春のうらら

高殿アカリ

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 一人の少年が、この辺り一帯を統べる領主の館に続く広大な丘を歩いていた。
 彼の名前はシノニム。
 モラカルトという村の平凡な少年である。
「シノー!」
 少女の声が緑豊かな大地の向こう側からシノニムの耳に届いた。
 彼は祖母の菜園から持ってきた薬草の束を手に振り返る。
 金色の髪を一つに結び、愛らしくも上質な素材で作られた白のワンピースの裾を揺らしながら、駆け寄ってくる春野麗の姿が見えた。
 シノニムは目を細めて、領主の娘である彼女を待った。
「どこに行くの?」
 呼吸を整えた麗は無邪気に尋ねる。
 心地よい春の風が二人の間をすり抜けていった。
「ちょうど君の屋敷に行こうと思っていたんだ」
「あら、どうして?」
 シノニムは手に持っていた薬草を彼女に見せた。
「月に一度、領主様に持っていく約束だから」
「ふぅん。でも、私は今シノと遊びたいわ」
 お嬢様らしい純粋な我儘が愛らしい。
 シノニムは彼女の魅力的な提案にどうするべきか逡巡する。
 彼の返事に痺れを切らした麗は、距離を取って二人を見守っている自らの護衛騎士に声をかけた。
「ギルバート、シノの薬草を届けてあげて」
 名を呼ばれたギルバートは素早く二人のもとにやってくると、勇みよい返事をした。
「はっ。シノニム様、薬草を預けていただけるでしょうか」
 ギルバートに傅かれ、シノニムは慌てた。
「いえ、そんなことまでしていただかなくても」
 焦るシノニムの手から薬草を奪い取ったのは麗だった。
「はい、ギル。よろしくね」
 にっこりと笑った麗は、薬草をギルバートに押し付け、驚いているシノニムの手を取った。 
 森の中に向かって駆けていく麗に半ば引きずられるように、シノニムも足を踏み出したのだった。
「今日は森の泉にいるからね~!」
 ギルバートに行き先を告げた麗の声が丘に響いた。
 今日もまた、穏やかで平和な一日が始まろうとしていた。
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