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第6話
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「さすがに先輩でも選考会の日は雨を降らせないんですね」
「まあな。雨の奴には申し訳ないけど、今日は大事な日だから。泣く泣く我慢してもらってる」
「でも、傘は持って来るんですね」
「あー。夕方から夜にかけて、雨が降り始めるらしいから……」
空にはどんよりとした雲に覆われていて、いつ雨が降り始めてもおかしくない感じだけど、天気予報では夜まで何とか持つらしい。
傘を持つ手で頬をかく茅吹先輩は、自信満々といった表情をあっさりと引き下げて私から視線をそらす。走ってるときと打って変わった様子に、選考会の緊張がすっと解れていくのがわかった。
朝起きたときに予想以上に緊張している自分に気づいて、ちょっとだけ先輩の家の前で粘ったら無事に一緒に通学することができたけど、その判断をした自分を少し褒めてあげたい。
「にしても、テルハ。最近調子いいじゃん、何かあった?」
「えー。内緒、です」
茅吹先輩は、うーんなんて悩みながら腕を組む。
調子がいい理由はいくつか思い当たるけど、一番の理由はわかっていた。わかっていたけど、ブツブツ言いながら真剣に悩んでいるこの先輩は多分気づかないんだろうなあ。
「あっ!」
と、思ったのに、茅吹先輩が何かを思いついたように顔を上げる。
「テルハが調子よくなったの、半月くらい前からだよな」
「えっ、は、はい」
ウソっ、まさか気づいた?
「あの日、練習の後、秋浜と何か話してたよな。そこでなんか言ってもらったとか?」
「……ざんねん、外れです」
理由を見抜かれなかったことに、ちょっとホッとしたような、少しだけ寂しいような。
茅吹先輩は再び悩み始めるけど、今度は早々に諦めたようだった。
「ま、それなら別にいいか。とにかく、選考会頑張れよ。今のテルハなら、須々木にも勝てるかも」
「さ、流石に須々木先輩は厳しいですよ」
この二週間くらい、メニューの一部で須々木先輩に勝てそうだということはあったけど、結局一度も前に出られたことはなかった。これが、秋浜君が言っていた強さの違いみたいなものなのかもしれない。
「ありきたりだけどさ、自分が辛い時、前を走る人も辛いって思ってさ。しんどい時こそ一歩前に出てみるんだ」
「一歩前、ですか」
「まあ、心構えだよ。キツイときはついペース配分とか考えちゃうから」
「はあ、なるほどですね」
確かに、練習の時は全体の本数とかを考えて、勝てそうでも思い切りよく走り切れないことがあった。今日の選考会は一本勝負だし、思い切りよく走ってみようかな。不思議とオーバーペースで潰れるんじゃないかなんて不安は浮かんでこなかった。
「うん、頑張ってみます。あっ、そうだ。先輩、もし、わたしが勝ったら――」
「テルハっ!」
わたしの言葉を遮る、茅吹先輩の鋭い声。
次の瞬間、腕を掴まれて先輩の方にグッと引き寄せられ、先輩ごと道路わきのブロック塀の方に倒れ込む。
それとほぼ同時に、目の前を自転車がブレーキ音を響かせながら通過していった。自転車はわたしたちから少し離れたところでようやく止まり、ちらっとこちらを一瞥すると、ぶつからなかったからか再び平然と走り去っていく。
「あっ、おい!」
茅吹先輩の怒りの滲んだ声は、初めて聞いたかもしれない。
けれど、その声は届くことはなく、あっさりと自転車は見えなくなってしまう。
「ったく、こっちは大事な日だってのに。テルハ、大丈夫か?」
「あっ、はい。ありがとうございます」
茅吹先輩が立ち上がると、それまで握っていた手を離して、改めてこちらに差し出してくれた。その手を取って立ち上がる。うん、どこもケガをしたりはしていなさそうだ。
と、すぐ傍に立つ先輩に気づいて、今更一連の光景が蘇ってきて、急に顔が熱くなってくるのを感じた。ダメだと思っても、一緒に倒れ込んだ時の感触とか、わたしの為に怒ってくれた様子が自然と思い浮かんでくる。
「変なことでケガする前に、とっとと学校に――つっ!」
苦笑しながら歩き出した茅吹先輩が、右足をついたところで顔を歪めた。
「先輩……?」
先輩は何度か慎重に右足をついては離すを繰り返して、やがて困ったように笑ってわたしの方を見た。
「さっき、変な感じで足着いたかも」
「そんな、大丈夫ですか!?」
「あー。うん、大丈夫。歩けないってわけじゃないから、まあ、部活の時には走れるようになるだろ」
茅吹先輩は笑いつつ、傘を右手に持ち替えて杖のようにしながら歩き出した。その様子に本当に大丈夫なのか心配になるけど、今この場でできることが思い浮かばなくて、とにかく後を追って右側に並ぶ。
「傘持ってきて正解だったよ。やっぱり、雨は俺のことを愛してるんだなって」
追いついたわたしに先輩が笑いかけてきたけど、いつものように笑い返すことはできなかった。
「まあな。雨の奴には申し訳ないけど、今日は大事な日だから。泣く泣く我慢してもらってる」
「でも、傘は持って来るんですね」
「あー。夕方から夜にかけて、雨が降り始めるらしいから……」
空にはどんよりとした雲に覆われていて、いつ雨が降り始めてもおかしくない感じだけど、天気予報では夜まで何とか持つらしい。
傘を持つ手で頬をかく茅吹先輩は、自信満々といった表情をあっさりと引き下げて私から視線をそらす。走ってるときと打って変わった様子に、選考会の緊張がすっと解れていくのがわかった。
朝起きたときに予想以上に緊張している自分に気づいて、ちょっとだけ先輩の家の前で粘ったら無事に一緒に通学することができたけど、その判断をした自分を少し褒めてあげたい。
「にしても、テルハ。最近調子いいじゃん、何かあった?」
「えー。内緒、です」
茅吹先輩は、うーんなんて悩みながら腕を組む。
調子がいい理由はいくつか思い当たるけど、一番の理由はわかっていた。わかっていたけど、ブツブツ言いながら真剣に悩んでいるこの先輩は多分気づかないんだろうなあ。
「あっ!」
と、思ったのに、茅吹先輩が何かを思いついたように顔を上げる。
「テルハが調子よくなったの、半月くらい前からだよな」
「えっ、は、はい」
ウソっ、まさか気づいた?
「あの日、練習の後、秋浜と何か話してたよな。そこでなんか言ってもらったとか?」
「……ざんねん、外れです」
理由を見抜かれなかったことに、ちょっとホッとしたような、少しだけ寂しいような。
茅吹先輩は再び悩み始めるけど、今度は早々に諦めたようだった。
「ま、それなら別にいいか。とにかく、選考会頑張れよ。今のテルハなら、須々木にも勝てるかも」
「さ、流石に須々木先輩は厳しいですよ」
この二週間くらい、メニューの一部で須々木先輩に勝てそうだということはあったけど、結局一度も前に出られたことはなかった。これが、秋浜君が言っていた強さの違いみたいなものなのかもしれない。
「ありきたりだけどさ、自分が辛い時、前を走る人も辛いって思ってさ。しんどい時こそ一歩前に出てみるんだ」
「一歩前、ですか」
「まあ、心構えだよ。キツイときはついペース配分とか考えちゃうから」
「はあ、なるほどですね」
確かに、練習の時は全体の本数とかを考えて、勝てそうでも思い切りよく走り切れないことがあった。今日の選考会は一本勝負だし、思い切りよく走ってみようかな。不思議とオーバーペースで潰れるんじゃないかなんて不安は浮かんでこなかった。
「うん、頑張ってみます。あっ、そうだ。先輩、もし、わたしが勝ったら――」
「テルハっ!」
わたしの言葉を遮る、茅吹先輩の鋭い声。
次の瞬間、腕を掴まれて先輩の方にグッと引き寄せられ、先輩ごと道路わきのブロック塀の方に倒れ込む。
それとほぼ同時に、目の前を自転車がブレーキ音を響かせながら通過していった。自転車はわたしたちから少し離れたところでようやく止まり、ちらっとこちらを一瞥すると、ぶつからなかったからか再び平然と走り去っていく。
「あっ、おい!」
茅吹先輩の怒りの滲んだ声は、初めて聞いたかもしれない。
けれど、その声は届くことはなく、あっさりと自転車は見えなくなってしまう。
「ったく、こっちは大事な日だってのに。テルハ、大丈夫か?」
「あっ、はい。ありがとうございます」
茅吹先輩が立ち上がると、それまで握っていた手を離して、改めてこちらに差し出してくれた。その手を取って立ち上がる。うん、どこもケガをしたりはしていなさそうだ。
と、すぐ傍に立つ先輩に気づいて、今更一連の光景が蘇ってきて、急に顔が熱くなってくるのを感じた。ダメだと思っても、一緒に倒れ込んだ時の感触とか、わたしの為に怒ってくれた様子が自然と思い浮かんでくる。
「変なことでケガする前に、とっとと学校に――つっ!」
苦笑しながら歩き出した茅吹先輩が、右足をついたところで顔を歪めた。
「先輩……?」
先輩は何度か慎重に右足をついては離すを繰り返して、やがて困ったように笑ってわたしの方を見た。
「さっき、変な感じで足着いたかも」
「そんな、大丈夫ですか!?」
「あー。うん、大丈夫。歩けないってわけじゃないから、まあ、部活の時には走れるようになるだろ」
茅吹先輩は笑いつつ、傘を右手に持ち替えて杖のようにしながら歩き出した。その様子に本当に大丈夫なのか心配になるけど、今この場でできることが思い浮かばなくて、とにかく後を追って右側に並ぶ。
「傘持ってきて正解だったよ。やっぱり、雨は俺のことを愛してるんだなって」
追いついたわたしに先輩が笑いかけてきたけど、いつものように笑い返すことはできなかった。
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