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第4'章 選択の刻③

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「ほら、晩御飯の足しにしな。香子ちゃんの分も」

 夕方になり祖母の家を出ようとすると、大きめのタッパーを三つ持たせてくれた。今日は神崎のカップケーキがあったから晩飯は期待してなかっただけにありがたかった。御礼を伝えると、祖母は俺の肩をパンパン叩く。

「翔太、ああいう子は大切にしなね。そもそもあんた、気づいてるかい?」
「何が?」
「あんたね、目が優しくなったよ。春頃までは周りをみんな威嚇して、時乃ちゃんを守るって必死な眼をしてた」
「そんなに?」

 そんな目をしていた自覚も、変化した感じもしない。でも、ずっと俺のことを見てきてくれた祖母が言うからにはそうなのだろうか。優しい、なんて言葉は俺ではなくて、時乃とか神崎にかけてやるべきだろうとも思う。

「自分が苦しい時に傍に寄り添ってくれる子のことはね、ずっと大事にしてやらなきゃいけないよ」
「ばあちゃん、この前はとっかえひっかえがどうとか言ってたじゃん」
「二人とも悲しませないと誓うなら、ばあちゃんは許そう」
「何言ってんだよ」

 祖母の言葉を受け流すと、もういちど料理のお礼を言って家を後にする。
 いつの間にか雨は止んでいて、橙色の夕焼けが住宅街を鮮やかに染め上げていた。ここ数日ダラダラと雨が降り続いていたせいか、いつもより澄んで眩しく感じる。

「じゃあ、帰ろっか」
「おう」

 外で待っていた神崎の隣を自転車を押していく。祖母の言葉を聞いたからじゃないけど、何となく話しかけるのが気恥しくて黙って歩いていると、つと視線を感じた。神崎が自転車の方をじっと見ている。

「ねえ、宮入君」

 突然神崎が俺の前に両手を広げて突き出して見せる。

「私は宮入君を励ますために手傷を負って歩くのが大変なのです」

 フォークを受け取る時に見えた人差し指以外にも、いくつか絆創膏が巻かれた指があった。それが神崎の努力の証だとすれば、なんだかくすぐったい気持ちもあるのだけど。

「いや、歩くのに関係ないだろ」

 指を怪我していることと歩くのが大変なことに相関性はないはずだ。

「傷口からエネルギーが抜け落ちてくの」
「んなわけあるか」
「んなわけあるのー!」

 神崎は両手をブンブン振り回して必死にアピールしている。いや、元気じゃん。
 とはいえ、神崎が何を求めているかは何となく予想がついて、大切にしろとさっき祖母から言われたばかりの言葉を思い出す。少しだけ考えて息をつく。 
 まあ、そうだな。借りを返すのなら、利息が付く前の方がいい。

「じゃあ、後ろ乗ってくか?」

 ピタっと神崎の動きが止まった。信じられないものを見るような目で俺を見てくる。

「どうした?」
「え、嘘。まさか宮入君の方からそんなこと言ってくれるなんて。明日も雨かな」
「殆ど神崎が言わせたようなもんだからな? それで、乗らないなら別にいいけど」
「乗ります! 乗りまーす!」

 先に自転車に乗ってから神崎を促すと、そろそろと慎重に荷台に腰を掛ける。支えを探した右手が迷うようにしながら俺の腰のあたりの服をギュッと握りしめた。いつもより慎重にバランスを取りながら自転車を漕ぎ出す。一瞬フラッとしたけど、自転車はすぐに快調に進みだした。

「わわっ! 二人乗りだ。えへへ、なんか青春みたい!」

 背中の方から弾んだ声。
 青春、か。自分にはそんなもの縁遠いものだと思っていたけど。
 時乃から陸上部に誘われたときのことをぼんやりと思いだして、首を横に振る。

「というかさ、なんでカップケーキを作るのに指を怪我してるんだ?」

 時乃のことから意識を変えるために何気なく聞いたつもりだけど、腰の辺りを握る神崎の手がぎくりと震える。

「いやー、実は最初は美味しい料理を作って神崎君を励まそうと思って、おばあちゃんに料理を教わってたんだけどね」

 いつの間にそんなことをしてたのか。ああ、でも、それで最近学校から急いで帰ってたのか。もしかしたら、指の怪我を極力みられないようにするっていうのもあったのかもしれない。

「ちょっと包丁と喧嘩しちゃって、ね。絆創膏が5枚目になったところで、おばあちゃんから料理はやめてお菓子作りにしようって言われて」

 祖母は普段菓子作りなんてしないからどういうことだろうと思っていたけど、そんな裏話があったのか。でも、その祖母からお菓子作りを提案されるということは、神崎の言う"ちょっと"相性が悪いはどの程度だったのだろう。

「昨日試作してうまくいったから、今日食べてもらおうと思って。それで、朝から筑後君に連絡して、おばあちゃんから時乃ちゃんに少し時間がかかりそうなおつかいを頼んでもらうようにして。それで出来上がりくらいに宮入君が来るようにしたの」
「え、筑後って体調崩したんじゃ……」
「多分明日には元気な姿を見せてくれると思うよ?」

 どうやら俺は完全に神崎の掌の上だったらしい。
 ため息をつきながら、それでも悪い気はしなかった。俺の為に指を傷だらけにしながら頑張ってくれそうな相手なんて、時乃くらいしかいなかった。腰を握る手を通じて伝わってくる神崎の存在感が、なんだかとても大きく感じる。

「何かお礼しなきゃいけないな」

 おおっ、と背中から弾んだ声。

「あ、じゃあ。来週の土曜日にお出かけしよう? というか、そろそろ追加の試料取りに行きたい」
「試料って、深安山の? 別にいいけど、それってお礼に入るのか?」
「もちろんもちろん。やった、楽しみだなー」

 機嫌よさそうに神崎は鼻歌を奏で始める。それは聞いたことの無いメロディだった。
 でも、初めて聞くはずなのに体に馴染むというか、ずっと聞いていたくなるような曲。カップケーキに混ぜられていたコーヒーだったり、神崎は時々俺の好みをピタリと当てる。
 神崎の歌をBGMにしばらく自転車を漕ぎ進めていくと、前方から走ってくる集団がいた。車通りの殆どない広い住宅街の道だけど、一応端によって自転車を漕ぐ。

「あっ」

 前方から走ってきた集団が身に纏っていたのは俺のよく知るジャージだった。永尾高校の陸上部の集団は雑談しながら横を通り過ぎていく。
 その中に、時乃がいた。
 時乃は何も言わず、ただ走りながら俺たちをじっと見ていた。だけど、何事もなかったかのようにそのまま擦れ違い通り過ぎていく。
 腰の辺りを握る神崎の手に、ぎゅっと力が込められた。
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