独りぼっちの異星人

高殿アカリ

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 月の光が真っ暗なダイニングキッチンに差し込まれた。
 霧雨、否、安藤翔梧は自らの幼い手が血に塗れていることに驚いた。彼の目の前には、血の床に横たわる両親と妹がいた。
「僕、ぼく、どうして――――」
 戦慄いて顔を埋めた時、彼は視界の端に異物を捉えた。てけてけと細長い足を奇怪に動かして、暢気に血の海を泳いでいる。
「うちゅう、じん……?」
 彼が認識した次の瞬間、翔梧は普段なら到底出せないような、俊敏な動きで近くにあったジャム瓶を異星人に被せ、慎重に蓋を閉めた。
 苺の酷く甘ったるい香りと錆びた血の匂いが混ざり合って、翔梧を襲う。
「おえぇええぇえええ」
 吐瀉物を吐き出したあと、彼は口元を乱暴に拭いながらすっくと立ち上がった。本当は今すぐにでも死んでしまいたかった。だが、それと同じくらいに恐ろしい予感が己の中に立ち込めていたのだ。もしもその推測が真実であるのなら、彼には家族と共に死ねる権利はない。
 彼は震えながら夜の街を歩いた。どこに行くべきであるのかは本能が分かっていた。それすらも推測の証明のようで彼の孤独な恐怖は膨れ上がった。
 そう、しとしとと霧雨が降っていた。だから彼の肌には濡れた服が張り付いて、身体の熱を奪っていった。それなのに、寒さで震えることも、くしゃみ一つを出すことも今の翔梧には出来なかった。
 そして一晩中歩き続けた後、重たいジャムに押しつぶされた異星人を片手に彼はEBE対策特殊部隊・日本支部の扉を叩いたのであった。
「おい、何があった!」
 扉を開けた隊員はとても驚いていた。それも当然のことだろう。まだ幼い寝巻き姿の子どもがこんな時間にやって来る理由など、喜ばしいものでないことだけは明白なのだから。
 彼は恐怖に足を震わせながら、それでもジャム瓶を掲げてしっかりと告げた。
「僕、宇宙人に乗っ取られたかもしれません」
 こうして、翔梧は急遽検査を受けることになった。そして、検査結果として安藤翔梧の脳内に寄生虫型異星人が入り込んだ形跡が見られたのであった。
 次に通された長官室で翔梧を待っていた人物こそ、朝倉千鶴その人だった。
「初めまして」
 十五歳という史上最年少の若さで長官の座に君臨した彼女は、翔梧に向けて柔和な笑みを見せたのであった。しかし、千鶴の笑顔も虚しく翔梧は緊張を崩さず、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「僕が、殺したんでしょうか」
 つぶらな瞳で千鶴を見上げた翔梧の姿は死刑宣告を受ける罪人のようでもあり、教会で祈りを捧げる敬虔な信徒のようでもあった。
 千鶴は跪いて、彼の小さな身体を抱き締める。ふわりと温かな体温が翔梧の冷え切った心に注ぎ込まれてくるのが分かった。
「それは違う。寄生虫型異星人が君を操ったんだ。そこに君の意思は介在していない」
 温かさに包まれて、ようやく翔梧は初めて嗚咽を漏らした。それは愛する家族に向けた弔いの涙だった。
「……う、うぅ。う、わぁぁぁぁあ‼」
 千鶴は、しがみついた翔梧の柔らかな背中を優しくあやすように叩いた。翔梧の涙が枯れ果てるまで、彼女は彼を抱き締めたままであった。
 その後、翔梧は母方の祖父母に引き取られることになる。だが、幼い翔梧を待ち受けていたのは人権の失われた日常だった。それは子どもであった彼にとって安易に絶望を感じさせる毎日でもあった。
 愛する家族を殺した者に向ける憎悪の眼差しだけならまだ耐えられたのかもしれない。しかしながら、異星人が体内に入り込んだ人間を他者は同種族であるとどうしても認めたくないらしい。憐憫を含んだ顔は翔梧を引き取った初めのうちだけであった。次第にその感情は言葉の通じない怪物に向ける恐怖へと変化していったのだ。
 そうして二年もの間、翔梧は親戚の家を渡り歩いた。その中に、翔梧のことを千鶴と同じように人間として存在を認めてくれた人物は終ぞ現れなかった。
 その次の年の春。彼は再びEBE対策特殊部隊・日本支部の扉を叩いた。今度は自身を怪物へと貶めた異星人への報復者として。
 そのとき、翔梧の身元引受人として名乗りを上げたのが千鶴だった。彼女は部下を手に入れた一方で、研究対象として翔梧を明け渡さなかったことにより降格処分を受けることにもなった。
 幼稚な仄暗い喜びと罪悪感を抱え、翔梧は千鶴の元で「霧雨」として生きることにした。その名前には、彼が人間であることを放棄した意思と異星人への報復を決して忘れない決意が孕まれていた。
 霧雨として生を受けてから約十年も過ぎると、異星人に寄生されたことにより色の抜け落ちてしまった白髪や白濁色の瞳にも慣れてくるものである。そんな折、千鶴に連れられてやってきた正真正銘の異星人こそが、まさにシュウであった。
 霧雨がシュウと対面した時、まるで昔の自分を見ているようだと思ったことをよく覚えている。
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