セイ

高殿アカリ

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その日は夜遅くまで居残りをさせられていた。
というのも、図書委員の一年生二年生と一緒に図書室の蔵書整理をしていたのだ。

「じゃあ最後、お願いね」と渡された図書室の鍵を片手で持て余しながら、戸締りをしていく。

こんな寒い日に窓が開いているはずもなく、私は窓の鍵が掛かっているかどうかだけ確認し、カーテンを閉めていく。

窓の外はもう暗い。
いくら日が長くなったとはいえ、随分と長い時間仕事をしていたらしい。

柱に掛かっている時計を見ると、夜の十時少し前だった。

「えっ」

慌てて私は戸締りを終えると、鍵を職員室に返しにいった後、鞄を取りに教室に戻る。
職員室で教室の鍵を貰うのを忘れずに。

三年生は職員室と同じ二階に教室があるので楽だ。
それでも小走りで教室に駆け込む。

十時ジャスト。

私は黒板の前でフリーズした。
否、せざるを得なかった。

なぜなら、黒板消しから人が浮き出てくるのを目にしたのだから。

そう、黒板消しから。

出てきたのは、驚くほどに綺麗な顔をした青年だった。
青の瞳にさらさらな金髪は、そう、まるで……。

「王子様みたい……」
「え? 僕が?」

きょとんとして返された言葉に私は自分の顔が熱くなるのを感じた。

な、なんてことを口走ったんだ!
今すぐ逃げたい私のことなんかお構いなしに、彼は話しかけてくる。

「て、いうか。君、誰?」
「あ、え、えっと、高橋恵美子です」

何が何だか分からずに返事を返すと、彼は何だか嬉しそうに笑って、「そっかー、じゃあ、えっちゃんだねぇ」なんて独り言ちる。

私は不覚にも見惚れてしまった。
まるでこの世のものじゃないみたいに綺麗な顔をして笑うから。

……同じ人間じゃないみたい……。

…………ん? ちょっと待って。

私は恐る恐る問いかける。

「……あなた、名前は?」

そもそも、だ。
私は黒板消しから彼が出てくるのを見た、間違いなく。
その時点で人間であるはずがないわけで。

もし人間だったとしても、だ。
この時間に教室にいるのは相当の危険人物でしかなくて。

……どっちにしたって、私、相当やばい状況なわけで。

「黒板消しの精霊とか、黒板消しの妖精って呼ばれてるけど、えっちゃんには、せいちゃんって呼ばれたいな!」

……あぁ、やっぱり噂の主でしたか。

私は何だか拍子抜けして、ニコニコ笑顔で私から「せいちゃん」と呼ばれたいらしい黒板消しの彼を見る。
……せいちゃんって……。

「……セイ」
「えぇ、せいちゃんって呼んでよ!!」

頬を膨らませて怒るセイ。

絶対に呼ばない。
だって……せいちゃんって……どんな羞恥プレイよ!

はぁ、と軽い溜息をついて、私は鞄を肩にかける。

「じゃあね、セイ」

もう二度と会うことはないだろうな。
卒業前に不思議な体験ができたなぁ。
なんて思いながら、教室の扉に手をかける。

「待ってぇ」

そんな声と共に、お腹と背中に軽い衝撃が走る。
えっと思って後ろを振り返ると、セイが私を抱きしめていた。

鼻水と涙を流しながら。

一瞬でもドキッとした私って……。
自己嫌悪で吐きそうだわ。

綺麗な顔をして私を見つめてくるセイの潤んだ瞳を見つめ返しながらそんなことを考えていた。

「何」

スンスンと鼻を鳴らすセイを引き剥がしながら問う。

「だって、だってぇ。初めて僕を見ても怖がらない人だし……それに、なんか、いい匂いがした!」

そんなことを笑顔で言って、私に飛び掛かろうとするセイ。
……い、いい匂いって。

どうしてこんなにも惑わされなくちゃいけないのか。
一人顔を赤くする私に、自分が一番驚いているのだ。

「あ、雪だ!」

突然、セイが嬉しそうな声をあげた。
いつの間にかセイは窓の側にいて、さも楽しげに私を振り返って来る。

……前言撤回。
セイが王子様だなんて。
聞き分けの悪いただの子どもじゃない。

セイが私を手招きする。
私はセイに近づいて行って、一緒に窓の外を見る。

そこには月明かりの下、キラキラと輝く雪が優しく舞っていた。

ね? 雪でしょ? 綺麗でしょ?
なんて顔をして私を見てくるので、私は呆れて、

「そうね、綺麗ね。よくやった」

そう言いながら、セイの髪をわしゃわしゃと撫でてやる。

……この子、犬なのかしら。
目を細めて私の手にすり寄ってくるセイに、そんなことを思った。

セイは、突然に私の手を掴むと、廊下に飛び出していく。

「遊ぼう!」

弾けんばかりの笑顔を向けて。
二人で、中庭に出て、走り回って、笑いあって。

どうしてこんなにもセイには素直でいられるのか。
全く分からなかったけれど、不思議と気にはならなかった。

人間じゃないからかも。
そんな風に思って、少しだけ笑えた。

夜更けに舞う季節外れの白い雪は、地面に落ちたらすぐに溶けて消えてしまう。

仰向けに二人で寝ころんで、舞い落ちてくる儚い雪達を眺めていた。

「何だかセイみたい」

そう言うと、セイは笑って答える。

「僕は、えっちゃんみたいだなって思ったよ」

私達は顔を突き合わせて、笑いあった。
いつまでもこんな時間が続けばいい。

「……じゃあ、そろそろ帰るね」

私は立ち上がって、スカートの裾を払う。

「じゃあ、僕は寝るよ」

そう言ってセイも立ち上がる。

「え? ……あれ? そういえば、噂ではセイって十二時に現れるんじゃないの?」

「いや、十二時になったら眠るんだ。僕だって眠いんだからね」

ただの疑問をぶつけただけなのに、どうして怒っているの。
私はやっぱり笑って、セイの頭を撫でてやる。

ふふふ、何だか不思議な気持ち。
その感情の正体が分からぬまま、その日は帰路に着いた。
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