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アポロ

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銀糸町七丁目の小さな結晶たち

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 七番の出入口から地上へ出て徒歩七分で七丁目に着く。信号を渡ってすぐの楽器屋、その向こう側に築五十年の木造二階建てアパートを改修した雑居棟がある。
 二階建ての小さな集合商業施設は雑居といえるのだろうか、ぼくはしらない。

 一階部分のテナントはいずれも小物の専門店だ。それぞれの店が、帽子、時計、アロマオイル、そしてアクセサリーなどを売っている。
 我々はこのたび無事に新規開店した飾り物処・小夢カザリモノドコロ・コムへ、特にアポなしお祝いついで、ちょっと視察しにきた次第である。

「この立地はどうなんだろうね、新谷君」

「はあ。最高ではないかもしれませんね」

「いや、普通に最悪でしょ。半年でも続けば大したもんでない? 震度四弱の地震で全壊する可能性もありそうじゃない?」

「あはは。ひどい。一年続いたら大成功」

「やばいよやばいよ」

 南専務は大袈裟に泣くふりをした。手がける仕事の数字にはうるさい人だのに。提携業者が新店をオープンさせた矢先からその店前で冷や水みたいな冗談を弾ませるなんて、珍しく浮かれている。

 しかし小夢の事業計画書について、ぼくにはこれまで文句の一言もこぼされていなかった。実のところ、南専務は平気だ。小夢の展望に心配はしていないだろう。

 先行するオンラインショップの業績と財務がどう考えても優秀だからだ。
 実店舗の小夢も早期から軌道に乗る期待値はわりと大きい、ぼくはぼくで身内びいき抜きにそう思っていた。

「中古住宅をリノベーションしたオシャレビジネス。オーナーは個人的に交友が広い上、初動の広告は我が社の独立支援制度で賄えています。先行費用は安く済んでる。何より話題性が十分ありますね。中距離圏からのぞきにこられる潜在顧客もいるでしょう」
 
「ですな、新谷君。ただその客観的で好意的な意見、夢歌には言わない方が吉かな」

「はい。夢歌さんは気をゆるませやすい。下手にほめると変に舞い上がる。逆にいうと、緊張感を保ちつつ独自によりよい仕事を模索する。甘い意見は逆効果ですね」

「ふふふ。基本的にそうです。ちなみに君、あたしみたいな人間は、説明しなきゃわからないタイプだと分析してるね? 前職は心理の研究だったな?」

「いえ、そんな分析はしません。ただ、わかっていることでもぼくのような庶民から言われると、わりとよろこばれる。あと前職は研究家じゃなく、研究所のただの雑用係です。いや、もう入りましょうよ。暑いし」

 小夢の外装も内装もとてもあっさりしている。たくさんの白と少しの黒しか使っていないぶん、潔い清潔感がある。ショーケースが透明なのは当然だが、その周囲の色彩のなさゆえ、店内にいくつも透明な仕切りのあることがどこか不思議に思われた。

 おそらく、ここに寄せ集めた一つ一つの飾り物たちをよりよく魅せる工夫はしっかり考えられている。

 細々とした銀細工や革細工や宝石など、その個別の希少性と存在感を際立たせるために、展示する品数はぎりぎりまで少なくおさえられていた。
 しずけさとかがやきの交差による普遍的価値を追求した小庭園みたいな仕掛けだ。

 そこへ一歩踏み入れば、親切かつ柔和な女に化けることに長けた店主もしくは副店主が、気さくに、あるいは遠慮がちに、声をかけてくる。隙のうかがえる客によっては、巧みな話術で非日常的な雰囲気に包み込まれるだろう。話を聞くほど少しぼんやりさせられ、不安になることもある。

 ある人はまさかこれは販売詐欺の類かとも思われる。だが、おすすめされる商品の価格を鑑みるに非誠実な商売ではないと信じられる。信じる価値はありそうだと。
 結局どうしてもそのアイテムを購入したくなる、甘やかな心情へ導かれたりするわけだ。

 交際中ぜんぜん知らなかったことだが、調べてみると夢歌さんはSNS上で一般人のくせに少し驚く数のフォロワーのついた人気者だった。
 考えてみると仕事でもプライベートでも気の利かせ方はうまい人だ。

 想像するに、夢歌さんから言われるがまま購買意欲を湧かせてしまうお客様はけっこういそう。

 開店初日の小夢はというと、ぼくと専務の予想以上に賑わっていた。

 ちょっと裕福そうな三十歳前後のカップル。素朴な感じのする高校生くらいの女の子二人組。このあと夏祭へ向かうのだろう、浴衣姿の奇抜なメイクをした青年(個人的にぼく好みの青年だ)。

 到着の時点で狭い店内にはそんな様々な人たちが計五名もいた。一人二人出てゆくのと入れ替わりに、おおむね同じ人数の客が入ってくる。どちらかというと、ぼくみたいな見るだけの客は少ない気がした。

「お父さん、そんな派手なカッコでなにしに来たの。赤のアロハシャツに短パンとか信じらんない。夏生君まで。君は逆に、なんで柄にもなくスーツなんか着てるの。髪型もぴっちりしてて変だわ」

 客への対応の合間を縫って夢歌さんは我々に文句を言いに来た。そういうだけあって本人は白無地のTシャツとデニムを着ただけ、極めて淡白な格好をしている。あざといといえばあざとい作戦だ。

「いわゆる、ひやかしにきたんだ。お店が忙しそうなうちに。明日からヒマになったら、気の毒でなんとも言えなくなるしさ」

 夢歌さんの父親だけはある。南専務は人を茶化すのが時々すごく得意だ。

「ぼくはいわば、ひまつぶしです。そもそも仕事も含めて、この人生はひまつぶしでしてね」

 ぼくもその場の雰囲気に合わせ、元カノを小馬鹿にするような敬語を使ってみた。さらに『開店おめでとう!』とマジックで手書きした封筒、経費で落とした三万円を突っ込んだものをうやうやしく手渡す。

「よし。二人とも私に殴られたいのはわかったよ。今すぐ表にでましょ。美来ちゃん、ちょっと行ってきます。あとはまかせたわ」

 日立美来さんも夢歌さんと同じ格好をしている。これが飾り物処・小夢にとっての戦闘服なのかもしれない。営業スマイルがよく映え、この上なく親近感を覚えさせる。

「はーい。いらっしゃーい、そしていってらっしゃーい」

 美来さんが含み笑いでウインクなんかしたので、ぼくはいつもの新谷夏生らしく無意味に深刻な表情をつくり、両手でピースサインを返しておいた。

 夢歌さんの美しくも力強い手に襟首をがっちりつかまれ、馬鹿みたいに暑い店の外へ引きずり出されながら。
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