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第一章 再会は突然に
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その日はロイド公爵家主催のお茶会が開かれていた。
後継者となった私をお披露目するためのティーパーティーだ。
同年代の貴族たちが私のために集まる、言わば私が主役の日なのだ。
だが、そんな私のことが気に食わなかったのだろうか。
ノエル殿下と和やかに談笑していた私の背中を突然、彼女は思いっきり押したのだ。
七歳児の全力とは思えないほどの力強さに私の足はふらつき、その勢いのまま庭園の噴水に落ちる。
「なっ!!!!」
瞬発的な怒りに任せ、背後を振り返る。
すると、そこにはパトリシアの背中があった。
両手を広げて仁王立ちする彼女はまるで何かから私を守っているかのような……。
「サイモンに、何をしようとなさいましたの?」
声を押し殺したようにそう告げるパトリシアの周りの温度が幾分か下がった。
数度瞬きして、彼女の背中越しに顔を覗かせると、そこには一人の男爵家子息が立っていた。
「ち、違うんだ。……卑しい出自の者が、この場に相応しくない者が、お、俺は殿下やパトリシア様の品格を下げる者が、この場にいることが我慢ならなかったのです……!!」
彼の手は震えながらティーカップを握り締めていた。
傾けられたその中身は空だった。
嫌な予感がして、パトリシアの姿を確認すると、彼女のワンピースの裾が濡れていた。
ワインレッドの濃い色をしたワンピースだったため、そこまで目立っていないことが不幸中の幸いだと言えた。
「……パトリシア様……?」
私は困惑した。
どう考えてもその紅茶の染みは本来自分に降りかかるものだと理解したからだ。
パトリシアが私の方を振り返る。
それから、口元に手を当てて身体を震わした。
沈痛な面持ちで私を見つめる彼女は、まるで女神のような慈悲深さを持っていた。
全身が濡れてしまう結果にはなったかもしれないが、七歳の少女が私の矜持を守るために行動したその事実自体が私の心を魅了したのだ。
――――途端。
ごふっと、目の前のパトリシアが盛大に噎せた。そして崩れ落ちた。
「パトリシア……!」
敬称を付けるのも忘れ、私はパトリシアの元へ駆け寄った。
彼女の華奢な身体を抱き上げ、邸宅の中へ向かって走る。
この小さな身体にどれほどの負担を強いてしまったのか。
私は酷く反省した。
他者からの悪意の元に晒されて、彼女はどれほど恐怖したことだろう。
……私が彼女を守らなくては。
人見知りで、健気で、愛らしい、私の腕の中で顔を青褪めさせている可憐な一人の少女を。
パトリシア・ロイドを。
「サ、サイモン」
掠れた声で彼女が私に呼びかける。
「はい」
「……貴方は貴方のままで、いてね」
ひゅっと息を呑み込んだ。
貧民街では元貴族の一人として詰られ、公爵家に迎え入れられてからは、貧民街の子どもとして同情された。
素直さや純真さは当の昔に捨て去り、強者の望む人間になることに注力してここまできた。
生きるためにはそうするしかなかったから。
彼女はそんな私の醜い努力すらも、受け入れてくれるというのだろうか。
期待しても、いいのだろうか。
パトリシアは私の心に大きな時限爆弾を残し、そのまま意識を失った。
この日、私は私だけの唯一を見つけた。見つけて、しまったのだ。
(そのまま、水も滴る良いヒーローに育ってくれ……ごふっ)
幸運にも、パトリシアの邪な感情がサイモンに伝わることはなかった。
後継者となった私をお披露目するためのティーパーティーだ。
同年代の貴族たちが私のために集まる、言わば私が主役の日なのだ。
だが、そんな私のことが気に食わなかったのだろうか。
ノエル殿下と和やかに談笑していた私の背中を突然、彼女は思いっきり押したのだ。
七歳児の全力とは思えないほどの力強さに私の足はふらつき、その勢いのまま庭園の噴水に落ちる。
「なっ!!!!」
瞬発的な怒りに任せ、背後を振り返る。
すると、そこにはパトリシアの背中があった。
両手を広げて仁王立ちする彼女はまるで何かから私を守っているかのような……。
「サイモンに、何をしようとなさいましたの?」
声を押し殺したようにそう告げるパトリシアの周りの温度が幾分か下がった。
数度瞬きして、彼女の背中越しに顔を覗かせると、そこには一人の男爵家子息が立っていた。
「ち、違うんだ。……卑しい出自の者が、この場に相応しくない者が、お、俺は殿下やパトリシア様の品格を下げる者が、この場にいることが我慢ならなかったのです……!!」
彼の手は震えながらティーカップを握り締めていた。
傾けられたその中身は空だった。
嫌な予感がして、パトリシアの姿を確認すると、彼女のワンピースの裾が濡れていた。
ワインレッドの濃い色をしたワンピースだったため、そこまで目立っていないことが不幸中の幸いだと言えた。
「……パトリシア様……?」
私は困惑した。
どう考えてもその紅茶の染みは本来自分に降りかかるものだと理解したからだ。
パトリシアが私の方を振り返る。
それから、口元に手を当てて身体を震わした。
沈痛な面持ちで私を見つめる彼女は、まるで女神のような慈悲深さを持っていた。
全身が濡れてしまう結果にはなったかもしれないが、七歳の少女が私の矜持を守るために行動したその事実自体が私の心を魅了したのだ。
――――途端。
ごふっと、目の前のパトリシアが盛大に噎せた。そして崩れ落ちた。
「パトリシア……!」
敬称を付けるのも忘れ、私はパトリシアの元へ駆け寄った。
彼女の華奢な身体を抱き上げ、邸宅の中へ向かって走る。
この小さな身体にどれほどの負担を強いてしまったのか。
私は酷く反省した。
他者からの悪意の元に晒されて、彼女はどれほど恐怖したことだろう。
……私が彼女を守らなくては。
人見知りで、健気で、愛らしい、私の腕の中で顔を青褪めさせている可憐な一人の少女を。
パトリシア・ロイドを。
「サ、サイモン」
掠れた声で彼女が私に呼びかける。
「はい」
「……貴方は貴方のままで、いてね」
ひゅっと息を呑み込んだ。
貧民街では元貴族の一人として詰られ、公爵家に迎え入れられてからは、貧民街の子どもとして同情された。
素直さや純真さは当の昔に捨て去り、強者の望む人間になることに注力してここまできた。
生きるためにはそうするしかなかったから。
彼女はそんな私の醜い努力すらも、受け入れてくれるというのだろうか。
期待しても、いいのだろうか。
パトリシアは私の心に大きな時限爆弾を残し、そのまま意識を失った。
この日、私は私だけの唯一を見つけた。見つけて、しまったのだ。
(そのまま、水も滴る良いヒーローに育ってくれ……ごふっ)
幸運にも、パトリシアの邪な感情がサイモンに伝わることはなかった。
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