砕け散った琥珀糖たちの墓場

高殿アカリ

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Story 02 side.TYAKO

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夕暮れ時、夜の仕事に行く前に一度帰宅したあたしを待ち受けていたのは至上最悪の出来事だった。

アパートの薄いドア越しに、餡子の淫らな嬌声が聞こえてきたのだ。



ずしり、と突然空気の重さが肩にのしかかる。



扉を開けたら、玄関に並べられた靴を二足見つけた。

丁寧に手入れされた男物の革靴をあたしはよく知っている。



持ち主は餡子の元婚約者だ。



幸か不幸か、二人はあたしが帰ってきたことには気がついていないようだった。

廊下でひとり佇みながら、あたしはじっと息を殺して二人の荒い息遣いに耳をそばだてる。



「餡子さん、帰って来てください」



婚約者が餡子に懇願した。



「嫌よ。私はチャコのことを愛しているもの」



餡子の言葉は確固たる真実だ。

だからこそ、悪質なのだ。



「だけど、僕とこういう関係になってしまったじゃないですか。避妊もしていないし、子どもが出来たらどうするつもりですか?」

「跡継ぎが欲しいなら実家に送る。要らないならチャコと育てる」



馬鹿言わないでよ。

思わず大声で叫びそうになった。



だが、皮肉なことにあたしの気持ちは元婚約者が代弁してくれていた。



「それ、まさか勝手に決めたりしていませんよね。チャコさんも知っていることですか?」

「チャコは知らないよ。どうしてそんなことを気にするの?」



「どうしてって、子どもを育てるなら長期的にかなりのお金が必要になりますし、一人で決められる問題じゃないですよ」

「え、でもチャコは私のことを好きなんだよ?」



「それとこれとは話が違うでしょう。愛があるだけではどうしようもないことなんて、沢山あります」

「そんなことない。嘘吐かないで!」



ぱしん、と平手打ちの音が聞こえて、はっとあたしも沈んでいた感情の渦の中から浮上した。



いつの間にか、紙袋の中でシュークリームは押し潰されていた。

いたたまれなくなって、あたしはその場から背中を向ける。



餡子の純真な価値観に耐えられなかったのだ。

そして、安易に絶望する。



これもいつものことだった。



彼女は結局、あたしのことなんてどうでも良いのだ。

でなければ説明がつかない。



片親に捨てられたあたしを愛していると告げた同じ口で、子どもはあげるよだなんて、普通言えるわけがないのに。



あの子にとって、唯一はあたしだけじゃない。

あたしはどこまで行っても現実逃避の道具でしかないんだね。



思えばこれまでの人生、ずっと誰かのための玩具だった。

母親も、あの子の父親も、そして餡子までも、誰もが本当にはあたし自身を必要としていなかった。



――――今野くんは、どうだろう。

ふと、子犬のような彼の笑顔が浮かんできたが、あたしはその甘美な誘惑に逆らった。



たぶんきっとダメになる。

期待してはいけない。



それでも、あたしは一人で立てるほど強くもなかった。
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