春のうらら

高殿アカリ

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 二人が魔界領域に戻ってきてから数日後のことであった。
 どかんと大きな音が鳴り、シノニムのテラスに誰かが横たわっていたのだ。
 寝台から慌てて飛び起きたシノニムは窓辺に駆け寄った。
 そこには朝日に照らされたスピカの姿があった。
 彼女の下に何やら魔法陣が描かれており、一瞬紫色の強い光を放ち、そのまま消えていった。
「どうしてここに」
 シノニムが呟いたと同時にシノニムの寝室の扉が勢いよく開かれた。
「何事⁉」
 そう言って飛び込んできたのは麗だった。
 寝巻姿のままの彼女にシノニムは頬を微かに染め上げ、そっぽを向く。
「いや、えっと、その。スピカが……」
 シノニムがそう言うや否や、状況を瞬時に理解した麗は彼を部屋の外に追い出したのだ。
 テラスに出て、すやすやと眠るスピカを優しく起こす。
「むぅ」
 ぎゅっと熊のぬいぐるみを強く抱きしめて、それから幼い彼女は目を覚ました。
 スピカは目の前に麗が立っていることに気が付くと、にっこりと笑った。
「どうしてここにいるの」
 麗の問いにスピカは何でもないことのように答える。
「……家出」
 彼女の回答を聞いた麗の声がテラスに響く。
「家出⁉」
 むん、と口を噤むスピカの横顔を見つめ、そこにある種の覚悟があることを認識した麗は、どうやらスピカの言葉が本当であると理解した。
 はぁ、と麗は腰に手を当てた。
「ひとまず着替えましょう。スピカは私の昔の服を着てね」
「……うん」
 こうして、家出少女が魔王城にやって来たのだった。
 ある程度動きやすいドレスに着替えた二人と共にシノニムは朝食を食べていた。
 広い食堂内に三人分の食器を動かす音だけが響く。
 その間にもスピカの視線がシノニムに突き刺さる。
 見張られているような感じがして、シノニムは終始居心地が悪かった。
 気まずさを打ち破ったのは麗だった。
「ところで、スピカはどうやってここに来たの?」
 スピカは少しだけ視線を彷徨わせたあと、口を開いた。
「魔術師の、シュヴァルツェに転送……」
「え?」
 驚く麗にスピカは続けた。
「マロンが止めに来た。……でも、転送魔法はもう出来ていた。シュヴァルツェ、ちょうど魔法陣の確認したかった、って」
「そ、れは実験台にされたということよね。スピカ、もしかしたら貴女今頃、どうなっていたか分からないわよ。成功したからよかったものの」
 深い深い溜息を吐いて、麗は気を取り直す。
 スピカには何を言っても無駄だと知っていたからだ。
 彼女に危機管理能力など皆無だ。
 だから身分も問わず、ソレニカ教国一番に強いカイパーが彼女の護衛騎士になったのだ。
「カイパーにはちゃんと伝えてきたわよね?」
 麗の確認に、スピカはむすっと眉を顰めてただ無言でいる。
 そこで、彼女がどうしてここに来たのか合点がいった。
 カイパーから逃げてきたのだ。「家出」とはつまりそういうことなのであった。
「カイパーと喧嘩したのね」
「……だってぇ」
 麗の口調にお説教の匂いを感じたのか、スピカは口を尖らせて駄々をこねようとしていた。
「まぁいいわ。それなら彼は単身ですぐにこちらにくるはずだものね」
 麗の言葉にシノニムが眉を上げた。
「そうなのか? 一国の皇女が家出したんだぞ。もっと大人数で乗り込んできそうなものだが」
 スピカは首を横に振って、シノニムの言葉を否定した。
「それはない。カイパーは平民出身の元傭兵だから。……私のことだけしか考えない。だから誰にも相談せず、一人で来る。……たとえどこにいても」
 すうとスピカの目が細められ、シノニムを見る。
 シノニムにそれほどまでの覚悟はあるのか、と問われている気分になった。
 一日目、スピカはシノニムの足を引っかけようとした。
 シノニムは華麗に躱す。どうやら、彼女はシノニムを試すつもりのようだ。
 二日目、スピカはシノニムの一角獣を逃がそうとした。
 一角獣が怒り、スピカに反撃を行おうとするも、シノニムが二人の間に入り事なきを得た。
「ありがとう、なんて言わない」
「怪我がなけりゃいいさ」
 三日目、今日も今日とてスピカがシノニムに悪戯を仕掛けようとしたときだった。
 カイパーが魔王城に乗り込んできたのだ。
「姫さんを返せやぁぁぁ」
 酷くブチ切れた様子だった。
「姫さん、帰るで」
「じゃあ、謝って」
「確かに、そもそもどうして喧嘩なんてしたのよ」
 麗がマグカップ片手に首を傾げた。
「リーラム帝国の悪口、言った」
「いや、あいつらにとって俺らが捨て駒なのは分かりきった事実やろうが」
「違う」
「何が違うねん。実際、姫さんがおらんくなったっていうのに助けにも来ぉへんやないか」
「それは……」
「ニクラスがスピカの叔父だなんて、秘密だものねぇ。余計に助けに来にくい関係ではあるはね」
 口を挟んだのは麗だった。彼女はわざと悪女めいた笑みを浮かべていた。
「な、そんなん」
 カイパーが驚きに目を見開いた。
 どうやらこの場でその事実を知らなかったのは、カイパーとシノニムだけのようであった。
 いつの間にか、床に魔法陣が現われおり、オズヴァルドとニクラスがそこに立っていた。
「そうです。私は現ソレニカ教国の王弟であり、王位継承権を担うものです。リーラム帝国に人質として雇われているのですよ。オズヴァルド殿下の監視の下でね」
 ふっと笑ったニクラスの表情に隠された感情は読み取れなかった。続けて、彼は麗に向かって問いかける。
「それより、やはり私たちの秘密を麗さんは知っていたようですね。そちらの方が少々気になりますね」
「魔王だから血縁関係が読み取れるの、と答えれば満足してもらえるかしら」
「そういうことにしておきましょう」
 こうして、スピカの家出という名のお泊まり会は閉幕となったのであった。
 王城へ戻る魔法陣に乗り込む直前、スピカはシノニムに駆け寄った。
 彼女がしゃがめとシノニムにジェスチャーを送るので、彼は身をかがめる。
 すると、彼女はシノニムの耳元でそっと囁いた。
「いっぱいいじわるしてごめんね。あなたになら任せられそう」
「え?」
「麗様のこと」
 愛らしい笑みを浮かべ、スピカは魔法陣の中に入っていった。
 熊のぬいぐるみを抱え、少女は小さく手を振る。シノニムもそれに応えた。
 カイパーが彼女の後ろからシノニムのことをねめつけていた。なるほど、彼がスピカに対して過保護だという話は本当のようだ。
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