春のうらら

高殿アカリ

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 夜の喧騒が麗の耳に届く。
 ダルゴ=マト王国は、間違いなく祭りと賭け事の国であった。
 マロンとスピカはカイパーを連れ立って外の屋台を巡っていたし、シノニムと王子は仲良くギャンブルに興じていた。
 魔法使いは時折上がる花火を分析しており、誰もが浮かれた気分であった。ただし、幾人かの例外を除いて。
 麗はシノニムやスピカからの誘いを断り、王宮内にいた。
 夜の中庭は月の明かりに照らされ、一等美しい。
 花火の光が水面に反射し、消えていった。その派手な儚さがこの国を象徴しているみたいだった。
 ちろちろと足元を流れる貴重な水に視線をやり、麗は足を止めた。
 貴重な水が惜しげもなく使われているあたり、やはりここは王宮の庭園なのだ。
 麗は振り返ることなく、背後に立つ人物に向け、声をかけた。
「で、一体何の用なのですか? 王様」
「ほう、ばれていたとはな」
「私、耳がいいもので」
「みたいだな。……魔王さん、あんたにパトラをやろう。魔物素材への対価としてな」
「普通のパトラ、でしょ?」
「ご不満か? 欲しくはないのか?」
「できればパトラの心臓がいいんだけど」
「なら、この話はなかったことになるな」
 ヒジュルは麗に背を向けた。このまま彼を逃がしてなるものか。麗は意を決してヒジュルに言葉を投げかけた。
「……普通のパトラでもいい、と言ったら?」
「そうこなくっちゃな」
 にかっと白い歯を浮かべ、ヒジュルは再び麗の元までつかつかと歩いてくる。
「あんたならこの取引に応じてくれると信じていたよ。明日の返事はノーだ。それがこの裏取引のサインだ。あんただって、取引内容をリーラム帝国の奴らにばれたくはないだろう?」
「あら、私に選択肢はないわけ?」
 麗は肩をすくめた。
 魔物の素材を受け渡すことを是とすれば、そのまま約束は履行され、断れば裏取引を受けたとされる。
 魔物の素材を渡す代わりにパトラを受け取るか受け取らないか、という選択しか麗には残されていないのだ。それはもはや選択肢とは呼ばない。
「さぁな、この話を公にすれば愛すべき魔物たちは渡さなくて良くなるかもな」
「代わりにあなたは帝国に向かうわ。戦争するでしょ。そうすれば魔術師たちが死んでいくわ」
 魔物を差し出さない代償としては、それは余りにも本末転倒な話であった。
 麗は一瞬俯き、顔を上げた。
 ヒジュルの目をまっすぐに見つめ、それからニヒルな笑みを見せた。
「パトラは、なんて思うのかしらね」
 彼女の言葉がヒジュルの耳に届いた瞬間。
 彼は麗を柱に押し付け、その胸ぐらを掴んだ。
「お前に何がわかる!」
 ヒジュルの慟哭と物理的衝撃が胸に迫る。
 かはっ! 麗の息がつまった。
 怒りの篭った目が彼女を射抜く。
 麗は王の腕に手を添え、うめいた。
「っ、分かっ、たから。はな、して」
 ヒジュルの腕から力が抜ける。
 そのままずるずると座り込んで、麗は喉に手を当てた。
「わかった。裏取引に応じるわ」
 涙目になりながらヒジュルを見上げると、彼もまた麗を見ていた。
 思惑と思惑がぶつりかりあった。
 先に視線を外したのは彼の方だった。
 彼は咳き込む麗を残し、去っていった。
 上がっていた息が落ち着いたところで、麗もまた立ち上がり与えられた客室へと戻ろうとした。
 その道中のことだった。
 月の光を反射した大廊下にて、ニクラスと鉢合わせしたのは。
「あら? 麗さんも出かけなかったのですか?」
 柔和な笑みをこさえ、彼は問う。
 夜の暗い影が彼の表情を読めなくさせていた。
「うるさいのは好きではないからね」
「そうですか」
 どこか探るような眼差しに居心地の悪さを感じる。
「貴方こそオズヴァルドのお供はいいの?」
「ええ、まぁ。少し気になることがありましてね」
 探られるのならば探ってやれとばかりに麗も問いを返すが不発に終わった。
 彼の気になることが何かを聞いたところでのらりくらりと交わされる未来は確実だ。
「そう。では私は部屋に戻るわ」
「えぇ、おやすみなさい。麗さん」
 リーラム帝国の宰相に敬意を示されると不信感しか募らないわけであるが。
 廊下を進む麗の後ろ姿にニクラスの視線がささっていた。
 彼が麗を怪しんでいるのは明白だった。
 リーラム帝国からの監査役としてここにいるのだし当たり前と言えば当たり前、か。
 麗はそんなことを思った。
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