齢かと思うが、そういった母コンプレックスみたいなものではなく、年齢も離れているにもかかわらず素敵な女性だと秀一は率直に思っていた。

「あぁ、これ友達が創ってくれた音源で、それに歌詞をつけているんです」
 陽子は両手を口にあて、驚きを表現した。
「えぇ~、久保隅くんって、ミュージシャン?作詞家?え~」
「大きな声出さないでくださいよ。まだ卵ですよ。すごいのは僕の相方です」
「じゃぁ、このメモ書きは歌詞?」
「そうです、作詞していました。本当は僕も曲を作るんですが、入院中の友達が曲を作ったって。それに、歌詞をつけて欲しいって。曲ができれば友達も元気がでて、退院できるかも、なんて」
「そうなの。それは、心配ね。でもいい歌詞できるといいね」

 陽子はチラッと作詞メモのノートを見た。
不規則な数字が並んでいた。
 「2595」「3194」「3513」
 いけない癖がでた。陽子は抑えられなかった。
「ねぇ、この数字なに?気になる。私数学は苦手だけど、数字を見るとなんだか衝動に駆られるというか。ごめんね。これ、なに?」
「あぁ、えっと、これは曲のファイル名で。全部で41曲友達から作詞するように譲り受けたんです。1曲目は01っていうファイル名で、2曲目は02、10曲目は10って感じで。でも25曲目が「2595」で「31曲目が「3194」35曲目が「3513」ってファイル名になっていて。なんだかよくわからず」

 休み時間が終了のチャイムが鳴った。
「気になる数字ねぇ。でも私、わかんないや。すっごく興味あるから、写真撮ってもいい?家で解読してみたい」
 陽子は真剣なまなざしで秀一に言った。その熱意に押し負けるように、秀一は撮影を許可した。悪い人ではなさそうだし、と秀一は陽子を評価していた。母もこんなふうに自分と接してくれれば、と思ったが炎の力を制御できないまま母を怖がらせたのは自分だと思うたびに、もう戻れないんだ、と秀一は寂しさを覚えた。

 授業終わりの帰り道、陽子と一緒になった。さっきの暗号の話をしたそうだったが、どうにも無言のまま駅に近づいた。陽子は反対側の駅だったため、改札で別れた。別れ際に
「久保隅くん、もし何かわかったら、連絡するね」
 陽子はくったくのない笑顔で言った。秀一は陽子のいる反対のホームまで走り、メモを渡した、LIMEのIDを書いたメモだった。
「なにかわかれば、遠慮なくLIME経由で電話してください。通話料は無料ですし」
「あ、ありがと。じゃぁ何かわかれば連絡するね」
「はい」
 秀一がそう言うと、電車がホームに入って来た。陽子は急行に乗ると、ドアが閉まるまで秀一に手を振っていた。そのせいでわずかな空席が埋まってしまった。

 帰り道、曲順の暗号みたいなもの以外に最近気になることがあった。咲江さんのことだ。高校を中退して、夜学に通うようになって、朝起きるのは遅くなった。九時過ぎに目が覚める。そのころは咲江さんは働きに出ている。いつもの朝食が冷蔵庫に置かれている。きんぴら・ひじきと目玉焼き、納豆がパックで、と味噌汁がちいさな器に入っている。若者には若干物足りないが、その分昼間にジャンクフードを食べても、罪悪感はない。

 その咲江さんと夕方に鉢合わせすることが二度ほどあった。一度はバイトに行くと言いながら、どうしても体調不良で休んでいたときのこと。友人とはちょっと違う雰囲気の女性を五人ほどがリビングで雑談をしていた。和やかに見えたが、年齢は二十代から四十代ぐらいまで。咲江さんが六十代だから同年代の人は見当たらなかった。

 どこで知り合ったのだろうという疑問だ。パート勤務しているのはビルの清掃と言っていたはずだ。一人で仕事ができるのがいいと言っていた。だから職場の友人ではなさそうだった。それに、どこかよそよそしい。初対面に近いほどの雰囲気だった。僕は祖母に気づかれないように、リビングには顔を出さず、様子をガラス扉越しに見ただけで、家を出た。見てはいけないモノを見たような気もしたからだ。咲江さんはキッチンでお茶を準備していたようで、僕には気づいていなかった。

 もう一回鉢合わせしたのは、一つ隣駅の喫茶店だった。純喫茶というのだろう、最近はレトロブームで若者の来店するそうだが、それは特定の人たちだ。僕みたいなのは、チェーン店のカフェに行くことが多い。ゆっくりできるし、禁煙が徹底されているからだ。sの喫茶店にはどうしても用を足したく、飛び込んだ。奥側の席でメロンソーダを頼み、トイレに駆け込んだ。出てきたら、入口付近の席に僕に背中を向ける形で咲江さんと男性が話をしていた。男性の顔は良く見えた。また同年代とは思えない、四十代から五十代。光一の時の担任、奥原と同年代に見えた。だったら四十代か、と一人で納得していた。
 いくつかの書類をもらい、咲江さんが現金をもらっているのを見た。見てはいけないモノを見たようだが、僕は身体をできるだけテーブルに潜り込ませた。入口付近のトイレに咲江さんが立った時を見計らい、ぴったりの五百五十円をレジに置いて、僕は店を飛び出た。咲江さんと一緒にいた男と目があった気がした。どこか奥底しれない眼だった。濁っているからか、黒く黒くどす黒いからなのか、ニヤリと笑われた気がした。頭を燃やしてやろうかと思ったが、怒りが高まらないと力は使えない。僕はそこまで怒る理由がなかった。

 二カ月ほどで、咲江さんと鉢合わせしたことを言い出せずに時間だけが過ぎた。見知らぬ世界が咲江の中にもあることに、秀一は不安を覚えた。一人で幼稚園に放り出されるあの感じ、母から手を離される感じを、祖母の咲江に感じていた。秀一は深入りしては、暮らしのなかの大切なものが崩れ落ちそうな気がした。朝の朝食も、週末やたまに学校がない日の夜の咲江との夕食、貴重でかけがえのない時間や関係が追求の手によって、ぺしゃんこに崩れるのを秀一は恐れた。

 翌日、陽子からLIME経由で連絡が入っていた。授業が始まる一時間前に、学校に来て欲しいということだった。暗号の件だと思うが、敢えて書かないところを見ると、記録に残したくなかったのだろう。秀一は、OKのスタンプで返信した。
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