グッド・オールド・ライフ

高殿アカリ

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第1章

1-3

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こびりつく絶望から這い上がるようにして、私は目が覚めた。
身体の節々は痛み、肺は今にも張り裂けそうだった。
鈍く痛む頭を必死に働かせて、私は現状を理解しようとした。
むくりと身体を起こして、周辺を確認する。
霞んでいた視界がようやっと光を受け入れると、そこは見慣れぬ部屋の中であった。
かなり年季の入ったアンティークな調度品があちこちに散乱していた。
少し埃っぽくはあるが、高級品であるのが遠目からでも分かった。
今まで住んでいた上層居住区の無機質なワンルームとは異なり、この部屋はバロック様式の内装をしていた。
バロック様式の洋館は、既にセンターの疑似体験型カリキュラムで鑑賞したことがあるが、やはり本物の気品には劣る。
どれだけ人類が馬鹿をしでかそうとも、無機物たちはただしっかりと悠然たる姿のままであった。
この部屋にはただ時だけが過ぎ去っていったのだろう。
ほぅ、と感嘆の溜息を漏らしながら夢心地に浸っていると、扉の開く音が聞こえてきた。
「身体の具合はどう?」
そう言いながら入ってきたのは、昨日出会った青年だった。
彼は驚くほど、この場に相応しい優雅な佇まいをしている。
「…………」
その非現実的な目の前の光景に私は返事をすることが出来なかった。
彼はその麗しく整った顔に困った表情を貼り付けて、私の元に近づいてくる。
「やっぱり上の人達は体力が無いんだね。君はもう丸三日間も眠り続けていたんだよ。あのちょっとしたアスレチック程度でここまで疲労困憊になるというのだから、とんでもない才能だよね」
はぁ、と溜息をつく仕草までもが美しい。
……というか今、この端正な唇から皮肉が繰り出されていた……?
似つかわしくない言動に私の頭は追いつかない。
「やれやれ、おつむも弱いのか。困ったもんだね」
ようやく私の固定観念と現実がシンクロし始めた。
ぱちぱちと強く瞬きを繰り返し、齟齬をリンクさせてゆく。
それから、乾いてひび割れた唇を舐めて、
「……た、助けてくれたの……?」
出てきた声はびっくりするくらいに嗄れていた。
まるで老婆にでもなったみたい……。
「救わない方が良かった?」
質問に質問を返すのは正しく皮肉者のそれだった。
「いえ、ありがとう」
ここでようやく現実に私の脳の処理が追いついてきた。
はっと気づいて、慌てて必死に辺りを見渡した。
きょろきょろとする私に彼が声をかける。
「探しているのはこれかい?」
その手にあるのは私のガスマスクだ。
上層居住区に住んでいた私の肺は虚弱だ。
今すぐにでもマスクをしなければ、手遅れになる。否、もう既に手遅れなのかもしれないが。
「……っそれ!」
未だ力の入らない身体を鞭打ち、彼のもとに駆け寄ろうと、寝台から身を乗り出した。
その途端、視界がぐらついて浮遊感を覚える。
転ぶ! と目をつぶったのだが、一向に衝撃はやってこない。
彼が私をふわりと抱き締めたのはこれで二度目になるだろう。
頭上から彼の低く柔らかい笑い声が聞こえる。
その声を聞いていると、どこか穏やかな気持ちになると同時に心臓が忙しなく動き始めた。
あぁ、私は生きている。
ほとんど直感的にそう思った。
これが、上層居住区のワンルームではついぞ知ることが出来なかったであろう感情に私が初めて出会った瞬間だった。
とくとくと早まる鼓動に意識が持っていかれるも、彼の声で現実に引き戻される。
「ガスマスクは大丈夫だから、安心しなよ。ほら、ベッドに戻って」
心做し、優しい手つきで彼は私を寝台に横たわらせた。
「あ、りがとう」
どことなく恥ずかしい気持ちになるが、彼は私の様子に全く気がついていないようだった。
「ここは地下室なんだ。地上の汚染された空気が来ないように完全に独立して造られているみたいだ。もっとも完成したのはかなり昔のようだけど、その時にまだ現存していた過去の遺物たちをそのまんま持ち込んだらしい。流石に瓦礫ばかりの場所では僕達も満足に動けないから、拠点をこの地下に移したのさ」
一息にとてつもない情報量をもたらされ、私は目を白黒とさせるしかなかった。
「はぁ、そうですか」
「ところで、自己紹介がまだだったよね。僕はモグラ。テロ組織集団である暁のリーダーって言えば分かるかな」
「貴方が……」
目の前で嫋やかに微笑む彼が私をこの世界へと導いた本人だったのか。
思ったよりも若いかもしれない。
「あ、私はアンナと言います。暁に入りたくて上層居住区からやって来ました」
ぺこりと軽く挨拶をすると、何が気に入ったのかモグラは笑みをより一層深めている。
すると、ウィーンという機械音と共に、部屋の豪奢な扉が少しだけ開いた。
そこからそろそろと顔を出してきたのは、歪な形をした小型ロボットだった。
橙色の瞳をした彼は優しく笑って、彼らを招き入れた。
「あぁ、紹介しよう。彼らはティムとクレアだ。こっちのやんちゃな方がクレア、大人しい方がティムだ。同じアンドロイドから部品を抽出して、二人の子どもを作ったのさ」
「……子ども?」
「あぁ、子どもを望むアンドロイドは可笑しいかい?」
先程の笑みとは裏腹に、何かを試すみたいに彼の瞳が私を鋭く射抜く。
ごくりと唾を飲み込んだ。
「いいえ。可笑しくなんてない。だってそれが彼女の、あるいは彼の生きる意味だったのだから」
モグラはよく出来ました、と言わんばかりの優しい目で私を見ていた。
「そう言って貰えると助かるよ、アンナ。君は今日から僕らの仲間だ。よろしくね」
彼が初めて私の名前を呼び、私の呼吸はとくとくと脈打つ。
「さぁ、今はゆっくりお眠り。起きたら館内を案内しよう」
私の様子に気づくはずもなく、彼は颯爽と部屋を去っていった。
小さなアンドロイドの子どもたちも、機械音を響かせながら彼の後ろについていく。
あとに残されたのは、火照る頬をどうにか冷やそうとしている私の姿だけだった。
はぁ、と大きな溜息をひとつ。
それから、ぼふんと柔らかなベッドに身を委ね、私は瞼を下ろした。
 今度は夢を見なかった。

目が覚めて、辺りを見渡した。
相も変わらず、華麗な部屋の天蓋付きベッドに私はいた。
随分と体力も戻ってきていた。
「うーん」
凝り固まった身体をほぐして、そろそろと床に足を下ろす。
……うん、歩ける。
自分の身体を支えられると分かり、ひとまず私は胸を撫で下ろした。
さて、ここからが問題だった。
人を呼ぶべきか、自分が動くべきなのか。
これまでの人生、ワンルームの中にしか私の自由はなかった。
だが、ひとたび外に飛び出せば、思いつかないくらいに沢山の選択肢が転がっている。
そして、肝心なことに私は選択の仕方を全く知らないのだった。
頭を悩ませながら、とにかく部屋の中を歩くことにした。
歩いていると、大きなガラス窓の存在に気づく。
壁紙と同じデザインのカーテンで覆われていたから、遠目では壁にしか見えなかったのだ。
いつもより広い部屋、いつもより高い天井、いつもより大きな窓、その存在感にはたと気づき、私の好奇心が疼く。
そろりとカーテンに手を伸ばし、ゆっくりとスライドさせていく。
だが、少しだけ窓が現れた時点で私の動きは止まった。
「……そういえば、地下って言ってたっけ?」
大きな窓の外には、コンクリートの壁があった。
状況を理解しようと私はカーテンを開け放った。
灰色の壁面を切り取った窓ガラスにモグラの姿が反射していることに気が付いた。
いつの間にか、彼は私の後ろに立っていたのだ。
「やぁ、今日は元気そうだね?」
そっと窓に手のひらをあて、私は問うた。
「モグラさん、暁のことを教えて」
「もちろん、喜んで」
ガラス越しに私と彼の視線が絡み合う。
すべてはここから始まったのだ、きっと。
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