春のうらら

高殿アカリ

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 最後に、コールドスリープにシュヴァルツェを寝かせ、装置のボタンに指を置いた、そのとき。
 大きな爆発音が鳴り響いて、地下研究室の扉が壊された。
 破片が辺りに飛び散り、麗の頬を微かに裂いた。
 切れた皮膚から“青い液体”がじわりと滲んだ。
 麗は自らの命題を邪魔しようとしている存在たちに向かって振り返る。
 そこには、シノニムを先頭にオズヴァルド、ニクラス、スピカにカイパー、マロンが立っていた。
「シュヴァルツェ!」
 悲痛な声を出して麗の横を駆け抜けていったのは彼の妹であるマロンだった。
 彼女の栗毛がふわりと麗の視界の片隅を舞ったが、その行く手を阻むことはしなかった。
 ただ静かに双子の魔術師を見ていた。
 その榛色の瞳には何一つ感情が浮かんでいないように見えた。
 麗の気持ちを全く読み取ることが出来ないオズヴァルドたちは無機質な彼女に対してある種の感情を抱き始めていた。
 それは人ならざる者に向けられる恐れだった。
 人間の言葉や理屈が通じない相手に対する恐怖そのものであった。
 だが唯一、麗をただの「春野麗」として見ている者がいた。
 シノニムだった。
 彼は怒りを隠そうともせず、幼馴染の彼女に向かって声を上げた。
「どうして、こんなことを」
 麗は瞬きを一つ落とし、ゆっくりとシノニムを瞳の中に捉えた。
 二人の視線がぶつかり合う。
 静かな口調で麗は言った。
「私には人類にとって何が正解なのか、分からないわ。人間の感情を理解するためのプログラムには不備があるみたいなの」
 ひゅっと誰かの息を呑む音がした。
 はぁ、と溜め息のあと、麗は再び口を開いた。
 それは地球の本当の物語であった。同時に「春野麗」が隠していたかった秘密でもあった。
「私たちの祖国である地球では、既に人類が滅亡してしまっているの。自らが自然破壊を繰り返してしまったせいで、地球上の生命はすべていなくなった。後に残ったのは大量のスクラップの山と生命体など到底生きていけないような汚染された土地だけ。魔術師が生きていられる環境だったなら、そんな世界を継続することが出来ていたのならばこんな結末にはならなかったでしょう」
「では、私たちの目の前にいる貴女は一体何者だと言うのです? 地球人ではない、とするのであれば」
 ニクラスが警戒した様子で問いかける。
 頬の傷から溢れた青い液体を親指の腹で拭い取り、彼女はただぼんやりとそれを見つめた。
「私はアンドロイド。魔物たちと同じ機械で造られた人間の模倣品なの。ただの機械仕掛けのお人形……」
「そんなはずはない。だって君は十何年前、俺と一緒に……一緒、に」
 ぽつりとシノニムの炎のような真っ赤な瞳から涙が一粒流れ落ちた。
「確かに十年前、春野麗という地球人はこの世界に生きていたわ。だけど、アルミラージが出現したあの日、彼女の一家は地球からの帰還命令を受けたの。春野一家は地球へと帰り、そして二度とこの惑星には戻ってこなかった。いいえ、正確には戻りたくても戻っては来られなかったのよ。そして春野麗は地球でその生涯を終えた」
「そんなはず、ない。……十年前からずっと私たちは麗を知って、いた。あの子が麗ではなかったとした、ら」
「そうや! 大きくなっていく様子も見てたんやで。身長も、体重も会う度に変化してたんや」
 スピカの言葉にカイパーも声を重ねた。
「人間の春野麗は地球でアンドロイドとコールドスリープの研究に専念した。彼女の研究結果は地球の研究を飛躍させるものであった。そして、その最大の成果物として私が生まれたの。私は彼女の見た目と記憶チップを持ったアンドロイドなのよ。完成形を生み出す過程で、成長過程の私が生まれた。貴方たちが見てきた春野麗のほとんどが彼女の研究成果のプロトタイプ、試作品ってところね。小さな貨物宇宙船に詰め込まれて、私たち春野麗はこの惑星に送り届けられてきたのよ」
 俯いた彼女からは何の感情を読み解くことが出来ない。
「麗はなぜ君を造ったんだ……」
 シノニムの声に麗が答える。
「人間が地球とこの惑星を行き来するのにどのくらいの時間がかかるか想像できる? 地球製の最新宇宙船を用いても約八十年はかかる計算なの。私たちみたいなモノだったら数年で事足りるのに、人間って不便よね」
「八十年。話を聞けば地球ほどの技術を持ってすればもっと寿命は長くあるような気もするが」
 オリヴァーの疑問に麗が頷いた。
「そうね。麗が普通の地球人であったのなら、生まれた瞬間に延命装置を脳内に付けてもらえたんでしょうけれど。だけど……」
 麗の言葉の続きを引き受けたのはシノニムだった。
「麗はこの星で生まれた。村のみんなが彼女の誕生日を祝ったと祖母は生前嬉しそうに語っていたことがある。それは盛大な祭りの日だった、と」
「そうなの。彼女が生まれたのはこの惑星だった。だから、彼女は地球人の本来の寿命通り約百年間しか生きられない身体だったのよ。もう一度、この世界に戻って来られるか分からない。いいえ、肉体への負担を考慮すればほとんど不可能に近いということを彼女は知っていたの。だから、彼女は私を造ることに人生を懸けた。そして、その生命を終えてしまう直前、自らの記憶を全て内包したデータチップだけをこちらに送った。既に届けられていた私の身体にそのチップを埋め込んでくれたのは前責任者であり、地球人の最後の一人でもあったわ。こうして私は“春野麗”になった」
 ふっと虚無を感じさせる笑みを浮かべ、彼女はシノニムたちを見た。
「“春野麗”の外見を模倣した機械に、彼女の記憶を埋め込んだだけの“私”は本当に春野麗なのかしら」
 今にも泣き出しそうな麗の笑顔はどこか儚くて、彼女の存在が今にも消えてしまいそうにシノニムの瞳には映った。
 絶句するこの世界の住人に彼女はさらに話を続けた。
 冷徹な鉄壁を必死に構築しているみたいな横顔だった。
「私の回路にプログラムされた命題は、“春野麗が愛したシノニムの世界を守り抜くこと”。それだけよ、シノ」
「守る? シュヴァルツェたちを生贄にして、か?」
 はっとカイパーが鼻で笑う。
「魔術師が自然界の魔力を使い切りさえしなければ、ロプト・アルファはゆっくりと死滅していくわ。彼らは魔術師に奪われた本来の力を取り返すために生まれた植物だもの。自然界に一定量の魔力が溜まればロプト・アルファは惑星にとって有害と見做される。……今の人類と同じようにね。これが、私の電子回路を使ってシミュレーションした結果、つまりは、ほとんど確定に近い未来予測なのよ」
「やからって、」
「今でなければ駄目なの! 私も色々模索したわ。だけど、いつだってシミュレーションの結果は同じだった。このチャンスを逃すと永遠に世界を元に戻すチャンスは失われるの。そして、この惑星は地球と同じ道を辿ることになる。今ならまだ間に合う。たった数世紀の時間で生態系を戻せるのよ」
「数世紀? そんな長い間魔術師たちを、シュヴァルツェを、こんなところに閉じ込めておくつもりなの⁉」
 マロンが泣きながら麗を睨み付けた。
 彼女の腕の中には意識を失ったシュヴァルツェがいた。
 自らの唯一の家族である兄をしっかりと抱えるも、彼の瞼は未だ開く気配を見せない。
 ただ眠ったままのシュヴァルツェがいるだけであった。
「あなたたちには遥か遠い未来の話かもしれない。だけど、来るその日まで私の身体は動いていられる。私だけが唯一生きていられる、彼らを見届けていられるの」
「そんなの正当な理由にはならない。傲慢だわ」
 悔しそうにマロンは唇を噛み締めていた。その瞳は激情に塗れる。
 どうして理解してくれないのだ、という思考が痛切に麗の中を駆け巡った。
「……私が最後のアンドロイドだとしても? もし私の身体が壊れてしまっても、私を修理するための資材はもうないのよ。私が行動不能になってしまう前に、元に戻った世界に魔術師たちを目覚めさせるには今じゃなきゃ駄目。計画はもうすぐ完結するわ。魔術師たちがコールドスリープに入るだけ。この惑星のためなの。……お願いよ、信じて」
 途端、麗の頬に誰かの手が当たり、ぱしんと乾いた音がした。
 痛みそのものを感じない麗でもその衝撃には驚いた。
 頬に片手を当てて、麗の頬を殴った人物に目を向けた。
 彼女はその愛らしい唇をへの字に曲げて、肩で荒々しく息をしていた。
「……姫さん」
 カイパーの声が静かな地下室に落ちた。
 一番怒りが似合わない、普段は温厚な小柄の少女が今は全身に激情を滾らせていた。
 その怒りはどこか痛みを我慢しているかのような切なさややるせなさを内包していた。
 スピカの鋭利な視線を受けて、麗はなぜか自らにはないはずの心の奥が軋んだような気がした。
「どうして、そんな悲しいことを言うの。一緒に生きなきゃ、駄目。シュヴァルツェも……麗様も」
 空色の瞳いっぱいに涙を浮かべたスピカ。
 カイパーが彼女の側に駆け寄り、その肩を優しく抱いていた。
「あぁ、スピカ言う通りだ。麗、もうこんなことはやめよう」
 スピカの怒りを見て、反対に冷静になったのはシノニムだった。
 彼の口調はどこまでも優しいものであった。まるで聞き分けの悪い魔物をあやすときのように。
「でもこうしなければ地球と同じようにこの世界の人類も滅びてしまうのよ?」
「誰かの犠牲の上に成り立つ種の存続など意味がない、そうは思えませんか」
 ニクラスがモノクルを磨きながら言う。
「兄も目覚めたとき、みんながいなかったら心のどこかではきっと悲しむはずだわ」
 マロンが呟く。
「それに、俺たちも悲しい。麗とこんな形で決別しなくてはならないのだとしたら。君が人間だろうと、機械だろうと関係なく」
 オリヴァーの青い瞳が麗をしかと見つめる。
 シノニムが一歩、麗に歩み寄る。
「麗、君ももう気付いているだろう。これまで君は生きてきた。俺たちもそう思っているし、君自身も実感しているはずだ。みんな同じだ。シュヴァルツェたちも毎日を生きている。彼らから日常という名の“世界”を奪おうとしている麗の行動は、ロプト・アルファのそれと一体何が違うのだろう」
 シノニムの言葉に初めて麗の瞳が揺れた。
「でも、それなら、私。……どうしていいか分からないわ」
 麗は今とても泣きたい気持ちになった。
 だけど、機械仕掛けのお人形には涙を出す仕組みがないのだった。
 初めての感覚に、麗は呆然とする。
 そんな彼女をそっと抱き締めたのは他でもないシノニムであった。
「そもそもこんな世界規模の問題を麗が一人で抱え込む必要はないだろう。大丈夫、今の君には仲間がいるだろう。それは麗、君自身が俺に教えてくれたことじゃないか」
 麗は俯いたまま、シノニムの服をぎゅっと握り締めた。その姿は幼子が拗ねたあとの様子にそっくりであった。
「シュヴァルツェ!」
 マロンの声が聞こえ、ぱちり、とシュヴァルツェが目を覚ました。
 妹の腕に支えられながら、上半身を起き上がらせると、彼は咳き込んだ。
「確かに、コールドスリープには興味が湧いたけど。こんなに冷たいなんて聞いてないよ、麗」
 へにょりといつものような気怠さでシュヴァルツェが言うものだから、麗はようやく顔を上げてふっと肩の力を抜いた。
「一緒に考えれば新しい解決策も浮かぶんじゃない。僕だって世界の行く末は見届けたいし」
 なんでもないことのようにシュヴァルツェは続けた。
 被害者である当の本人がそう言ってしまえば、シノニムたちはもう何も言えないのだ。
 加害者である麗でさえも、それは変わりない。
 シュヴァルツェがそのことを意識していての発言であるかどうかには関係なく。
 紛れもなく、世界を日常に戻したのはシュヴァルツェだった。
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