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こたぬきたぬきち、夢を見た
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たぬきちは化け狸です。
ちょっとおしゃれな青年に化けて、私たちの街のどこかで働きながら小説を書いています。
「ぐぬぬ。アイデアが……アイデアが降ってこない。トマス・ハリスみたいなイカス作家になりたいのに」
たぬきちは化け狸です。
人間になったつもりで物事を考え、人間らしく振る舞う術を学びました。
しかしいくらお利口な狸のあやかしであっても、作文は難しい。ましてや素敵な小説を書くなんて、人間に化ける妖術よりも難しい。
どんなに膨大な本を読んできたとしても。「これくらいの話ならぼくにだって書けるよね」と思えたとしても。
挑戦してみると、故郷の家族と共に松ぼっくりをつつくワンシーンでさえ上手く書き表せませんでした。
「何かが……足りないんだな……!」
月が厚い雲に隠された夜空を見上げ、奥歯を食いしばり、たぬきちは面影すら覚えていないお母さんに会いたくなりました。
「負けない。な、泣いたりしないぞ」
*
*
*
「おい」
暗闇で誰かが呼んでいます。
「おい、思い出せ」
眠いよ。目を覚ましたくないよ。いっそこのまま世界の果てまで打ち捨ててくれればいいんだ。たぬきちは心底そう思いました。
が、声のする方から何とも言えないいい匂いがします。そこは懐かしい森の中でした。操られるように体が動きました。足を一歩踏み出しました。
すると頭上から強烈ないかづちが降ってきたかのように、辺り一帯でたくさんの光と音が爆発しました。厚い雲は引き裂かれ、夜明けの空を映された懐古映画のように闇が退きました。
「大丈夫だ。オレがついている。オレがお前を連れて行ってやる」
「ああ! あなたは!」
そこに現れたのは、悪魔みたいな顔をしたお兄さんです。気合の入ったリーゼントに、可哀想なほど薄い眉毛です。たぬきちは(相変わらずめっちゃヤンキーだな)と思いました。
たぬきちは、この若者を知っています。迷子になった時に助けてくれた恩人なのです。
「お兄さん。ご無沙汰しております。その節は患部なご親切を股割り……」
「無理すんな。下手な社交辞令なんかいらねえ。とっとと行きたいところを言えや」
たぬきちは自分がどこへ行きたいか考える間もなく、
「だれも一人で泣かなくていいところ」
と言いました。
「たぬきち。それはもうあるぜ。お前はもう知っている。あっちだ」
お兄さんはすらりとした指先から海色の光線を放ちました。
「お兄さんは一緒に行かないの?」
「行けねえ。オレはオレのためにここで祈らなきゃならねえ。でも大丈夫だぜ。お前のラッキーも信じて祈ってる。だから行けや。早く行け」
「でもおに」
「行けっ! 間に合わなくなるぞ」
光が再び狭まり、闇が戻ってきました。たぬきちが駆け出そうとすると、驚くことに光る扉が飛んできました。そして金魚すくいのポイが金魚をすくい取るように、たぬきちをその光の中へ吸い込みました。
*
「たぬきち、起きろ」
眩しい。誰かが呼んでいます。
「たぬきち、がんばれ」
目覚めたのは一DKのアパートでした。そこで二羽のインコを飼っているのです。喋ることのできる半月が、同じ言葉を繰り返していました。
「たぬきち、がんばれ。たぬきち、がんばれ」
「うん、わかった。トマス・ハリスにはならない。ぼくはたぬきちなんだ。アイデアが湧いてきたぞ」
たぬきちの愛用する素朴なちゃぶ台が、カーテンの隙間から差す陽光を浴びています。
昨夜の林檎のかじりかけと、まだだれも読んだことのない最高に優しい物語の書きかけが、そこにありました。
こうしてこの日の朝から、たぬきちは自分もリーゼントスタイルになる決意をしました。
今日も私たちの街のどこかで、自分たちの髪型を馬鹿にするような人たちさえ思わず泣いてしまうほどの、かわいい作品を目指しているのです。
*
ちょっとおしゃれな青年に化けて、私たちの街のどこかで働きながら小説を書いています。
「ぐぬぬ。アイデアが……アイデアが降ってこない。トマス・ハリスみたいなイカス作家になりたいのに」
たぬきちは化け狸です。
人間になったつもりで物事を考え、人間らしく振る舞う術を学びました。
しかしいくらお利口な狸のあやかしであっても、作文は難しい。ましてや素敵な小説を書くなんて、人間に化ける妖術よりも難しい。
どんなに膨大な本を読んできたとしても。「これくらいの話ならぼくにだって書けるよね」と思えたとしても。
挑戦してみると、故郷の家族と共に松ぼっくりをつつくワンシーンでさえ上手く書き表せませんでした。
「何かが……足りないんだな……!」
月が厚い雲に隠された夜空を見上げ、奥歯を食いしばり、たぬきちは面影すら覚えていないお母さんに会いたくなりました。
「負けない。な、泣いたりしないぞ」
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「おい」
暗闇で誰かが呼んでいます。
「おい、思い出せ」
眠いよ。目を覚ましたくないよ。いっそこのまま世界の果てまで打ち捨ててくれればいいんだ。たぬきちは心底そう思いました。
が、声のする方から何とも言えないいい匂いがします。そこは懐かしい森の中でした。操られるように体が動きました。足を一歩踏み出しました。
すると頭上から強烈ないかづちが降ってきたかのように、辺り一帯でたくさんの光と音が爆発しました。厚い雲は引き裂かれ、夜明けの空を映された懐古映画のように闇が退きました。
「大丈夫だ。オレがついている。オレがお前を連れて行ってやる」
「ああ! あなたは!」
そこに現れたのは、悪魔みたいな顔をしたお兄さんです。気合の入ったリーゼントに、可哀想なほど薄い眉毛です。たぬきちは(相変わらずめっちゃヤンキーだな)と思いました。
たぬきちは、この若者を知っています。迷子になった時に助けてくれた恩人なのです。
「お兄さん。ご無沙汰しております。その節は患部なご親切を股割り……」
「無理すんな。下手な社交辞令なんかいらねえ。とっとと行きたいところを言えや」
たぬきちは自分がどこへ行きたいか考える間もなく、
「だれも一人で泣かなくていいところ」
と言いました。
「たぬきち。それはもうあるぜ。お前はもう知っている。あっちだ」
お兄さんはすらりとした指先から海色の光線を放ちました。
「お兄さんは一緒に行かないの?」
「行けねえ。オレはオレのためにここで祈らなきゃならねえ。でも大丈夫だぜ。お前のラッキーも信じて祈ってる。だから行けや。早く行け」
「でもおに」
「行けっ! 間に合わなくなるぞ」
光が再び狭まり、闇が戻ってきました。たぬきちが駆け出そうとすると、驚くことに光る扉が飛んできました。そして金魚すくいのポイが金魚をすくい取るように、たぬきちをその光の中へ吸い込みました。
*
「たぬきち、起きろ」
眩しい。誰かが呼んでいます。
「たぬきち、がんばれ」
目覚めたのは一DKのアパートでした。そこで二羽のインコを飼っているのです。喋ることのできる半月が、同じ言葉を繰り返していました。
「たぬきち、がんばれ。たぬきち、がんばれ」
「うん、わかった。トマス・ハリスにはならない。ぼくはたぬきちなんだ。アイデアが湧いてきたぞ」
たぬきちの愛用する素朴なちゃぶ台が、カーテンの隙間から差す陽光を浴びています。
昨夜の林檎のかじりかけと、まだだれも読んだことのない最高に優しい物語の書きかけが、そこにありました。
こうしてこの日の朝から、たぬきちは自分もリーゼントスタイルになる決意をしました。
今日も私たちの街のどこかで、自分たちの髪型を馬鹿にするような人たちさえ思わず泣いてしまうほどの、かわいい作品を目指しているのです。
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