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第一章

29/赤い人

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  七月二十二日
  今日は織姫おりひめから、とっても嬉しい話を聞いたの。
  國枝くんが私のことを……。
  明日から何の話をしようかしら?
  照れてしまって顔見れるかな?
 
  八月十八日
  最近、お母さんが夜中に一人で泣いているの。
  お父さんが帰らない事が多くなったから?
 
  九月四日
  私が寝たあと、毎晩口論が聞こえて来る。
  お母さんのヒステリックな悲鳴に目が覚める。
  こんなの嫌よ。
  織姫に相談しようかな。
 
  九月五日
  織姫に相談しようとしたのだけども、
  逆に相談されてしまって言い出せなかったの。
  織姫も大変ね。
  とても相談なんかできる状態じゃないもの。
  幸せって何なのかな?
 
  十一月十三日
  今日はとってもビックリしたの。
  お母さんから凄い話を聞きました。
  私がお腹の中にいたときは、双子だったらしいの。
  バニシングツイン? って言うらしいわ。
  いつの間にか二人が一人になる現象。
  私の運動神経は、きっともう一人の姉妹が与えてくれたプレゼントだったのね。
 
 十二月二十四日
 とうとうお父さんが出て行ってしまったわ。
 愛人の元へ行ってしまった。
 お母さんは、げっそりとしてしまった……。
 私にはサンタさんは来ないみたいね。

 一月二十五日
 お部屋のお掃除をしていたら、おばあちゃんが私の産まれた頃に買ってくれた雛人形が出てきたの。
 懐かしい……。小学生まで飾ってあった雛人形。
 あの頃は幸せだったな。

 二月一日
 お母さんがどんどん弱って行く……。
 見ていられない。

 二月十五日
 今日はお母さんが帰ってこなかった。
 どうしたのだろう?

 二月十六日
 お母さんは今日も帰らなかった。
 
 三月四日
 久しぶりにお母さんが帰ってきた。
 知らない男の人と一緒だった。

 四月一日
 たまに、自分の顔が自分じゃないように見える時があるの……。きっと疲れているのね。

 四月二十日
 怖いの……。私……、最近記憶がごっそり抜け落ちている事があるの……。
 目が覚めると、決まって真っ赤なワンピースを着ている……。どうしちゃったのかな?
 
 五月一〇日
 おばあちゃんに貰った雛人形の髪の毛が左右バラバラになっているの。心霊現象かしら?

 六月一日
 昨日の夜中、お母さんの男に襲われたわ……。
 ●●、●●、●ね、●ね、●●、●●、●●、●●、●●、●●、●●、●●、●●、●●、●●、●●、●●、●●、●ね……。

 六月二日
 あの男が精神崩壊を起こして狂っていました。
 ざまぁです。●●。

 六月二〇日
 とうとうお母さんが蒸発してしまった。
 私は一人……、母にも見捨てられ、私は一人。
 雛人形から声が聞こえてくるの、もう私はこの人形があればいい。彼女ならどこにも行かないもの。
 明日から叔父さんの家にお世話になるの。
 このお家ともお別れね……。

 七月一日
 叔父さんは裕福の家庭です。なんでも買ってもらえる。たくさんの書物を買っていただきました。

 七月十四日
 結局、男ってみんなそうなんですかね?
 ●●、●●、●●、●●、●●。
  
 七月二十二日
 今度は叔父さんが狂っていました。
 私には、私の中にいるかもしれない姉妹を感じるの。
 きっと、彼女が私を助けてくれたのに違いのです。
 雛人形に宿っているものは、きっと私の姉妹。
 私たちは今度こそ一つになるのだわ。
 
 ◇◇◇◇◇◇

 ──嘘だ!

 嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ。

 階段につまずき派手に転んだ。
 顔面を打ちつけ鼻血が噴き出る。

「痛ッ──」

 鼻を押さえて起きあがろうと手をつく──ギィィィ──と錆びたドアが開く音が鳴る。

 ──あいつだ!
「う、うあぁぁぁ──!!」
 
 俺は叫び声を上げた。

 ガチャン──、ガチャン──、ガチャ──。

 いたる部屋から鍵が閉まる音が聞こえた。
 その瞬間、このマンションでは誰も助けてくれない事を悟った。

『フン~、フン~フン~』

 赤い人は鼻歌を歌いドアから出てくる。
 手には、例の包丁でなくスマホを握っていた。

 ──包丁じゃない?
 そ、それより本当に赤羽なのか!?

「あ、赤羽……、お、お前は……」

 震えた声で話かけるが、赤い人は無言でこちらをペタリ、ペタリ──と足音を立て近づいてくる。

『アハッ、アハッ……アハッ!』

 肩を揺らしながら、真っ赤なワンピースをヒラヒラなびかせ、狂ったような笑いを浮かべている。
 長い髪でおおわれた顔が不気味さを増幅させる。

『アハハハハハ────ッ!』

 徐々に大きな高笑いに変わり、赤羽は走りだした。

「うわぁぁぁぁ──ッ!」

 俺は交渉を断念し、全力で逃げ出した。
 膝が笑ってしまい、思うように走れない。

 ペタッ、ペタッ、ペタッ、ペタッ、ペタッ──
 と素足が這う音が小刻みに聞こえる。

 段数を飛ばし、六階に飛び降りた。
 撹乱のために西側から東側へ移り、廊下を走り抜けようと踊り出た。

『アハハハハハ──ッ!』
「うわッ!?」

 俺の後を走っていたはずの赤羽が、通路で待ち構えていたかのように立ち塞がる。

 ──どうなってるッ!?

 東側に移るのを諦め、そのまま下の階へ走り抜けた。
 後ろからペタリペタリと足音がついて回る。
 
 ──足音を後ろから聞こえる。
 なのに……。
 なのに……。
 
 各階に赤い人は立ち塞がっていた。
 まるで何人もいるかのように……。

「うわぁぁぁ────ッ!」
『アハッ、アハッ、アハハハハハ──!!』

 赤い人の笑い声が漆黒の空に響いていた。
 
 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
 ──こんなの嫌だッ!
 
 鼻メガネの理由
 あの日語らった言葉
 
【私たち人間とは、もっとずっと曖昧の集合体で形成されているものよ】
 
 その一つ一つが頭の中で点と点を結んでいく。
 お前は、その狭間で生きていたのか?

 ──嫌だ……、嫌だ。

 ドカンッ──転がり落ちてマンションのポストに激突した。
 俺たちの日常が、思い出が、音を立ててガレキのように崩壊する音がした。
 
 目頭がカッと熱くなる。
 頬を一滴の涙が流れた。
 マンションの入り口にたどり着いた。
 そこに赤い人の姿はない。

 呼吸を吸うのがやっとのくらい、肺がパンパンで酸欠。
 入り口からマンションを囲む雑木林に飛び込む。
 必死に呼吸を整える。
 あまり大きく吸い込むと感づかれてしまう。
 だから押し殺し、小さく、小さく、感づかれないように……。

『國枝く~ん、どこかな~?』

 ザッザッと雑木林を歩き回る音が聞こえる。

 ──俺を探してる……。

『フン~フン~フンフンフ~ン』

 鼻歌を歌いながら辺りを歩き回る。
 赤い人が不意に立ち止まる。

 ──どうした?

 息を殺して、茂みから様子を伺う。
 赤い人はスマホを取り出していじり始めた。
 その瞬間、背筋が凍りついた。
 赤い人が何かをしようとしている事に気づいて、自分の胸に手を当てた。

 トゥルルル────胸ポケットから着信が鳴り響いた。

 ──しまった!? だからスマホを持っていたのか!?

『見ぃ~つけたぁ~』

 ゆっくりと赤い人が振り返る。

 ──くそッ!

 すかさず立ち上がり、走しろうとした刹那

 キィィィ──ン──
 
 と酷い耳鳴りが鳴り、俺は前のめり倒れこむ。
 ザッザッとゆっくり足音が忍び寄る。
 
「あ……ぁ……ぁ……」
 
 声がでない。振り返り後ずさる。

 ──か、金縛り……。

『アハハハハハッ──!』

 赤い人は高笑いをあげて近づいてくる。

 ──俺は……何から逃げていたんだ?

 思えばあいつは赤羽じゃないか。
 俺が好きだった初恋の女だ。
 なんで俺は逃げているんだ?

【赤い人の顔を認知したら、狂っちゃうんだって】

 鈴蘭の言葉を思い出す。
 この受け入れられない現実を忘れられるのなら、それもいいかもしれない。
 心の中で諦めがささやく。
 俺自身もそれを望んでいる気がした。

 ──お前なら……、
 お前に壊されるのなら……、
 それもいいかもしれない。

 脳裏に焼き付いた、春馬が天井を見上げている後ろ姿がよぎった。

 真っ赤のワンピースが目の前に立ちはだかる。
 体が動かない。
 目も閉じれない。
 指一つ動かない状態。
 眼球だけが、赤い人に目が吸い込まれいく。

 ──お前は、どんな顔をしていたんだっけ?
 最後にその顔を見せてくれよ……。

 長い髪に覆われた赤い人の顔が、徐々に近づいてくる。

 ──あぁ……終わった……。

 そう心の中で呟いた瞬間。
 
 トゥルルルルル────

 赤羽の携帯から着信音が鳴り響く。
 落ち葉の上にドサッとスマホが落ちた。
 一瞬、時間が止まったかのように赤羽は静止した。
 
 首を画面に傾け見下ろしている。
 髪の隙間から血走った片目だけが覗く。
 
 俺の視線も赤羽の視線の先に降ろした。
 そのスマホから【】の文字が青白く浮かび上がっている。

 ザッ──ザッ────ザザザッ──

 触れてもいないスマホが突然スピーカーモードになり、砂嵐を鳴らす。

『──私メリー、今あなたの後ろにいるの』

 聞き覚えのある声が静かに淡々と流れた。
 赤羽は後ろを振り向く。

『制約……、成立ね』

 視線の先には、見覚えのある西洋人形が立っていた。
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