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第6"章 ワンモアタイム ワンモアチャンス⑥

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 午前四時、ベッドの上の神崎は静かに眠っていた。
 手早く鞄の中から注射器と試験管を取り出して、慎重に神崎の腕に注射する。
 神崎の状態に変化はない。後は朝になって神崎が目覚めるかどうか、信じて待ち続けるしかない。
 鞄の中に入っていた道具で後処置をして、そのまま神崎の手をギュッと握りしめる。

「なあ、神崎。やっぱりお前はすげえよ」

 一人で別の世界から飛んできて、高校生として暮らしながら俺と時乃の為にずっと準備を続けて。しかも、転校生としてやってきた神崎は誰も味方がいない状態で一からそれを積み上げた。

「筑後と石川先生に手伝ってもらったのに、この数時間だけでヘトヘトなんだよ。見ず知らずの学校に転校してきて、ずっと頑張ってくれたんだな」

 この世界では数時間前。体感では20年以上前に聞いた言葉を思い出す。
 はにかんだように笑った神崎が残したたった一つの秘密。

「どうしてお前がそこまで頑張れたのか。この前は秘密にされたけどさ、目を覚ましたら教えてくれよ」

 神崎が残したタブレットの記録から少しだけ察しはついていて。神崎が元いた世界の俺に対して嫉妬している自分がいた。
 神崎が見ていた俺はどっちだったのだろう。俺を通じて初めの世界の俺を見ていたのか、それとも。

「話したいことがいっぱいあるんだ。大体20年分くらい。考えてみろよ。この世界で俺とお前だけ高校生の体にアラサーの中身が入ってるんだぜ? これからどうするんだよ。色々と相談しないとな……」

 考えることは色々ある。俺も神崎もこれから先、二十年分くらいの記憶を持っているけど、この世界は俺と神崎という二つの異物を抱えたA"の世界だ。それがこの世界にどういう影響を与えて、自分たちの記憶とどう折り合いをつけていくのか。
 だけど、それは全部神崎が目を覚ましてからの話だ。
 流石に、少し疲れた。高校生の体だけど、中身はここまで二十年以上走り続けてきた。
 でも、走り続けてきたことは全く後悔していない。もし神崎が眠りについてしまった後のあの世界でもう一度やり直すの機会を与えられたって、俺は何度だってこの選択をするだろう。

 だからさ、神崎。この世界でもう一度――



 窓から差し込む光で目が覚めた。
 夏の気配を感じさせる強い日差し。前回もこうだっただろうか。
 神崎の手を握りしめたまま眠ってしまったようで――そうだ、神崎。

「嘘、だろ……」

 神崎は眠ったままだった。それは、二十年間変わることの無かった神崎の姿。
 体から力が抜けていく。間に合わなかった。駄目だったのか。せっかくやり直しのチャンスを掴んだのに、俺は救えなかったのか。
 俺はまた、選択を間違えたのか。

「ごめん。ごめんな、神崎……」

 世界が滲む。最後に泣いたのはいつだっけ。ああ、そうか。二十年前の昨日だ。
 結局、俺はあの時から何も変われなかった。あの日誓った自分への約束を果たすことが出来なかった。俺を送り出してくれた時乃と筑後の願いを叶えることが出来なかった。

「神崎、ごめん」

 握りっぱなしだった手をもう一度握りしめる。
 祈るようにじっと、ぎゅっと。
 どれだけ世界をやり直したって、変えられないものがあるのだろうか。
 世界の理を飛び越えても、パラドックスを克服することはできないのだろうか。
 奇跡を願った時に助けに来てくれた女の子一人、救うことも許されないのだろうか。
 それでも俺は。俺は神崎を救いたい。
 もう繰り返すことが出来ないとしても、どうしても、救いたかった。

「どうして、もう一度会いたかった……」

 願いを込めてもう一度その手に力を込める。
 二十年前のこの日からずっと駆け抜けてきた。それでも、手が届かないものがあるのか。
 この手から零れ落ちてしまうものが、あるということなのか。

「あ――」

 ピクリとした微かな気配。手が控えめに握り返された。

「……宮入君」

 静かな部屋に、ポツリと零れた声が響き渡る。

「神、崎……?」

 神崎が薄らと目を開く。俺と目を合わさずに気まずそうに窓の方を見ていた。

「ごめん。ちょっと前に起きたんだけど、昨日色々言った後だから恥ずかしくて……っ!?」

 ずっと、その声を聞きたかった。笑った顔が見たかった。
 そこにいる神崎の存在を確かめたくて、起き上がりかけた神崎をそのままぐっと抱き寄せる。
 会いたかった。ようやく会えた。20年間、ただずっとこの日を待ち続けてきた。

「宮入君、ありがとう」

 ぽんぽんと、神崎の手が優しく俺の背中をたたく。
 その仕草の一つ一つが、まるで奇跡のようで。

「わかるよ。私が今こうしていられるのは、奇跡なんかじゃないって」

 神崎の腕にぎゅっと力がこもる。俺はここにいて、神崎もここにいる。
 ようやく、この世界に辿り着いた。多くの可能性が広がる世界の中から、ようやくこの世界をつかみ取ることができた。

「私が生きている世界を、宮入君は選んでくれた」
「俺と時乃が笑っていられる世界を、神崎が拓いてくれた」

 しばらくそうしてお互いの存在を確かめて。腕の力を少し緩めると神崎は少し照れくさそうに笑っていた。はにかんだ神崎の頬には一筋の涙の線に光が当たりキラキラと輝いている。

「ねえ、どうしようか宮入君。私たち、これから何も知らない高校生活をやり直さないと。まず何すればいいんだろ?」
「そうだな。腹減ったし、とりあえず校庭のいつもの場所でばあちゃんが作ってくれた弁当食べて……」
「いいね。いっしょにおはぎも食べたい。それからは?」

 二十年前に約束し損ねた、大事な予定が残っている。

「今度の土曜日、どこ行きたい?」
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