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真の優しさ?
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親との関係に悩む人は少なくない。。。
今回は、自己防衛の心構えについて、書いてみます。
ぼくは、優しくない両親から生まれた。
この実感は、長年のコンプレックスだった。親が嫌いなわけじゃない。
愛を受けたはずだとは思うけれど、それは子どもだった自分が必要とする優しさの養分ではなかったのかもしれない、という感じがする。
ぼくの父も母も、はっきり言って「家族」には向いていない。
実に不器用な人たちだった。
子どもを育てるセンスがなかった。
自らのダメージは感じやすく、人の痛みは感じにくい。
かと思えば、自分と似たような傷のある人に対しては、むしろ共感力が強すぎるところもある。
幼少期は、そんな親に影響を受けた。
受けすぎてはいけない影響というものも、この世の中にはある。
それはルーツに感謝リスペクトするのとは、別問題だ。
生育環境をトラウマと捉えるべきか?
冷静に分析すると然るべき認識、だが。
正論の反省は、深まると感情を暴走させる。
歯止めをかけなければ、過去・他者への不満に心が引っ張られて、歪みやすい。
自分史の事実がどうあったとしても、内心の見直しとイメージ・コントロールで現在の健全性と向上心は保てる。
ぼくは大きなショックを受けると、感覚そのものがオーバーフローして凍結する。
静かにパニックを起こすタイプである。
これは先天的な個性だ。
思春期には、なぜこんなにひどい世界に生まれたんだろうか、と煩悶した。
問題は、煩悶すると、他者を思いやる力がなくなってしまうということだ。
その「他者」には、自分の両親も含む。
思いやりとは、つまるところ相手の個性や立場を受け入れなければ始まらない。
良好な人間関係を目指すために有効な心は、自然と自分の想念が整えてくれる。
整った心は、他者との「良い加減」の距離感を保全する。
ぼくの場合、精神的に家族・親との距離感が今でも心の防衛線に必要だ。
近すぎても遠すぎても良くない。
コンプレックスは解消しきれるものではなく、うまく付き合っていくしかないのだ。
家族とは直接関係のないことだが、自己変革に役立った経験のことを書いておこう。
認知行動療法や創作表現やボランティアワークを取り入れた、小さな民間グループに参加したことがある。
最後の方はリーダー的な役割も担うようになった。
マイナス感情をプラス思考に転換する体質の獲得は、その活動の中で反復したイメージトレーニングの成果とも言える。
振り返ると参加者仲間に気の合う人が多かったので、訓練やミッションというより、楽しく加われる趣味の集いだった。
小難しい話ではなく、要は心構えだ。
心のアンテナの持ち方次第で、人は良くも悪くも本当に簡単に変わる生き物なのだ。
内観もかなり深くやった。
けれど、大切なのは心理学的な知識や技術ではなかった。目前の作業や自分に関わる人たちへの好意を感じられる、シンプルな行動・習慣がキーと思う。
グループを卒業してから感じ続けるのは、今の世の中は妙に不安な空気が澱んでいて、悪意を含む人の偽正義さえたやすく共感されやすいということ。
誰かに一生懸命尽くしたこともない人たちが「こうすれば良くなる」と、安易な啓発的メッセージを溢れさせすぎているのではないか、と思わされる情報が多い。
モノやコトに囚われて、人への愛情が不足している人に、もやもやする。
一部の無責任な大人たちへの反感・不信は、様々な癒しの体験を経ても、なお残っている。
これは、世界を愛したいぼくのセルフイメージとは相容れない、心の底にこびりついた精神的な後遺症かもしれない。
反面、失望や挫折を味わったからこそ、若くして表現エネルギーの源泉となる反骨精神は大きく伸びた。
精神的煩悶と逆の、平和なベクトルへ自我を向ける可能性が広がったのだとも思う。
貫きたいモットーは、何を考えても悩まない。
どんなに深く人の闇を覗きこんだって根本的に自分の精神に有益だと感じられることしか、取り入れないようにしている。
正しい姿勢を崩さなければ、必ずポジティブな境地にたどり着くことができる。
世界に対する正しい姿勢とは、真心を伴う態度だ。
本質は一度キャッチすると、寝っ転がっていても自動的に再現すると信じる。
全人、老いも若きも生きる上で悩みや葛藤が生じるのは自然なこと。
それはもちろんアポロも例外ではなくて。
人はみんな自信が必要なんだ。
何があっても大丈夫だと人に言い放ってしまえる大人が、ぼくの理想的なセルフイメージ。それを、自分次第でつくる。
あなたも、誰がなんと言おうと大丈夫なのだ、と書いておく。
言葉にしてしまえば、大体勝手にそうなっていくから不思議だ。
優しくなれる。そうそう。
祈るように、イメージしている。
アポロはアポロが心から書く言葉に導かれて、人の闇を見ても簡単にはゆるがずいられるようになった。
真に優しい世界は、真に善なる言葉をもって、人を傷つけようとせず、強くしなやかに支えるんだろう。
今回は、自己防衛の心構えについて、書いてみます。
ぼくは、優しくない両親から生まれた。
この実感は、長年のコンプレックスだった。親が嫌いなわけじゃない。
愛を受けたはずだとは思うけれど、それは子どもだった自分が必要とする優しさの養分ではなかったのかもしれない、という感じがする。
ぼくの父も母も、はっきり言って「家族」には向いていない。
実に不器用な人たちだった。
子どもを育てるセンスがなかった。
自らのダメージは感じやすく、人の痛みは感じにくい。
かと思えば、自分と似たような傷のある人に対しては、むしろ共感力が強すぎるところもある。
幼少期は、そんな親に影響を受けた。
受けすぎてはいけない影響というものも、この世の中にはある。
それはルーツに感謝リスペクトするのとは、別問題だ。
生育環境をトラウマと捉えるべきか?
冷静に分析すると然るべき認識、だが。
正論の反省は、深まると感情を暴走させる。
歯止めをかけなければ、過去・他者への不満に心が引っ張られて、歪みやすい。
自分史の事実がどうあったとしても、内心の見直しとイメージ・コントロールで現在の健全性と向上心は保てる。
ぼくは大きなショックを受けると、感覚そのものがオーバーフローして凍結する。
静かにパニックを起こすタイプである。
これは先天的な個性だ。
思春期には、なぜこんなにひどい世界に生まれたんだろうか、と煩悶した。
問題は、煩悶すると、他者を思いやる力がなくなってしまうということだ。
その「他者」には、自分の両親も含む。
思いやりとは、つまるところ相手の個性や立場を受け入れなければ始まらない。
良好な人間関係を目指すために有効な心は、自然と自分の想念が整えてくれる。
整った心は、他者との「良い加減」の距離感を保全する。
ぼくの場合、精神的に家族・親との距離感が今でも心の防衛線に必要だ。
近すぎても遠すぎても良くない。
コンプレックスは解消しきれるものではなく、うまく付き合っていくしかないのだ。
家族とは直接関係のないことだが、自己変革に役立った経験のことを書いておこう。
認知行動療法や創作表現やボランティアワークを取り入れた、小さな民間グループに参加したことがある。
最後の方はリーダー的な役割も担うようになった。
マイナス感情をプラス思考に転換する体質の獲得は、その活動の中で反復したイメージトレーニングの成果とも言える。
振り返ると参加者仲間に気の合う人が多かったので、訓練やミッションというより、楽しく加われる趣味の集いだった。
小難しい話ではなく、要は心構えだ。
心のアンテナの持ち方次第で、人は良くも悪くも本当に簡単に変わる生き物なのだ。
内観もかなり深くやった。
けれど、大切なのは心理学的な知識や技術ではなかった。目前の作業や自分に関わる人たちへの好意を感じられる、シンプルな行動・習慣がキーと思う。
グループを卒業してから感じ続けるのは、今の世の中は妙に不安な空気が澱んでいて、悪意を含む人の偽正義さえたやすく共感されやすいということ。
誰かに一生懸命尽くしたこともない人たちが「こうすれば良くなる」と、安易な啓発的メッセージを溢れさせすぎているのではないか、と思わされる情報が多い。
モノやコトに囚われて、人への愛情が不足している人に、もやもやする。
一部の無責任な大人たちへの反感・不信は、様々な癒しの体験を経ても、なお残っている。
これは、世界を愛したいぼくのセルフイメージとは相容れない、心の底にこびりついた精神的な後遺症かもしれない。
反面、失望や挫折を味わったからこそ、若くして表現エネルギーの源泉となる反骨精神は大きく伸びた。
精神的煩悶と逆の、平和なベクトルへ自我を向ける可能性が広がったのだとも思う。
貫きたいモットーは、何を考えても悩まない。
どんなに深く人の闇を覗きこんだって根本的に自分の精神に有益だと感じられることしか、取り入れないようにしている。
正しい姿勢を崩さなければ、必ずポジティブな境地にたどり着くことができる。
世界に対する正しい姿勢とは、真心を伴う態度だ。
本質は一度キャッチすると、寝っ転がっていても自動的に再現すると信じる。
全人、老いも若きも生きる上で悩みや葛藤が生じるのは自然なこと。
それはもちろんアポロも例外ではなくて。
人はみんな自信が必要なんだ。
何があっても大丈夫だと人に言い放ってしまえる大人が、ぼくの理想的なセルフイメージ。それを、自分次第でつくる。
あなたも、誰がなんと言おうと大丈夫なのだ、と書いておく。
言葉にしてしまえば、大体勝手にそうなっていくから不思議だ。
優しくなれる。そうそう。
祈るように、イメージしている。
アポロはアポロが心から書く言葉に導かれて、人の闇を見ても簡単にはゆるがずいられるようになった。
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