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第三話
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キャリーケースを転がして歩くわたしに、世の中の誘惑が襲い来る。
「うわぁ、美味しそう。あ、こっちも……いやダメ、ダメだよわたし。あんまりお金ないんだから」
強く言い聞かせてはみるものの、やっぱり、美味しそうで……。
「おばちゃん、肉まん一つ!」
食の誘惑に負けて、マイナス二百十円。
わたしの少ない貯金が更に少なくなってしまった。
「まあ、これからは気を付けよう、うん」
なんて言いつつ残りの財布の中身を見てみる。
残金一万八千円。
引っ越して来る前にやってたバイトで貯めた貯金も合わせれば、まだ余裕はある。
でも、いつまで家出することになる分からないし、ほんとにこれから気をつけなくちゃ。
「学校には通わないといけないから、お婆ちゃんの家に行くのもなぁ……どうしたもんか」
わたしはキャリーケースを引き摺りながら今後の方針を考える。
行き当たりばったり、なんの計画もない人生初の家出。念の為、一人暮らしの友達の家に暫く泊まって来ると、嘘の書き置きを残して来たから、一ヶ月は誤魔化せる筈。
その後は向こうから心配して帰って来て欲しいなんて、そう言って、もっとわたしを見てくれたのなら……帰ってあげてもいいかな。
それまでは悠々自適な生活をして過ごしてやるんだからね!
「っ、痛いと思ったら、この新しい靴合ってないよぉ、も~」
まだ少ししか歩いてないのに、踵は真っ赤になっていた。
しかも血が滲んで白い靴の布が赤く染まってしまっている。これじゃ売る事も出来ないし……はぁ、ついてない。
わたしはそのことは意識の外に追いやり、一旦無視をすることにして、再び歩き始める。
気にしなければ痛くない、大丈夫。大したことないんだから。
――――ガタッ
わたしの行く手を更に邪魔するように、引き摺っていたキャリーケースから不穏な音が聴こえて来た。
それと同時に、わたしの身体は突然重くなったそれが引き止めるような形で、後ろに引き戻される。
「え、なに、なんなの……」
キャリーケースを見て直ぐに、その異常に気が付く。
見た感じ、キャスターの一つがおかしくなってしまったらしい。
いくら手で動かそうとしても動かず、これじゃ、無理矢理引き摺っていくっていうのも、難しい。
家から出て一キロ弱。わたしの人生初の家出は終了。
…………なんて、そんなの、嫌だ。
「――もう帰りたくないよ」
わたしはその場に蹲る。
周囲の視線なんて気にせずに、膝をかかえて思う。
わたしの居場所なんて何処にもない。
あの家はわたしの家じゃない。
誰も、わたしの事なんてみてない。
「……お婆ちゃんのとこに行こっかな」
学校を辞めるか、留年覚悟で長期休みを取らせて貰うかして、田舎のお婆ちゃんの所に行く選択肢だってある。
でも、それは、お婆ちゃんに迷惑になっちゃうし、出来れば避けたい。
……やっぱり、わたし一人でどうにかしないと。
「はぁ、もう、散々だよ」
涙も出て来そうになって、情けない。
こんなんじゃわたしの夢なんて遠すぎて、いつになっても叶えられそうにないよ。
――――ドッドッ
近づいて来ていたバイクの音が、わたしの直ぐ近くで聞こえる。
それは遠ざかっていくことなく、わたしの背後で鳴り続けていた。
わたしは反射的に視線をあげて、音のする方に目を向け、そこに居た人を捉える。
「えっ」
その女性はバイクを停車させると、わたしの方に歩いて来ていた。
ヘルメットを被ったままだからどんな人か分からず、わたしは焦る。
なっ、なんでわたしの方に来るの!?
「――――ねぇ、大丈夫?」
聴こえた声は、落ち着いた優しい声。
聞いた事ないのに安心する声色で、わたしの警戒心は形を顰める。
女性はわたしの視線で気付いたのか、ヘルメットを脱いで、その奥に隠されていた顔を晒した。
わたしは――息を呑んだ。
まるでその顔が妖精みたいに綺麗で、じゃない。
ぎこちない笑顔を浮かべてわたしを安心させようとしているから、でもない。
この人があまりにも、わたしの目指す理想像過ぎて、見惚れてしまったからだ。
わたしにだって、人並みに憧れるものがある。
アイドルや女優、人気アーティスト。みんなそれぞれ想いを馳せる物事があって、わたしもそれに漏れていない。
ただ、その対象が恐らくは一般の、普通の身分の人だっただけ。
わたしは突然現れた理想的な女性を前にして、緊張し過ぎてパニックになる。
「慌てなくていいから、落ち着いて。……もしかして、キャスターが壊れた感じ?」
「あっ、あの、はい! 実はそんな感じでして、ごめんなさい!」
「何で謝るの」
「いえすいません癖で」
なにその変な癖、ないよわたしにそんな変な癖。
反射的に謝ってしまうだけでなく、早口で気持ち悪い話し方まで披露してしまったことを後悔。
もうやだ……消えたい。
「ちょっと借りてもいい?」
「あっはい、どうぞ!」
キャリーケースを差し出して、わたしはこの人の横顔を眺めさせて貰う。
……まつ毛ながい。横顔のバランス良過ぎ。フェイスラインなんでそんな綺麗なの。あっ、こっちチラッて見た目の色綺麗。少しだけ緑色してる色素薄いんだなぁ。肌も白いし髪も……え、天使、天使なんでしょうか。綺麗なだけじゃなくて可愛さもある容姿は男の人なら絶対ほっとかないと思う。キャリーケースだって多分どうにかしようとしてくれてるんだから性格まで良い。なによそれ反則。もうわたしが男ならほっとかないというかほっとけない絶対にお嫁さんにしたい。歳上だろうけど養いたい貢ぎたい貢がせて欲しい。これが推しってやつなんだきっと。もうどうしよう変な欲求が止まらないしどうしちゃったのわたし!
「……ダメか」
その呟きで現実に引き戻されたわたしは、直ぐに申し訳ない気持ちで言葉を返す。
「あの、そんな、大丈夫ですから!」
「目的地は近いの?」
目的地と言われると口籠るしかない。
なんて言ったらいいの。変な嘘は吐きたくないし……いいや、正直に言おう。
「目的地は、目的地は、そうですね。何処でしょうね……」
決まってません、はい。
わたしの言葉の後に訝しげな表情で舐めるような視線を全身に受ける。
視線の主は当然目の前の人で、正直、そんなまじまじ見られると照れます。……あっ、やめて、汗とか凄いから!
「……もしかして、家出?」
「ぎくっ」
核心をつかれてそんな声が漏れてしまう。
態とらしく言ってみたのは、別に、隠す気がないから。
だって、こんな綺麗な人がわたしの心配をしてくれるかもしれないんだもん。そんな嬉しいことなんてないでしょ。
「キャスターはダメだし、タクシーでも拾って家に帰った方がいいと思うけど」
「それは! ……だ、ダメです」
当然の指摘。
でも、それは……やっぱり、嫌だ。
そう、嫌なんだ、帰りたくない。
改めて突きつけられる現実に、わたしは感情的になってしまう。
わたしを見るこの人は無表情で、ただこっちを見てた。
けど、突然、この人の声とは違う声が、わたしの耳に届く。
『家に連れて行けばいい』
中性的な声だった。
凄く近くから聴こえて来た声なのに、その声の主らしき人影はどこにもない。
一体何処から声が……。
「私の家に?」
『とりあえず休ませてやるべきだ。見たところ、かなり疲れているようだし』
…………え、うそ。
今、この人、バイクに向かって話を……いや、まさかね。
まさかそんな、バイクが話すなんてファンタジーな事、ある筈がない、よね?
『荷物をどうにかしろ。リアに載せているやつだ。私の後ろに乗せてやれ』
ああ……これ、喋ってるよ。
バイクが人みたいに普通に会話してる。
なんなのよ、何よこれ、こんなことあるの!?
「はぁ、もう、分かったって……ねぇ、私から提案があるんだけど」
「――――った」
「え、なに?」
わたしは目の前の出来事を処理出来なくなって、震える手でバイクを指差し、大きく息を吸い込んで――叫ぶ。
「バイクが――――バイクが喋ったああああ!?」
そんなわたしの大声が街中にこだました。
「うわぁ、美味しそう。あ、こっちも……いやダメ、ダメだよわたし。あんまりお金ないんだから」
強く言い聞かせてはみるものの、やっぱり、美味しそうで……。
「おばちゃん、肉まん一つ!」
食の誘惑に負けて、マイナス二百十円。
わたしの少ない貯金が更に少なくなってしまった。
「まあ、これからは気を付けよう、うん」
なんて言いつつ残りの財布の中身を見てみる。
残金一万八千円。
引っ越して来る前にやってたバイトで貯めた貯金も合わせれば、まだ余裕はある。
でも、いつまで家出することになる分からないし、ほんとにこれから気をつけなくちゃ。
「学校には通わないといけないから、お婆ちゃんの家に行くのもなぁ……どうしたもんか」
わたしはキャリーケースを引き摺りながら今後の方針を考える。
行き当たりばったり、なんの計画もない人生初の家出。念の為、一人暮らしの友達の家に暫く泊まって来ると、嘘の書き置きを残して来たから、一ヶ月は誤魔化せる筈。
その後は向こうから心配して帰って来て欲しいなんて、そう言って、もっとわたしを見てくれたのなら……帰ってあげてもいいかな。
それまでは悠々自適な生活をして過ごしてやるんだからね!
「っ、痛いと思ったら、この新しい靴合ってないよぉ、も~」
まだ少ししか歩いてないのに、踵は真っ赤になっていた。
しかも血が滲んで白い靴の布が赤く染まってしまっている。これじゃ売る事も出来ないし……はぁ、ついてない。
わたしはそのことは意識の外に追いやり、一旦無視をすることにして、再び歩き始める。
気にしなければ痛くない、大丈夫。大したことないんだから。
――――ガタッ
わたしの行く手を更に邪魔するように、引き摺っていたキャリーケースから不穏な音が聴こえて来た。
それと同時に、わたしの身体は突然重くなったそれが引き止めるような形で、後ろに引き戻される。
「え、なに、なんなの……」
キャリーケースを見て直ぐに、その異常に気が付く。
見た感じ、キャスターの一つがおかしくなってしまったらしい。
いくら手で動かそうとしても動かず、これじゃ、無理矢理引き摺っていくっていうのも、難しい。
家から出て一キロ弱。わたしの人生初の家出は終了。
…………なんて、そんなの、嫌だ。
「――もう帰りたくないよ」
わたしはその場に蹲る。
周囲の視線なんて気にせずに、膝をかかえて思う。
わたしの居場所なんて何処にもない。
あの家はわたしの家じゃない。
誰も、わたしの事なんてみてない。
「……お婆ちゃんのとこに行こっかな」
学校を辞めるか、留年覚悟で長期休みを取らせて貰うかして、田舎のお婆ちゃんの所に行く選択肢だってある。
でも、それは、お婆ちゃんに迷惑になっちゃうし、出来れば避けたい。
……やっぱり、わたし一人でどうにかしないと。
「はぁ、もう、散々だよ」
涙も出て来そうになって、情けない。
こんなんじゃわたしの夢なんて遠すぎて、いつになっても叶えられそうにないよ。
――――ドッドッ
近づいて来ていたバイクの音が、わたしの直ぐ近くで聞こえる。
それは遠ざかっていくことなく、わたしの背後で鳴り続けていた。
わたしは反射的に視線をあげて、音のする方に目を向け、そこに居た人を捉える。
「えっ」
その女性はバイクを停車させると、わたしの方に歩いて来ていた。
ヘルメットを被ったままだからどんな人か分からず、わたしは焦る。
なっ、なんでわたしの方に来るの!?
「――――ねぇ、大丈夫?」
聴こえた声は、落ち着いた優しい声。
聞いた事ないのに安心する声色で、わたしの警戒心は形を顰める。
女性はわたしの視線で気付いたのか、ヘルメットを脱いで、その奥に隠されていた顔を晒した。
わたしは――息を呑んだ。
まるでその顔が妖精みたいに綺麗で、じゃない。
ぎこちない笑顔を浮かべてわたしを安心させようとしているから、でもない。
この人があまりにも、わたしの目指す理想像過ぎて、見惚れてしまったからだ。
わたしにだって、人並みに憧れるものがある。
アイドルや女優、人気アーティスト。みんなそれぞれ想いを馳せる物事があって、わたしもそれに漏れていない。
ただ、その対象が恐らくは一般の、普通の身分の人だっただけ。
わたしは突然現れた理想的な女性を前にして、緊張し過ぎてパニックになる。
「慌てなくていいから、落ち着いて。……もしかして、キャスターが壊れた感じ?」
「あっ、あの、はい! 実はそんな感じでして、ごめんなさい!」
「何で謝るの」
「いえすいません癖で」
なにその変な癖、ないよわたしにそんな変な癖。
反射的に謝ってしまうだけでなく、早口で気持ち悪い話し方まで披露してしまったことを後悔。
もうやだ……消えたい。
「ちょっと借りてもいい?」
「あっはい、どうぞ!」
キャリーケースを差し出して、わたしはこの人の横顔を眺めさせて貰う。
……まつ毛ながい。横顔のバランス良過ぎ。フェイスラインなんでそんな綺麗なの。あっ、こっちチラッて見た目の色綺麗。少しだけ緑色してる色素薄いんだなぁ。肌も白いし髪も……え、天使、天使なんでしょうか。綺麗なだけじゃなくて可愛さもある容姿は男の人なら絶対ほっとかないと思う。キャリーケースだって多分どうにかしようとしてくれてるんだから性格まで良い。なによそれ反則。もうわたしが男ならほっとかないというかほっとけない絶対にお嫁さんにしたい。歳上だろうけど養いたい貢ぎたい貢がせて欲しい。これが推しってやつなんだきっと。もうどうしよう変な欲求が止まらないしどうしちゃったのわたし!
「……ダメか」
その呟きで現実に引き戻されたわたしは、直ぐに申し訳ない気持ちで言葉を返す。
「あの、そんな、大丈夫ですから!」
「目的地は近いの?」
目的地と言われると口籠るしかない。
なんて言ったらいいの。変な嘘は吐きたくないし……いいや、正直に言おう。
「目的地は、目的地は、そうですね。何処でしょうね……」
決まってません、はい。
わたしの言葉の後に訝しげな表情で舐めるような視線を全身に受ける。
視線の主は当然目の前の人で、正直、そんなまじまじ見られると照れます。……あっ、やめて、汗とか凄いから!
「……もしかして、家出?」
「ぎくっ」
核心をつかれてそんな声が漏れてしまう。
態とらしく言ってみたのは、別に、隠す気がないから。
だって、こんな綺麗な人がわたしの心配をしてくれるかもしれないんだもん。そんな嬉しいことなんてないでしょ。
「キャスターはダメだし、タクシーでも拾って家に帰った方がいいと思うけど」
「それは! ……だ、ダメです」
当然の指摘。
でも、それは……やっぱり、嫌だ。
そう、嫌なんだ、帰りたくない。
改めて突きつけられる現実に、わたしは感情的になってしまう。
わたしを見るこの人は無表情で、ただこっちを見てた。
けど、突然、この人の声とは違う声が、わたしの耳に届く。
『家に連れて行けばいい』
中性的な声だった。
凄く近くから聴こえて来た声なのに、その声の主らしき人影はどこにもない。
一体何処から声が……。
「私の家に?」
『とりあえず休ませてやるべきだ。見たところ、かなり疲れているようだし』
…………え、うそ。
今、この人、バイクに向かって話を……いや、まさかね。
まさかそんな、バイクが話すなんてファンタジーな事、ある筈がない、よね?
『荷物をどうにかしろ。リアに載せているやつだ。私の後ろに乗せてやれ』
ああ……これ、喋ってるよ。
バイクが人みたいに普通に会話してる。
なんなのよ、何よこれ、こんなことあるの!?
「はぁ、もう、分かったって……ねぇ、私から提案があるんだけど」
「――――った」
「え、なに?」
わたしは目の前の出来事を処理出来なくなって、震える手でバイクを指差し、大きく息を吸い込んで――叫ぶ。
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