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第1話 父が遺したもの ②

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 吉房一行が、ついに小谷城に到着した。
「なんやこれは……」
城内は騒然としており、あちこちで怒号が飛び交っている。
「あほか!」
「血迷うたか!」
「それは無いやろが!」
唖然としている吉房に走る城兵がぶつかった。
「ご無礼を!」
「周りを見よ周りを!」
吉房は近くにいた城兵に尋ねる。
「何の騒ぎか聞いとるか?」
「いや、私は何も聞いとらん。」
「ここへ来たのも急なことやったな。」
「うむ……。何やらすぐにでも出陣するとかせんとか。」
「ご領主様は何を急いでおられる。」
そこへ圭助が叫びながら走ってきた。
「吉房ー!吉房ー!」
「何や圭助!」
「広間で、偉いさん達がようさん集まっとる!」
「それで?」
「村や里の長も集えっちゅうことや!」
「なに……、分かった。すぐ行く!」
吉房と圭助は城の広間へ走った。
広間に着くと、家臣団は屋内へ、地侍達は屋外に集っていた。圭助は吉房の隣にしゃがむ。
広間も騒然としていた。
「一体何が起こるんや。」
吉房が呟いた矢先、家臣団が一斉に立ち上がる。
「殿のお越しである!」
家臣の一人が高らかに言うと、その場にいた全員がひれ伏した。次第に足音が近づいてくる。

「皆、面をあげよ。」
吉房はこの時、初めて自分の領主の顔を見た。北近江領主の浅井家当主であり小谷城主の浅井長政。
「急ぎの知らせにも関わらず、皆がこうして集ってくれたこと、恩に着るぞ。そなたらの力があればこそ。領民の力があってこそじゃ。」
圭助と吉房が小声で話し始める。
「領民思いの優しいお殿様やの。」
「うむ。噂には聞いとったが、ありゃ立派な領主や。」
「わしらはご領主様に従うておったら連戦連勝!朝倉義景なんぞ一捻りや!」
ある地侍が立ち上がり威勢良く言い放った。他の地侍達も同調した。吉房と圭助は互いに顔を見合って笑い合った。
「静まれ!」
長政の一声で皆が口を閉じた。
「我らこれより城を発ち、一刻も早く越前に入り、義景殿を救い申し上げる!」
「お??」
「どういうことや?」
「朝倉は敵やろ…?」
ざわめきと動揺が広がった。

「奥方様!行ってはなりませぬ!」
そこへ侍女達が騒いで出てきた。その先頭に立派な小袖を着た女が立っていた。
「市……」
長政が呟くと皆口々にささやく。
「あれが奥方様か…。」
「織田の姫や。」
彼女は浅井長政の妻・市。浅井家と織田家が同盟を結んだ折、政略結婚で織田家から長政に嫁いできた。戦国一の美女の呼び声高く、誰もが魅了された。
「市よ、そなたは織田の姫じゃ。出たければ城を出よと申したはず。」
「市は、ここに嫁いだ時より浅井長政の妻。あなたの成すことに苦言を呈するわけがありませぬ。」
「ならば、子らとともに奥におれ。間もなく出陣する。」
家臣達は長政と市のやり取りを静観していた。
「出陣なさる前に言わねばならぬことがございます。」
「何じゃ。」
「兄と戦をするとなれば、もう後戻りはできませぬ。殿に、その覚悟はお有りですか。」
「市……。だから……だからこうして総力戦の構えを見せているのじゃ。村や里の者まで駆り出すのはわしの本心にあらず。それくらい、わしは本気なのじゃ。」
市は長政の言葉を聞くと、少し微笑み長政の手を取った。
「ならば存分に戦って下され。湖畔に兄の首を晒すのです。」
長政は笑いながら市の手を握り返した。
「兄に似て、血の気の多いやつじゃ。」
圭助が夫婦の会話を口を開けて見ていた。
「バカたれ。」
吉房がはたくと圭助は我に返った。
「良いか!皆には朝倉討伐と伝えたおったが、朝倉は我らの味方である!此度の敵は織田!ならびに徳川!それに続く大名である!」
吉房は心臓が激しく動くのを感じた。長政の宣言に皆が激昂する。
「わしらを騙したんか!」
「とんでもねぇ領主や!」
村長や地侍から非難の声があがる。
「静まれ!静まれ!」
家臣が叫ぶが一向に黙る気配はない。
「黙れと言うに!黙らんか!」
「ふざけんなや!」

「もうよい!」
長政が一喝し、場を鎮めた。
「憎みたければ憎め。そしりたければそしれば良い。わしの心を理解するのには時がかかろう。家臣さえ、全員が賛同してくれたわけではない。」
家臣団の表情は二分していた。決意と戸惑いの表情である。
「だがの。身内を殺し、領主の座を手に入れ、幕府の名を盾に異を唱える者を全て排除する。そんな男に同心することは、わしには出来ぬ。いずれ都の将軍も捨てられるに決まっておる。そんな男の作る世が、果たして戦乱の無い穏やかな世となろうか。」
市は静かに広間を去った。
「そんな男に政を委ねれば、世は腐る。ただでさえ皆苦しんでおるのじゃ。今よりもっと腐った世にしたいか。」
長政の言葉は自ずと皆の胸を打つ。
「皆分かっておる。だが声をあげぬ。何故か分かるか。怖いからじゃ。異を唱え、消させるのが怖いからじゃ。だから皆、声をあげることから逃げる。出る杭は打たれると思うからな。」
次第に皆の目が輝きだした。
「だがそれは違う。杭はお前だ。おかしいのはお前だ。正しいのは我らだと分からせてやらねばならん!」
「そうや!」
「ごもっとも!」
非難の声が一変、賛同の声に変わった。
「このわしが!声をあげれぬ者に代わって声をあげる!出る杭は、このわしが打つ!」
「おー!」
吉房と圭助は浮かない顔をしている。
「正気か……」
「わしら村の者は意見すら出来んでな。」
意外にも周りの者達は皆納得したような雰囲気である。
「出陣!」
この日、長政率いる浅井軍は小谷城を発った。吉房一行は言われるがままに従軍した。

 長政出陣の報が近江中に駆け巡った。だが、その子細はまだ誰も知らない。
「入るで。」
仁文が小姓部屋に入ると、平馬が他の小姓の相手をしていた。
「……しょ…しょぎゅう……?しょじょう?」
「違う違う。諸行無常だ。あっ和尚様。」
「何をしとった。」
「皆が平家物語を読んでみたいと言うので。」
「それは上々。それでな平馬、ご領主様が昼に城を発ったそうや。」
「遂に出陣ですか。」
「何?平馬兄さんの父様戦に行ったん?」
寺小姓達が身を乗り出してきた。
「織田、徳川、浅井が集えば朝倉なぞ一捻りや!」
「安心やな!」
小姓達はそう言うが、平馬の表情は雲っていた。
「……だと良いのだが。」
「何や平馬。心配なことでもあるんか。」
「いえ。ただ………何だか胸騒ぎがします。」
 
 その頃、浅井軍は近江と越前の国境を進んでいた。
「殿!殿!」
「何か分かったか。」
「はっ。物見によれば、織田徳川の本隊、共に金ヶ崎城に布陣中とのこと!朝倉の軍勢もこちらへ向かいつつあり!」
長政は馬に合図し歩みを止めた。
「城内の様子は。」
「はっ。城を落とした勢いで宴に次ぐ宴とか。」
「我らが味方だと油断し切っておるようじゃ。皆の者!目指すは金ヶ崎じゃ!織田徳川勢を挟み撃ちじゃ!」
吉房と圭助は前方から長政の声がかすかに聞こえていた。
「本当に大丈夫なんやろな……。」
「何やら、胸騒ぎがするで。」
その後、浅井軍は金ヶ崎城に迫った。長政は金ヶ崎城に一気に攻めかかる構えを見せた。ところがである。
「何と!もう一度申せ。」
「ですから……物見によれば城内に敵の本隊はもうおらぬと。」
長政の読みが外れた。
「何故じゃ。」
「一乗谷へ向けて北上した気配もなかったようで。」
「悟られたか……。」
陣営には重たい空気が流れていた。吉房達の不安は募るばかりである。
「こりゃえらい事になるで。吉房、どうにかして村に帰れんか。」
「ばかを言うな圭助。今さら帰れるわけないやろ。」
長政は考えを巡らせる。そこへ再び伝令がやって来た。
「申し上げます!織田徳川勢は城に殿(しんがり)軍を残し京へ撤退したとのこと!」
「おのれ誰が漏らした!」
長政は騒ぐ家臣を制止した。
「京へ引き返したといってもまだそう遠くへは行っておらぬはず。ここから京に戻るには必ずこの近江を通らねばならぬ。地の利はこちらにある。」
長政の言葉に家臣達も頷く。
「殿軍の大将は誰か。」
「はっ。明智十兵衛光秀、ならびに池田筑後守勝正!」
「相分かった。直ちに金ヶ崎城へ攻め込み、織田徳川勢を追撃致す!皆の者!抜かるでないぞ!」
吉房の足取りは重い。
「……もう行くしかねぇ!行くで吉房!」
「あぁ……そのようやな!」
浅井軍はそのまま城に向かって進軍した。浅井軍が城へ到着すると、織田徳川方の殿軍が待ち構えていた。
「かかれー!」
織田徳川勢と浅井朝倉勢の激戦は熾烈を極めた。

 長政の織田連合からの離反は近江中を震撼させた。観音寺にも知らせが届く。
「結局大将首は取り逃したそうや。」
「そうですか。ご領主様は一体何故……」
「吉房殿はいまだ行方知れずらしい。」
「そうですか……」
仁文が平馬の手を強く握った。
「気を強う持てよ。吉房殿は必ず帰って来るで。」
「はい。今はただ、祈るのみ。」
平馬は空に向かって手を合わせた。
「父上……」
村にも戦のあらましが伝えられた。吉房の家に継と石が来ている。
「村長は無事?」
「何が起こっとるん?」
東は慌てる二人をなだめる。
「大丈夫。きっと大丈夫や。村長の帰りを待とう。村長が帰ってくれば、君らの大好きな平馬も帰ってくるから。」
東は二人を優しく抱きしめた。その手は少なからず震えていた。

 長政は金ヶ崎から小谷城へ戻ってきている。城内は相変わらず騒然としている。そこへ知らせが届く。
「まことか!」
「はっ。三十日には、京に無事たどり着いたとのこと。」
長政は力強く机を叩いた。
「千載一遇の好機であったというに……。運の強い男じゃ。」
そこへ市が入ってきた。
「おかえりなさいませ。」
「市……そなたか。我らの動きを織田方に流したのは。」
「……何の話でございましょう。私は知りませぬ。」
「………。では誰じゃ。」
ちょうどその頃、吉房達が金ヶ崎から生還した。
「生きておる。あぁ生きておるでぇぇ!」
「皆、無事で何よりや。」
村の者達は全員生きていた。
「良し。すぐにでも村に帰ろう!妻や子が待っとる!」

「それはならぬ。」
そこに家臣を連れた長政が現れた。吉房含めそこにいた者全員がひれ伏した。
「この中に、我らの動きを織田方に漏らした内通者がおるやもしれぬ。野放しにしては、敵に内情を晒すような物じゃ。文のやり取りも禁ずる。良いな。」
長政はそう言い残して去った。
「なんちゅうことや……」
平馬や東に消息を伝えられぬまま、およそ二ヶ月が経過した。
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