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第一章
09/手に残る甘い感触
しおりを挟む「おいッ! どこにいるッ!?」
状況を理解し、緊張感が雪崩のように迫る。
「……の……ッよ」
途切れ途切れに会話が横断する。
「お、おいッ! 鈴蘭ッ! 鈴蘭ッ!」
自分の声が届いているのかもわからない。
電話の向こう側からゴォォォォーと電車の通過する音で鈴蘭の言葉が遮断される。
そして電話は──プツリと切れた。
──何か事件に巻き込まれたに違いねぇ。
どこにいる!?
鈴蘭ッ! 電話に出ろ!
焦りスマホが手から滑り落ちる。
動揺が隠せない。携帯を拾いあげ、再び掛け直す。
『お客様のおかけになった電話番号は、現在電波の届かないところにあるか、電源が入っていないためかかりません──』
何度、掛け直しても繋がらない。
胸騒ぎで止まらない貧乏ゆすりが、床を軋ませる。
「くそッ!」
叫びながら立ち上がる。
「どうかしたかにゃ?」
いったんが、ただならない気配を察知し問いかけてくる。
──今はこいつにかまっている暇はない。
鈴蘭ッ──無事でいてくれッ!
俺はいったんに何も告げず、急いで家を飛び出した。
Vストロームに跨り、フルスロットルで鈴蘭の家方面に向かった。
何度かあいつの家に送り届けた事がある。
ここから飛ばせば20分くらいだ。
車の間と間をすり抜けて行く──、
Vストローム250の独特なハンドルの痺れ指先を振動した。
夏なのにヒヤリと冷たく感じる風が、ヘルメットの隙間から吹き抜ける。
車のミラーをスレスレで交わす。
重心を左右に促す──、
蛇行運転で次々と前の車両を追い抜いていった。
闇に浮かぶ信号の黄色の灯が、赤へと移り変わった。
──赤信号!? 止まってらんねぇ──!
迷いなく信号を突っ切った。
クラクションを何度も鳴らされて、「危ねぇーだろ!」と怒鳴り声をも無視し、ギアを一段も落とす事なく走り去った。
バイクのモニターで時間を確認する。
ここまで十五分、鈴蘭の家の前にたどり着いた。
十一階建てのマンション。
五階の五〇五号室。
鈴蘭はお嬢様だからこんな場所で、優雅な一人暮らしをしている。
──闇雲に家に来たが……。
マンションにはそもそもセキリュティがあって、部屋まで行くには本人のアポが必要だ……。
そして本人は、外で連絡が付かなくなった。
もう一度電話をかけた。
『お客様のおかけになった──』
例の例文が繰り返され、ピッと切る。
──どうする? 考えろ……。
頭の中のぐしゃぐしゃをかき分け、情報の整理をする。
電車の音
車が通るところ
尚且つ、人通りが少ない
足りない頭をフル回転させて、点と点を繋げていく。
──高架下かッ!
再びエンジンキーを回して走り出した。
ここから五分で宇都宮駅、それより少し南に行けば人通りの少ない高架下。あそこなら犯罪の犯行があってもおかしくない。忙いで予測地へ向かう。
だいたいの位置は掴めた。
しかしピンポイントでたどり着く事は困難だ。
──しらみつぶしに一軒一軒、調べるか?
無理だ……。そんな余裕はない。
頼む……、無事でいてくれ!
藁にもすがる思いで祈る。
時刻は夜一〇時を過ぎている。
平日のこの時間で、この付近はもっとも人通りが少ない。辺りを闇雲に走り回る。
──当てもなく走り回るだけじゃダメだ……。
くそ、力が及ばないか?
とりあえず警察に電話を────ん?
空き缶ッ!?
諦めかけた時──、道路の真ん中に不自然に空き缶が転がっているのを見つける。
電話越しに耳にした蹴り飛ばしたような〝カンッ──カランカラン〟と言う音を思い出した。
俺はすぐさまバイクを降り、その空き缶の場所から周囲を眺めた。
──ここに蹴り飛ばされそうな場所。
人が一人通れそうなギリギリの裏路地を見つけた。
あそこの端に置いてあったとして、
そこから蹴っ飛ばして──、
ここに転がったのなら……。
頭の中で、空き缶が転がったイメージを膨らませて想像してみる。
──反対側の裏路地か? 行ってみるか……。
俺はバイクを置き去りにし、走ってその路地を進んだ。
わずかな月明かりに照らされて、自分の荒い呼吸と、ポケットの中の鍵が──チャッ、チャと擦れる音が闇を漂う。
前方に小さな空き地が見えた。
そこに女性の人影が浮び上がる。
お団子ヘアで学新学院の制服。
更に加速し、全力疾走で向かう。
──鈴蘭だ!
「鈴蘭ッ!」
大きな声で叫んだ。
振り向いた女は──鈴蘭 渚だった。
俺は彼女の両肩を掴み、息切れをしながら
「無事かッ!? 大丈夫かッ!?」
と妹を問いただすように叫ぶ。
「アハッ、まじで来てくれたんだ~。30分で辿り着いたねぇ~。さっすが國枝っち。でもここがよくわかったねー」
当の本人はあっけらかんとしている。
──はぁ?
息切れをしながら、訳がわからず困惑する。
「ごッめーん! 友達とさ。誰かピンチの時に駆けつけくれる王子様がいる、いないの話になっちゃってさー」
鈴蘭は申し訳なさそうに、上目遣いで俺を見つめ言葉を続ける。
「そんで國枝っちか、力漢なら来てくれるって思ってさ~」
──イタズラだとッ!?
「はぁ? ふざけんなよッ! どんだけ心配したと思ってんだよ。妹だったら引っ叩いてんぞコラッ!」
頭にきて声を荒げた。
「ごめんて、本当に来てくれるなんて思ってなかったんよぉ~、明日の昼飯奢るから勘弁して?」
両手を合わせながら、舌を出して言った。
──テヘッじゃねーよ。ふざけてんのか!?
必死で探し回った俺が馬鹿じゃねーか。
俺の見幕にクソギャルの焦りの表情が見て取れる。さすがに悪いと感じたらしい。
鈴蘭は申し訳なさそうに弁解をしている。
「ぜってぇ~、許さねー!!」
可愛く言ったところで、怒りが収まらない。
「ん──、わかった! 片乳一回、揉んでいいから許してって~」
──片──乳──ッ!、
「わかった。汝を許そう」
呆気なく俺は提案にのった……。
◇◇◇◇◇◇
次の日の朝。
俺は徒歩で登校をしていた。
昨日の一件でガソリンの残量が少なかった。
鈴蘭の意味不明なイタズラに振り回されて疲れと眠気を引きずっている。
──だりぃな。今日、サボっかな~。
つーか、鈴蘭まじなんなんだし。
けど……、柔らかかったな……。
頭の中で昨夜の感触を思い出しながら、自販機で缶コーヒーを買おうとしていた。
「おっ、國枝じゃーん」
振り返えると五厘頭の男が立っていた。
趣味の悪いアロハシャツに真っ白なズボン、
先が尖った蛇柄の革靴、
金のネックレスとティアドロップのサングラス、
如何にも反社会的な、そっちの道の人だ。
「久しぶりじゃーん」
男は、しゃがれた耳障りなハスキーボイスで近づいてくる。俺はその顔を知っていた。
男の名前は、竹内 春馬。
力漢の十個上の兄だ。
──嫌な奴に会っちまったぜ……。
今日は厄日か? 東京でチンピラしてたんじゃなかったか?
「うっす」
俺は挨拶を返す。
春馬が嫌いだった。
力漢と違ってこの男の性根は腐っている。
定職にも就かず、借金まみれで、その道の下っ端をやっている。
上納金も払えず、その辺のガキや自分の親に手を出して金を巻き上げているクソ野郎だ。
力漢はこの男から家族を守るために強くなった。
歳こそ一〇も離れているが、腕っぷしなら力漢のが上だ。
「國枝~、ちっと煙草代貸せよ。500円くらいあんだろ?」
春馬は馴れ馴れしく俺の肩を組み、引き寄せる。
──クソが。
「なぁ、わかってんだろ?」
半ば恐喝まがいな脅しで無心する。口からツーンとしたシンナーの匂いが、鼻腔を突き刺した。
なくなっている前歯が、不潔さを際立たせる。
──めんどくせぇー、どう誤魔化すかな~。
そう頭で考えていると「おいッ! 何してんだよ!」と後からドスの効いた声がした。
その聞き慣れた声の方へ振り返ると、イラついた表情で睨む力漢が立っていた。
「チッ──力漢かよ。なんでもねぇーよ。久しい顔に会ったから挨拶しただけだつーの」
春馬は、そう俺の肩にポンと触れて去って行った。
「悪りぃーな。クソ兄貴のせいで……」
苛立ちを隠せない表情で力漢が言った。
「どうって事ねーよ。気にすんな」
嫌な空気を引きずり、俺たちは学校へ向かった。
「おっは~」
鈴蘭が俺達の隣に付き歩く。
「おう、珍しいな」
と俺。
「いや、昨日は悪い事しちゃったな~て」
鈴蘭が申し訳なそうに言った。
「ん? なんかあったのか?」
力漢が不思議そうな顔した。
俺は右手の柔らかい感触を思い出しながら、昨日の経由を力漢に説明した。
「そりゃないぜ」と力漢の批判を鈴蘭は受けていた。
そうして俺たちは、それぞれの教室と席に着いた。
◇◇◇◇◇◇
チャイムのベルと共に授業が始まった。
一時限目は歴史。
俺はいつも通り、机に突っ伏し瞑想の体勢を整えた。心地のいいポジションを探りながら、ボーと虚な目で隣の席を眺める。
張り切って自分の鞄から、教科書と筆記用具を取り出し、授業に勤しむ鈴蘭を横目に……、眠りについた……。
◇◇◇◇◇◇
気付くと悟りの時間は終わっていた。放課後のチャイムが鳴り、みんな一斉に下校の準備を始める。
「ふぁ~あ」と大きなあくびした。バキバキになった体をほぐした。
ガラガラ──ドンッと、いつも通りに力漢が力強く扉を開けて入ってくる。
「一護、帰ろーぜ」
力漢が教室のドア側から俺を呼ぶ。
「悪りぃー。今日は用事あんだ。先帰っててくれ」
「用事? んじゃーな!」
力漢は無表情で立ち去った。
俺は大きく背伸びをし、立ち上がった。
「鈴蘭」
帰ろうとした鈴蘭を呼び止める。
「ん? な~に?」
「ちょっと付き合えよ」
「うん? なになに? いいよ」
鈴蘭は不思議そうな顔をして付いてきた。
そのまま校門を出て、他愛の会話で帰路を歩く。
夏のねっとりしたら暑さを感じながら、ひぐらしの声を聞く。
「珍しいじゃん、私と二人で帰るなんて~、ねぇねぇ、もしかして惚れちゃったか~?」
鈴蘭はからかうように言う。
メリーと出会ったゴミ捨て場を過ぎ、その奥の細い人気のない道を進んでいく。
「なに、なに? まじで人気のないところ向かってるんですけど~、えっ!? まじで告白!?」
俺は鈴蘭の軽口をフルシカトでため息をついた。
誰もいない路地に来て、鈴蘭に向き合った。
「え? 何?」
風が俺と鈴蘭の間を吹き抜ける。
お団子ヘアから収まりきらなかった髪がなびいた。
──残念だ。
昨日の方乳の感触が忘れられず──、あの感触が残念だ。
だって……。
「なぁ鈴蘭──、お前は誰なんだ?」
──鈴蘭の乳じゃなかったのだから……。
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