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家畜伝染病予防対策法
しおりを挟む「家畜伝染病予防対策法に基づき防疫措置を行います」
役所の会議室に初めて入った。安物のパイプ椅子に並ぶ顔は暗い。そもそも照明もどこか暗いのだ。ぼんやりと俺はそんなことを考えていた。隣の親父はじっと岩のように動かないままだ。
公吏が淡々と説明を続ける。
「この度、国際獣疫事務局が作成した診断基準により、高い致死性と強い伝搬性があると判断され、高病原性があると認められました。それにより当局が派遣する専門家によって速やかにすべて殺処分し、焼却作業を行います。物品等についてもすべて消毒を行います。また、原則として移動制限を設けます。解除時期は、防疫措置が完了した後、清浄化確認検査を実施し陰性化が確認をもって当局が決定いたします」
スケジュールが伝えられ、閉会となった。集められた者たちがぽつりぽつりと帰路に消える。
お前が家族の中で一番学があるからーーとわざわざ大学から呼び戻されたが俺の存在意義がみつからない。全てはすでに起こった後であり、決定は下ったのだ。
畜産家として生き物を扱っている以上、その病気とは無縁ではいられない。聞けば今回も徴候はあったという。
「ただいま」
「おかえり。どうなったの?」
出迎えた母ちゃんの顔にも疲れが滲んで、記憶より老けて見えた。
「高病原性だって」
「ええ。年寄りしか死んでいないのに?」
「うん。でも、感染力が強いんだって。死んではないけど若い個体も感染しているだろう。そのへんのことを加味して危険だって判断されたみたい」
一般的に家畜の病気が我々に感染することはないが、家畜と直接接触して大量の病原体と接触した場合、ごく稀に感染する可能性があることが知られている。危険を侵すわけにはいかないのだ。殺処分は妥当な判断だといえよう。
「ええ、でも、ワクチンをうつとか」
「もう手遅れだよ。今から開発しても。すでに感染した個体が多すぎる」
「つまり、どうするの?」
姉ちゃんが出てきた。幼いこどもの手を引いて。姉ちゃんにスケジュールを伝送する。元々きつめの美形の姉が顔をしかめると迫力がある。
「おにいちゃん、おにいちゃん! たろうをみて」
「たろう?」
ところで姪っ子はかわいい。血のつながった幼い生き物がこんなにかわいいものだとは思わなかった。叔父はいくらでも甘やかしたいし、顔がついデレてしまう。しかし、こどもの成長は驚くほど早い。姪はもう通信機能を使いこなしていて、俺と固有IDを交換したいとはしゃいだ。
「おにいちゃんは疲れているから、今度にしようか。もう寝る時間だ。パパと一緒に寝よう」
「いやいや。おにいちゃんにたろうと会ってもらうの。ともだちなの」
優しい義兄さんがぐずる幼子を抱き上げて寝かしつけにいく。はぁと姉ちゃんがため息をついた。娘は太郎という名の幼体をかわいがっていると困ったように話した。太郎は親が子育てを放棄した個体で姪によく懐いているという。
「どうやって、殺すの?」
「炭酸ガスを使うんだって。ガスで満たして窒息させる。……あまり苦しくないみたいだよ」
そう答えながら「ともだち」という幼い言葉が甦る。殺処分があの子に与える影響はーー。心が痛む。
「ねぇ。本当に処分しないといけないのかしら」
母ちゃんが言う。
「もう決まったんだ。ぶつくさ言うな」
親父はどすどすと寝室に引っ込んでしまった。
「万が一、俺らに感染ったら危険だろう」
「でも、まだ誰にもうつっていないのに」
「わからないよ。だから俺たちは移動制限が課せられる」
「何よそれ、私たちが病原体みたいな扱いじゃない」
姉ちゃんはぷんすか怒って、母ちゃんはあらまぁ買い出しどうしましょうとおろおろしていた。まだ俺が休むには早い。公吏から聞いた補償制度について無駄に難しく書かれている資料を解読せねばならない。
当日、たくさんの機材を積んで防護服に身を包んだ専門家が到着した。想像していたより少数精鋭だ。表情はうかがえないがどことなく俺らに同情的な雰囲気だった。
うちは家族経営で細々とやっているが、五つの大きな経営会社が同時に被害にあっている。最も大きな被害を受けたエリアでは四千万もの感染が確認されているという。
穴をテープでうめて密閉空間をつくり、炭酸ガスを流し込む。十分に満たされたあとしばらく時間をおいて、死体は念入りに焼却するという。可動式の焼却炉が設置された。
姉ちゃんは娘を抱えて、私は無理と家に引っ込んだ。いつもの気丈さが鳴りをひそめ、心労が滲んでいた。近所からも頼りにされている優しい義兄はあちこちから呼び出され、雑用やらに駆り出されている。顔色の悪い母ちゃんも促すと、そそと家に戻った。
専門家の粛々とした作業を見守る。隣のおっちゃんが、悪戯坊主だった俺になんども大きな声で雷を落としたーー立ち塞がった。おっちゃんは散々、公僕に立てついた。わしらの生活はどうなる、あれらは家族も同然なんだと何度も声を荒げた。しかし、どうしようもないのだ。誰も悪くはない、公司だって殺処分などしたくはないのだ。
ガスボンベに繋がったホースが投入される。
殺処分はただただ静かだった。
「おおう、おおう」
遠吠えのように隣のおっちゃんがないた。その太い脚が崩れ落ちる前におばちゃんが駆け寄って支える。
「おおう、おおう」
耳に声が残る。それは防護服に全身を包んだ専門家にも、家に引っ込んだ者たちにも、きっと届いたろう。
親父は寡黙に相変わらず岩のようにじっとしていた。だが、俺は気がついた。その握りしめた拳が僅かに震えていることに。
親父はこんなに小さかっただろうか。
「親父、家に入るか」
「……ふん」
結局、俺たちはその場に立ち続けた。
殺処分は十分に時間をかけた。完全に内部をガスで満たして全ての家畜が息絶えるのを待つ。静かになった後、危険がないようにゆっくりとガスを抜き、空気を入れ替える。ここからが重労働だ。防護服に身を包んだ専門家が死骸を密閉袋につめ、焼却する。焼却炉はえんえんと稼働をつづけ、黒い灰をもうもうと吐き出した。俺たち家族はそれらをちゃんと知っていたがもう誰も話題にしなかった。
★⭐︎★⭐︎★
「お勤めごくろうさん」
同級生がふざけたような言葉を使ったが、俺は心配の感情をキャッチした。
「まだ、細々としたことが終わってないけど。特別休暇の申請しなきゃいけないし。あ。授業のコピーありがとう」
「ニュースみたぜ。銀河系の地球って高級ブランドだったのに、残念だな」
「ああ。アメリカ種とかヨーロッパ種の業者は見ていられなかったよ」
「結局、全部殺したんだろう」
「うん。大部分のウイルスは家人に感染しても低病原性だけど、稀に強毒性を示したり変異が起こったりして高病原性となる。今回、家人の致死率から高病原性の定義に当てはまらないが、従来より感染性が高くて高病原性と認定された。高病原性というのは家人に対してだから、俺らが容易に感染するわけではない。でも、大量にウイルスを被ばくすると俺たちでも発症する可能性がある」
「ほう。……かじんって何?」
「家畜のうちヒトのことを家人っていうらしい」
「へー。なんかお前、詳しくなってんな」
「お役所の文章ってなんであんなに読みにくいんだよ。近所のジジババにもなんども俺が説明したんだよ」
「あー。うん、おつかれ」
友が触角を動かしてがしがしと俺の頭を撫でる。本当に滅入った。変わらない友人と大学の様子にやっと気持ちが安定する。
全ての手続きが終わったわけではないけれど、親父と義兄でできるだろう。処分した個体数分の市場価格で政府が補償してくれることが決まっている。
ウイルスごと人類を焼却処分し、地球は消毒したからしばらくは家畜産業を始めることができない。惑星の環境を整えるところからだ。最近、環境温度が妙に上がっていたからその調節もこの際だから行うかと案がでていた。再度ウイルスが流行しないようにワクチンと治療薬の開発も進めなければならない。
「っ?」
脳裏が白く光る。メッセージが届いた。姪っ子からだ。生態ソーシャルコミニュケーションの操作の仕方を教えたのだが、もうすっかり使いこなしている。
”おにいちゃん つぎにかえってきたらたろうに会ってね ママにはナイショ”
俺は悲鳴をあげた
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