春のうらら

高殿アカリ

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 リーラム帝国の王城は世界最大級の広さを誇っていた。歴史ある伝統的な様式美を惜しげもなく披露した王城内部は訪れる者に重厚な威圧感を与える。
 シノニムは渋い顔をして王城の門をくぐったのであった。
 二人が使用人に案内された会議室には既に各国王が集まっていた。
 円卓に座っている彼らの視線が開かれた扉に向けられる。
 麗は決して心地良いとは思えない多くの視線にも怯むことなく、唯一自らのために開けられた席へと座る。
 シノニムは彼女の後ろに静かに立ち、国王たちを観察し始めた。
 なるほど、確かにこれは立ち向かうには少々厳しいものがある。それもうら若き女性が一人で、となると。
 麗が不用意に傷つくことにならなくて良かったとシノニムは心底ほっとした。
 定刻になり、円卓会議が始まった。
 会議内容は罪人の魔物による処刑日時の確認や、貧困街の住人引き取りの話など胸糞が悪くなるようなものばかりであったが、特に問題も起きず滞りなく会議は進められた。
 このまま何事もなく会議が終了するかと思われた矢先のことであった。
 リーラム帝国の現国王が顎鬚に手を当てながら口を開いた。
 その満面の笑みにシノニムは嫌な予感がした。
 そして、その予感は的中するのであった。
「ところで、魔王の後ろにいる男よ。世界には勇者の存在が必要だとは思わんかね」
 リーラム帝国国王は、真っ直ぐにただシノニムだけを見つめていた。
 乾いた唇をひと舐めして、シノニムは口を開いた。
「それは一体どういう意味でしょうか。私の存在は既に死亡したものだとお聞きしていますが」
「なに、死んだと思われた勇者が実は生きていた。これほどロマンチックな物語もないだろう」
 ぴくりとシノニムの眉が動く。不快だった。
「私が生き返ることのメリットとは何でしょう」
 シノニムが言い返すなど夢にも思わなかったのか、円卓にひりついた空気が流れる。
 ははは、とリーラム帝国国王の笑い声だけが不気味に響いた。
「面白いことを言うのぅ。何、魔物の扱いに長けた英雄を丁重に扱わぬ国などあろうものか」
 その場に居た国王たちの喉が嚥下した。
 あぁ、そういうことか。
 シノニムはリーラム帝国国王の思惑を理解する。
 彼らは喉から手が出るほどにシノニムが欲しいのだ。魔物を手懐けられる人材がいれば、こんな風に他国と協力関係を築く必要はなくなるのだから。魔物に怯えて眠る日々も来なくなるのだから。
 本当は、彼らは戦争がしたくて堪らないのだ。世界の全てを自分の手で支配したくてしょうがないのだ。
 この世界の現状など、魔界の小娘が言うことなど、誰一人本気では信じていないのだ。
 魔界領域が無くなれば、彼らは躊躇うことなく魔術師たちを戦場に送り出すだろう。未開拓の土地を我先にと確保するだろう。
 その犠牲になるのは、魔術師だけではない。何の罪もない人々が多く死ぬだろう。多くの自然も破壊されるだろう。この世界の終焉はすぐそこに迫っているというのに。
 シノニムはここで初めて痛感した。
 魔界領域がひいては麗の存在がどれほど脆弱な綱渡りをしてきたのかということが。
 答えを返さないシノニムに痺れを切らしたリーラム帝国国王は軽く舌打ちをすると、今度はにっこりと人好きのする笑みを浮かべた。そこに圧力を感じない者などいなかった。
「まぁ、そう急ぐことでもあるまい。明日までに決めてくれればいい。今はゆっくり休め。夜には舞踏会も用意しておるからのう。こちらに戻るのも久しぶりなのじゃ、盛大に楽しむが良い」
 その言葉を最後に円卓会議は終了となった。
 早足に部屋を出ていった麗のあとをシノニムは追いかけた。
 彼女に追いついたシノニムはその横顔が酷く強張ったものであることに気が付いた。
 確かに、先日の住人たちの様子を見ていて、帝国に良い感情を抱いていない上に、目の前でシノニムを引き抜こうとしたのだ。完全に麗は舐められていた。
 広い回廊で麗は立ち止まった。
 そしてシノニムを振り返ることなく、そのまま前を向いて話した。
「英雄になるかどうかは、シノが決めていいよ」
「分かった」
 シノニムは彼女のことをよく知っていた。
 ちょっと権力者に見下されているからと言って廃れるような性格ではないということを。
 そして、彼女は普段我儘でありながら、肝心なときにはシノニムの自由意思を尊重しているのだ。
 それはつまり、紛れもなくシノニムへの信頼であった。
 シノニム彼が裏切らないという信頼ではなく、裏切っても構わないという信頼の置き方なのである。
「じゃあ私は図書館に用事があるから夕方までシノも好きにして。舞踏会の用意はしてもらっているから、それまでに部屋にいてくれればそれでいいから」
 麗の言葉にシノニムは頷いた。結局、円卓会議を終えてから彼女と目が合うことはなかった。
 麗と別れたあと、シノニムは庭園を散歩することにした。
 リーラム帝国の王城には類い稀な広さを持つ庭園があるのだとか。そこに咲く花々も希少種が多いらしい。薬草師の孫であるシノニムの心が疼くのも仕方がないと見えた。
 シノニムが庭園を心の赴くままに歩いていると、突然背後から声がかけられた。
「麗様の右腕となったのは貴方でしょうか」
 はっと警戒して振り返ると、そこには数人の男女がいた。
 ずいと前に出てきたのは海のような深い青の髪と瞳を持つ男だった。
「俺はオズヴァルド・アシュクロフト。リーラム帝国の第三王子だ」
 彼の横に立っているのは、モノクルをかけた長身長髪の男である。白髪が風に靡き、薄桃色の瞳がモノクル越しにシノニムを観察していた。
「ニクラス・ボニヴァールと申します。オズヴァルド殿下の補佐役、とでも認識していただければと思います」
 口調と声質からして、初めにシノニムに声をかけてきたのはこのニクラスという男であるらしい。
「……ソレニカ教国皇女、スピカ・ウィンチェスター」
 熊のぬいぐるみを抱えてじっとシノニムを見ている低身長の少女がぎりぎり聞き取れるほどの声量で言った。
 白銀の髪と薄い水色の瞳はどこか彼女を儚い印象にさせていた。
 だが、そのことよりもリーラム帝国とソレニカ教国の跡継ぎたちが同じ空間にいることにシノニムは心底驚いた。
 というのも、ソレニカ教国は実質リーラム帝国の属国であるのだから。
 先の戦争に敗北したソレニカ教国はリーラム帝国の領土となった。
 だが、宗教色の強いソレニカ教国の国民たちを統率出来ないと判断したリーラム帝国はソレニカ教国を属国にしたのだ。 ソレニカ教国にとって最悪の事態であるリーラム帝国の植民地支配は免れたものの、次に待っていたのは高度な政治的圧力であった。
 こうして、ソレニカ教国は富や労働力をじわじわとリーラム帝国に搾取されるようになったのだ。
 契約が交わされてから随分と長い時間は経っているが、未だに二か国間には一方的な関係が続けられている。
 各国の次世代を担う人物が同じ視線をシノニムに向けていることに彼が疑問を持つのも当然だと言えた。それもその視線には警戒と怒り、そしてほんの少しの嫉妬が混じっているのである。シノニムからしてみれば、疑問符ばかり浮かぶのであった。
 そんなシノニムの思考を途切れさせたのはへらへらとした男の声であった。
「俺はカイパー。姫さんの護衛騎士や」
 にこにこと唯一敵対心を見せずに悪手を求めた緑紙の男の手にシノニムもまた手を差し出した。握手を交わした瞬間、男の手に力が籠められ、シノニムは顔を歪めた。
 先ほどまでの雰囲気とは打って変わり、金の瞳を怒りに染め上げ、シノニムの耳元に口を寄せた。
「姫さんに何やしてみぃ。俺があんたさんに何を返すか分からへんで」
 ドスの効いた声だった。
「貴方の噂、知ってる」
 姫さんの声が聞こえるや否や、またへらへらとした雰囲気に戻ったカイパーはシノニムの手を離した。
 それから素早くスピカの隣に戻っていった。とんだ番犬を引き連れている皇女であった。
「噂?」
 じんじんと痛む手を摩りながら、シノニムは疑問を返した。
 途端、ひりついた空気が辺りを覆う。
「貴方が麗様の幼馴染だなどという、取るに足りない噂話ですよ」
 ニクラスが言うと、スピカは同意を示すようにひとつ頷いた。
「噂もなにも、本当のことだが」
 シノニムの言葉に皆の表情が固まる。
「まさか麗様がこんな平凡な男と友情関係を築いているなんて……」
 第三王子の口から絶望に染まった声が聞けるなど、なかなかに奇特なことであったが誰も突っ込みすらしない。
 皆一様に顔を青ざめさせていた。
 どうやら彼らは麗のことをかなり気にかけているようだ。いいや、これはもう崇拝という方が近いかもしれない。
 シノニムは麗が必死に紡いできた未来への物語がしっかりと蕾になっていることを知った。
 彼らが王や女王になる頃には、麗の理想へと一歩確実に進んでいるだろう。
 シノニムは彼らの様子から実感を伴った確信を抱いた。
「ひとまず、今日はこのままでも、いい」
「あぁ、せやな。姫さんの言う通りや。今日はこれで勘弁しといたるわ」
 シノニムのことを信じきれないのか、つんつんとした態度のまま彼らは庭園を去っていった。
「……一体何だったんだ」
 シノニムは独り言ちるのであった。
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