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第一章
33/私、そんな次元で生きていないので
しおりを挟む開いた窓から、風と共に流れ込んでくる野球部の掛け声と、吹奏楽部の音色。
その音に運ばれてくる、金木犀の秋の香り。
兵隊のように規則正しく並んだ、机と椅子の間の人気はまばら。
夕暮れの風景を、窓から眺めながら「帰ろうぜ」と「行きましょう」の声を待って、待ちぼうけ。
もう、いつものあの日常は、帰らないのだと遠い目で、部活動の風景を眺めていた。
「静かになっちまったな……」
無意識に呟いた独り言は、親友のどちらをも失ったわけでもないのに、何の気持ちを代弁したのかもわからない、奇妙なものだった。
教室のドアが勢いよく、ガラガラ──ドンッ! と音を響かせ開いた。
さながら力漢が、入ってきたのかを思わせるドアの軋みっぷりに、思わずビクンッと体が反応する。
「國枝っち!」
──静かなのは、気のせいであった。
スーパーギャルの鈴蘭渚が、ドアの反響を表現するかのように、巨乳を揺らす。
──ポヨン、ポヨン、ポヨン……。
鈴蘭が、見慣れない女子生徒を引き連れこちらへ向かってくる
──ポヨン、ポヨン、ポヨン。
「國枝っちッてば!」
アニメの世界のような、青い目の美しい顔立ちが、勢いよく眼前に迫ってきた。
「な、なんだよ」
思いの外、凄まじい勢いに仰反り、視線を胸元に向ける。かつて偽物ではあったけども、あの一揉みした感触を今では、思い出せない事が悔やまれる。
「ちょっと相談に乗って欲しいんだけど!」
と、迫る鈴蘭の背後に「どうも」とお辞儀をする女子生徒がいた。
──この子は確か……。
「E組の……」
「望月です」
金剛くんと同じクラス、二年E組の学級院長。
望月 夢見
──多分Bカップ。
紫がかった夜の黒色、ショートヘアでキリッとした、気の強そう精悍な顔立ち。
それもそのはずで、全国大会優勝の実力を持つ空手女子だ。
引き締まったスレンダーのスポーツマン体型は、どことなくセクシーな色気を漂わせている。
「お、おう」
また何か、ありそうな予感……。
授業はとっくに終わっていると言うのに、俺たちは机を合わせてガン首を並べた。
「それで?」
「話すのは初めてね、國枝くん」
望月は丁寧に頭を下げて、鞄を机の上に置く。
「國枝っちでいいよ!」
──お前が言うなよ……。
横から口出す鈴蘭に思わず、心の中で突っ込みを入れた。
「んで、相談ってなんだよ。俺この後バイトの面接あってさ、あんまり長居できねーんだけど」
「あれ? バイトするの? なんの?」
「なんだっていいだろう」
鈴蘭に人形屋なんて言ったら、百パーセント「ウケる~、ちょちょ切れるんですけど~」とか言って胸を揺らして、爆笑確定だ。
「絶対、教えない。O・SI・E・NA・I」
「いいもん、いいもん。千鶴っちに聞いちゃうも~ん。ブーブー」
口を尖らし、不貞腐れた巨乳少女。
「國枝くん、幽霊とか妖怪とか、詳しいって聞いて……」
望月が、真っ直ぐな瞳で見つめてくる。
そのキャラとしては、程遠いフレーズだった。
──嫌な予感しかしねぇー。
「別に詳しくねーよ」
「でも、見えたりするんでしょ?」
「お前こそ、怪異とか信じてるのか?」
「いや、全然。私、そんな次元で生きていないから」
──じゃあ、なんで来たんだよ……。
また変な奴が増えた。
「相談は他でもない、その幽霊絡みなんだけどね」
「ん、あぁ……」
対応に困って、助けを求める視線で鈴蘭に視線を向ける。
「どったの?」
重い胸と同じくらい鈍い、鈍感少女に深いため息を返し、話を続けた。
「そもそも、そう言った分野のスペシャリストは、その席の主、赤羽紅音なんだけどな」
彼女は、座っている机に視線を落とす。
「最近来ていないみたいだけど、何かあったの?」
「ん、あぁ……、よくわからない」
望月の質問に答える術がなく、なんとも言えない回答しか返せなかった。
「私には、三個下の妹がいるのだけど」
──千鶴と同じ。
「最近、栗八佐和ダムに行ってからおかしいの……」
「栗八佐和ダム?」
聞いた事のない名称に首を捻る。
その姿を見た二人が、怪訝そうな顔をした。
「え、國枝っち知らないの?」
「全然」
望月と鈴蘭が、顔を見合わせた。
「渚……、國枝くんはスペシャリストだって言ってなかったっけ?」
──何を言ってんだこいつら……。さては鈴蘭、なんか変なことを吹き込んだな。
軽蔑する白い目を突き刺さすように、鈴蘭に向けた。
「フュー……フュー」
唇を尖らせ、鳴らない口笛を吹いて、誤魔化すスーパーギャル、ただの息漏れだ。
IQ157のスーパー頭脳を持ってしても、この空気を一変する事は不可能らしい。
そもそも俺は、メリーと出会うまで怪異と言うものを信じてもいないし、見た事がなかった。
ヤンキーといえば肝試し、と言うイメージがあるが、連んでいるヤンキーが、力漢に金剛くん、菱形三兄弟と、心霊や都市伝説なんかとは無縁の、喧嘩三昧の奴らしかいない。
鈴蘭は多分、首無しライダーの制約論を聞いて、スペシャリストとか誤解をしたようだが、そもそもあれを切り抜けたのは、鈴蘭自身の知恵に他ならない。
「まぁ、とりあえず話を聞かせてくれ」
「う、うん……」
そう言って、望月は重い口を開いた。
◇◇◇◇◇◇
──あれは、二週間。
私は妹の音話と、ホラー番組を見ていたの。
私は怪異とか、そう言った物を一切信じていなかったのよ。
ほら、私もそういった物より、空手とか武道の鍛錬を積んでいるじゃない?
そう言ったものって、心の弱いものだけの幻覚だと思うのよ。私、そんな次元で生きてないし。
「そうだ。ねぇ、姉姉栗八佐和ダムって、超有名スポットじゃん? 家から近いし、ちょっと行かない?」
音話は怖がりのくせに、そう言うものが大好きだった。私は逆に一切怖くないから、妹の探索によく付き合わされていたの。
それでも一度たりとも、霊障なんて物に遭遇した事はなかったわ。
せいぜいオーブ? とか言う、ほこりが写真に映ったくらいかな。
──栗八佐和ダムに来るまでは……。
その日は、土曜日の午前中だった。
怖くないとはいえ、夜遅くに姉妹二人だけで心霊スポットに行くのは、流石に気が引けたわ。
ほら、犯罪に巻き込まれる可能性もあるじゃない?
時間は、十一時過ぎくらいの雲一つない青空だった。
栗八佐和ダムは、雑誌やネットにも載っている有名な心霊スポットでね。私の家から自転車で、三十分くらいの場所なの。
ダムと言うには小さくて、どちらかといえば大きな湖って規模ね。
でも、普通に釣りスポットでもあって、釣り人がいつもいるような穏やかな場所なのよ。
──自殺者が多いって事、以外は、ね。
どうして、今まで行かなかったのかって?
それは、あれよ……。
観光地の地元住民が観光地には、行かないでしょ? それと同じで、ご近所すぎて行く気にもならなかったのよね。
そもそも、私はそんな次元で生きていないし。
じゃあ、なんでいきなり行く事になったのかって?
それが私にもわからないの。
普段なら行くはずもない場所なのにね。
何故か、突然行かなきゃって、使命感に駆られてね。
不思議なのは、それだけじゃなかった。
──その日に限って、釣り日和にも関わらず、釣り人どころか、私達以外に人は、一人もいなかったの。
栗八佐和ダムは思っていたより、のどかな場所だったわ。
小さな屋根付きのベンチがあってね。
そこから見る景色は、とても美しくて、身投げが相次ぐような場所には思えなかった。
だけれど、腰の高さくらいの柵が、満遍なく施されていた。それもかなり新しい感じのよ。
きっと、相次ぐ自殺防止に後付けされた柵なんだと思うよりなかったわ。
私達はベンチに腰かけて、しばらく他愛のない世間話をしたわ。内心拍子抜けしていたの。
そんな風に話していると、突然──、
「ごめんなさい……」
と、耳元でボソボソ聞こえた気がしたの。
誰か来たのかなと思って、振り返るとやっぱり誰もいなくて……。
その時は、気のせいかなと思ったのだけど。
また少し時間が経って。
「ごめんなさい」
と、聞こえたの。
振り返ってもやっぱり誰もいなくて。
二回目だから、流石に少し違和感を感じたわ。
それでもやっぱり、どこか気のせいかなと思うようにして、音話に視線を戻したの。
──その時の音話は、雰囲気が別人のようになっていた。
髪の毛はダラリと垂れ下がり、表情が見えなかった。さっきまで、キャピキャピしていたのに、急に俯いて……。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
と、念仏のようにブツブツ言い出したの。
ゾッとしたわ。妹が妹じゃなかったのだもの。
「お、音話?」
私の問いかけなんて、微塵も聞いていないみたいに、音話の姿をしたソレは、ずっとごめんなさいと唱えるの。
怖くなったわ……。
どうしていいかわからなかった。
でも、妹だけは守らなきゃッて、強い気持ちでいたの。
──そうだ!
私はクラスの友達のお土産でもらった、水晶のブレスレットを身につけていた。あの有名なお伊瀬神宮から買ってきてもらった魔除けのお守りよ。
私はそのブレスレットを握りしめて、音話の手をぎゅっと掴んだの。
そうしたら音話は、ごめんなさいと言うのをやめて、ピタリと静止した。
ホッとした。
はじめて遭遇した怪異体験だったから、凄く怖かった。
そしたらね。
スーと顔を寄せてきて、私の耳の側でピタッと動かなくなって。
バンッ──パラパラ──。
突然、水晶が音をたてて弾けたの。
四方八方に水晶玉が、バウンドして転がって行った。
青ざめた表情の、私の耳元で音話が
「ソンナノ、キカナイヨ」
と耳元で囁いた。
口元の口角が、クッと上がったのが横目で見えた。
全身から鳥肌が、ヴァ──と逆立ったわ。
これ程、怖いと思った事がなかったかもしれない。
唖然と固まった私を尻目に、そいつはフワッと立ち上がった。怖くて視線を音話の足元に向けた。
突然、音話は走り出した。
──ダムに向かって。
何が起きたのか、すぐに理解した。
でも怖くて、体が動けなかったわ。
「お、音話ッ」
振り返り声を上げた。
ダムに向かって、一直線に、見た事もない走り方で向かって行くの……。肩を上下に揺らして、まるで片足が動かないように引きずって走るの……。
──その得体の知れない動きが、また一段と怖かった。
「動いて、動いて、動いてッ!」
私は、震える足を必死で叩いて、立ち上がった。
足の速さには、自信があったわ。
音話は柵に片足をかけていて、今にも飛び込む寸前のところだった。
ギリギリで間に合った……。
音話は気を失っていたわ。
私は急いで妹をおんぶして立ち去った。
──それから、毎晩。音話は、夜中に「ごめんなさい」と念仏を唱えながら家を飛び出そうとするの。
◇◇◇◇◇◇
──こ、怖ぇ……。
話を聞いた俺は、どうするべきか判断できなかった。
無論、選択肢は蘆屋への相談一択だ。
しかし、どう言うべきか……。
自分の目で見て、判断しなきゃならないとも思った。
そしてその場所の、謂れなどの調査も必要かとも思う。
「少し時間をくれるか?」
毎晩霊障が起きているのに、時間に余裕はないけれど……。制約も、正体もわからない怪異に対して、素人である俺が、手を出すのも危険でしかない。
「色々、調べてみるよ。とりあえずまた連絡する。俺の連絡先は鈴蘭から聞いておいてくれ」
一旦時間をもらい、俺は面接に向かう事にした。
別れ際の望月の背中は、武道家とは思えない程に小さくなっていた。
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