琥珀色のソロル

木乃十平

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五話

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 肉まんは潰れ、台無しだった。
 余程肉まんを楽しみにしていたのだろう、ぎこちない笑みで智絵は彼女と向き合う。
 そして彼女は察しが良く、また、優しい性格であったらしい。
 ちょっと待っててと言ってコンビニへ入っていった彼女は、直ぐに何かを買って戻って来た。
 脇にお茶のペットボトルを挟んで、智絵が買ったものと同じプロテイン飲料と海苔巻きを右手に持ち、左手に持っていたものを智絵に差し出す。

「はい。私が驚かせた所為だから、お詫びに」
「えっ」

 両手を出して受け取った智絵は、肉まんと彼女の間で視線を彷徨わせた後、また深く頭を下げる。

「ありがとうございます!」
「大袈裟。今度は落とさないでよ」
「き、気を付けますっ」

 温かい肉まんを手に、智絵は上目遣い気味に彼女を見た。

「なに」
「いえっ、その」

 もじもじと、はっきりしない様子の智絵から視線を外し、彼女は荷物で一杯の自転車を見たまま、智絵に聞く。

「……一つ聞いてもいい?」
「はいっ、何でしょう」

 背筋を伸ばし、何を聞かれるのかそわそわする智絵。
 彼女は続ける。

「これから、何処に行く気なの」

 ――――え

 それは智絵が現実を思い出すのに十分な一言で、表情は固く、険しいものに変わる。
 何も答えられず、口を開くことが出来ない。
 当然だ。
 今の自分に、行く当てなどないのだから。

「……あの荷物、学校に沢山置き勉でもしていたの? 見た感じ、高校生くらいでしょ。前のクラスか学校に置き忘れでもした?」

 智絵は都合の良い言葉に乗っかってしまおうと、首を縦に振ろうとした。
 だが、彼女の言葉は続く。

「まあ、そんな訳ない。それにこの時間、もう夜の二十一時になる。そんな時間まで自転車で走り続けるなんて可笑しい。一時間前にあんたが居た場所から随分距離もあるし、学校帰りという訳でもないでしょ。それなら大体、答えは絞られる」

 どんどん逃げ道は無くされてしまい、誤魔化すのに適切な言葉もない。
 智絵はおろおろと、あからさまな態度を示す。
 彼女はそんな様子を見てふっと笑う。

「これから夕御飯でしょ?」
「はい……そんな感じです」
「それだったらまだ帰る気がない、それか、帰れない。つまりあんたは家出少女。それで合ってる?」

 びくっと跳ねた智絵の肩。
 その反応からして当たりだと見当のついた彼女は、何でそんな事してるのかと。そう聞くことはなかった。

「大変そうだけど、頑張れ」

 寧ろ、そんな励ましと肯定とも取れる言葉を投げ掛ける。
 智絵はまさか、そんな事を言われるとは思っておらず素直に驚いて、彼女の顔を凝視した。

「なに。変な事言った、私」
「い、いや。普通、馬鹿な事辞めて家に帰れとか……てっきりそんな事を言われるものと」
「何で私がそんな事言わないといけないの」

 私に口を出す権利なんて無いんだからと、更に彼女は話す。

「けどまあ、他の人がそう言うなら、私くらい別の事を言ってもいいでしょ」

 変わらなかった彼女の表情が、少しだけ智絵には、悪戯をする時の子供の様に見えた。それが可笑しくて、思わずぷっと、吹き出してしまう。

「なに、何か可笑しかった?」
「いや何だか、かっこいいなって」
「……揶揄ってるの?」

 暗くて良く見えないが、彼女の頬がほんのり赤く色付い気がした。
 そっぽを向いた仕草と相まって、智絵は胸の奥がきゅっと締め付けられるような錯覚に陥る。

「それじゃ、無理しない程度に頑張れ」

 後ろ手に手を振って立ち去ろうとする彼女。
 その後ろ姿を見て、智絵は無意識の内に手を伸ばし、彼女の上着の裾を掴む。

「あの、一つ教えて下さいっ!」

 智絵は真剣な様子で彼女を引き留めた。
 勇気を振り絞って、智絵は向き合う。

「なにを教えればいいの」

 智絵の様子に冷静に返した彼女は、真っ直ぐ智絵を見る。
 さあっと吹いた冷たい風が、彼女の脱色されたオレンジ色の長髪を揺らす。
 髪を掻き上げて耳に掛ける彼女の仕草が、妙に艶めかしくて智絵は見惚れてしまう。

「ねえ、聞いてる?」
「あっ、はい! ええと、ですね……その、名前、を」
「ん、何だって?」
「――名前を、教えて下さい!」
 
 智絵の言葉に対して、彼女は何度か大きく瞬きをしてから、微笑んで答えた。

「木上心白。そっちは?」
「あたしは、篠原です、篠原智絵ですっ」
「……篠原、智絵。智絵ね」

 心白は良い名前ねと呟いてから、態とらしい仕草でうーんと、深く唸った。
 智絵は何事かと心配になって尋ねる。

「どうかしました?」
「いや……名前まで知った相手をこのまま放って行くのも何となく、気分が良くないなって。一応聞くけど、智絵はこれからどうするつもり?」
「それは……」

 言い淀む智絵の様子に、事を察した心白は溜め息を溢す。

「やっぱりそうか」
「いやっ、どうにかするので、大丈――」
「うちに来なよ」
「えっ」
「だから、うちに来なって」
 
 智絵は呆然と立ち尽くす。
 口も半開き、目は何も無い空間に焦点が合い動かない。
 心白が智絵の眼前で手を振って反応を伺うが、やはり反応はないようだった。

「…………ハッ!」
「あ、戻って来た。どうする、うちに来る?」

 流石に思考が追いつかない。
 いきなり、会ったばかりの知人に過ぎない自分を何故家に泊めてくれると言うのか。幾ら高校一年になったばかりの子供とはいえ、それが可笑しい事くらい分かる。だから、訳が分からない。
 けれど、これは渡に船だ。
 藁にもすがる思いである智絵は、その申し出を現状から、よく吟味し考える。
 そうして智絵は迷った末に、決心した面持ちで心白に言った。

「行きます、連れてって下さい!」
「分かった、それじゃ親には上手い事言っておきなよ。その辺は任せるから」
「あ、でもっ、何かあった時に迷惑になるんじゃ……」
「あー、まあ、そん時はそん時。多分、大丈夫だと思うけど」

 そう言って歩いて行く心白。
 その自信ある発言の根拠も分からなかったが、智絵は置いて行かれないように、自転車を転がして後について行く。

「うちは此処から近いから、直ぐ着くよ」
「は、はい」
「あと、私以外の人に誘われてもついて行ったらダメだから。特に男相手だったら気を付けて。あんたちょっと危い感じする」
「そっそんな、ほいほいついてったりしないです!」
「どーだろーね、説得力ないよね」

 頬を膨らませむくれた様子を見せる智絵は、手にしていた肉まんの封を開けて食べ始めた。
 それを目にした智絵が、一口くれと強請る。

「泊まてあげるんだから、対価は貰わないとでしょ」

 そうして、もぐっと。
 肉まんを一口奪われた智絵は、あっと小さく残念そうな声を出す。
 その反応がお気に召したのか。心白はにやっと笑って、更に一口食べようとしたが、肉まんを智絵が避難させた事で食い逃してしまう。
 
「あー、残念」
「むぅ……」
「ごめんごめん、そんな剥れないで」

 二人はそんなやり取りをして、道の街灯の下を歩いて行く。
 その二つの後ろ姿はとても良く似ていた。
 行く場所を失ってしまった寂しそうな雰囲気が、二人で居る今は、感じられない。

 二人の進む先の空には、青白い淡い光を降らせる兎の住処が、嬉しそうに笑う口元みたく弧を描いて、浮かんでいるのであった。
 
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