言の葉デリバリー

粟生深泥

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言の葉デリバリー

言の葉デリバリー3

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 今回の依頼者は海辺の集落に一人で暮らす秋江さんという女性ということだった。軽自動車を集落の外れに佇む平屋の前に停めると、夏希さんは慣れた様子で玄関の方へと向かう。

「秋江さーん。言の葉デリバリーですー」

 引き戸の横のインターホンは使わずにドンドンと戸を叩くと、家の中の方から「どうぞー」と朗らかな声が返ってきた。夏希さんは躊躇いなく引き戸に手をかけると、鍵のかけられていない戸がガラガラと開いた。
 古き良き、といっていいのかはわからないけど、この辺りでは家主が家にいるときは鍵をかけないことが多いというのはデリバリーで何となく知っていたから、特に驚きはなかった。
 家にあがった夏希さんは勝手知ったる様子で居間に向かう。その後についていくと、年配の女性が奥の台所から飲み物やお茶菓子を持ってくるところだった。

「あー、もう。秋江さん、気をつかわないでっていつも言ってるのに」
「いいのいいの。孫が遊びに来たみたいなものだからね。あら、その方は?」

 秋江さんは夏希さんの後ろにいた僕を見ると柔らかく微笑んだ。小さく頭を下げると会釈を返してくれた秋江さんは居間の丸テーブルの上にお茶とお菓子を並べると、もう一つ必要ね、と台所へと戻っていく。

「ほら、この前話した話した悠人君。」
「あら、そうだったのね。悠人さん、よろしくね」

 秋江さんはもう一つお茶を持ってくると穏やかに笑ってもう一度会釈する。何だかバイトの見学に来たということを忘れてしまいそうな程のどかな世界が流れている。けど、雪乃さんにも秋江さんにも「この前話した」って、どれだけ僕に目をつけていたのだろう。
 一人暮らしには大きすぎる机に秋江さんと向かい合う形で夏希さんの隣に座る。お茶をいただきながら部屋の中を見渡すと、小さい子供向けのおもちゃなどが数多く目についた。

「先週まで娘と孫が来て賑やかでね。帰っちゃった後は、どうしても寂しくなっちゃって」

 秋江さんは手元に置いてあった小さなピアノのおもちゃをそっと撫でる。その風景だけで、見たこともない秋江さんの孫がそこでピアノを弾き、秋江さんが微笑みながらその光景を見守っている様子が思い浮かんだ。それと同時に、一人の生活に戻った秋江さんが抱えるもの寂しさも感じて胸の奥がギュッと締め付けられる。

「もう少しすれば元の暮らしに慣れて落ち着くんだけど、今だけはちょっと励ましてもらいたくって」
「お孫さんの代わりを務めさせてもらうと思うと、いつも気が引き締まります」

 きっちりとした言葉とは裏腹に夏希さんは楽しそうに笑ってて、その笑顔につられたように秋江さんも微笑みを浮かべた。

「あら、私は夏希ちゃんのことも孫娘のように思ってるのよ?」
「えへ、ありがとうございます。じゃあ、早速始めますね?」

「ええ、お願いするわ」

 夏希さんは事務所で雪乃さんから受け取った白い冊子を鞄から取り出すと、小さく咳払いして喉の調子を整える。冊子を開きスッと顔を上げた夏希さんの顔からそれまでの無邪気な表情が消えていた。代わりの表情が浮かぶわけではなく、それはまるで上から新しい色を付ける準備をしているようで。

「――朝からセミの鳴き声に混ざって孫の藍那の歓声が聞こえてくる。虫取り網片手に庭を駆けまわっている様子が手に取るように思い浮かび、部屋の空気を明るくした」

 夏希さんが歌うように朗読を始める。脳裏に夏休みの情景がパッと広がり、小さな女の子が無邪気に走り回る音が聞こえる。夏希さんが読み上げた一節だけで、僕の意識は夏の香りが漂う見知らぬ家の中にいた。
 その家を中心に祖母と藍那は限られた夏休みの期間を濃密に埋めていく。庭で虫を取り、夕方にはバーベキューをして、夜の散歩で海に出かけて貝殻を集めて砂浜を歩いた。そうやって日々を過ごし、思い出を積み上げていくほどに、祖母の心の内側には言いようのない寂しさが募っていく。あと少しで藍那たちは帰ってしまい、また広い家で一人過ごすことになってしまう。今の時間が濃密である程に、居なくなってしまった世界の空虚さが際立ってしまう。
 僕は思わず秋江さんの方を見る。あまりにも夏希さんが語る世界は今の秋江さんに近すぎる。夏希さんの言葉に聞き入る秋江さんの瞳が不安げに揺れ、小さく喉が動いた。
 そっと息を吸った夏希さんがパラリと冊子のページを捲る。

「藍那が帰ってしまう日の朝、それまで毎朝聞こえてきた庭を駆ける藍那の声が聞こえてこなかった。不思議に思って庭を探しても部屋を探しても誰の姿もない。何か休養があって朝早いうちに帰ってしまったのだろうか。それはいままで普通に存在していた日常のはずなのに、ぽっかりと大事なものが抜け落ちたようだった」

 夏希さんの紡ぐ言葉に息が詰まる。物語とわかっているのに、胸の奥がズキズキと疼く。これが本当に「家族の暖かみを感じる物語」なのだろうか。
 その時、大きく息を吸い込んだ夏希さんの顔にパッと鮮やかな笑みが咲いた。

「その時、ガラガラと入口が開く音がする。慌てて向かってみると、こっちに来た時よりすっかり日焼けした藍那が笑顔で何かを差し出してきた。庭に咲いていた綺麗な花、川で見つけた緑に輝く小石、砂浜で拾った色が変わる貝殻――夏の想い出を紐でつないで作られたネックレス。『足りない分をお母さんと探しに行ってたの! 今度は冬のネックレスを作りに来るね!』 藍那ごとネックレスを抱き寄せる。藍那が腕の中で動いてネックレスをかけてくれて、ここ数日募っていた寂しさは穏やかな小春日和のような温もりに変わっていた。『冬も綺麗なものがたくさんあるからね。全部探せるように元気でいらっしゃい』 藍那の笑顔がはじけて、冬の訪れを待ち遠しくさせる。」

 夏希さんがぱたりと冊子を閉じる。
 不思議な話だ、というのが最初に浮かんだ感想だった。穿った見方をすれば、孫が遊びに来て、思い出を作って帰っただけ。ラストシーンもどこかふわりとしている気がする。ストーリーだけを追ってみれば珍しいものではないだろう。
 けれど、今も胸の奥がじんわりとしている。見ると、秋江さんも両手をギュッと握りしめた状態のままにっこりと笑っていた。ほっこりとした余韻がずっと残っている。
 ああ、そうか。
 物語だけじゃないんだ。物語を必要とする人がいて、夏希さんが語る。その組み合わせの中で一番美しく響くように物語は調律されている。

「そうだねえ。私も今度の冬休み、あの子たちにどんな思い出を作ってあげられるか今から考えなきゃねえ」

 秋江さんがゆっくりと窓の外を見る。物語の欠片が残る静かな部屋に蝉の残響とともに夕暮れで染まる海の音が聞こえてきた。この町が描き出す冬がどんな世界なのか、今から待ち遠しくなっていた。
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