一片の願い

翡翠

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それぞれの選択

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 あの日から10年近い時間が流れた。

 征一郎は自ら望んで貴族籍を離れ、現在は基を手術した友人である外科医の紹介でその病院の所属になり、あの山奥の集落の診療所の医師をしている。診療所のすぐ目の前の家に住み、周辺に点在するいくつかの集落を巡回する生活をしている。。

 恵は遠戚から婿を迎え、高台寺家と桜華の理事長を継いで二人の子供の母親だ。

 基はPC関連の資格を複数取得、しばらくは出版社の社員とエッセイストの二足のわらじを履いていたが、菜々香と征一郎の恋の話を元に小説を書いた。晴美の後押しを受けて出版されたそれは、瞬く間にベストセラーになった。

 そう、基はエッセイストだけではなく作家としてもデビューしたのである。そこで仕事を在宅ワークに切り替えて、現在は山奥の集落の家に住んでいる。もちろん、免許を取って手だけで運転できる車を購入。広範囲の移動も可能になった。

 脚は太腿とふくらはぎの筋肉が十分についたので、今は少し引きずりはするが補助具や杖はなしに歩いている。

 征一郎との関係は変わらないままだったが、どちらももうこだわらないようになった。

 そして......

 達也の両親は離婚した。元々後妻だった彼の母親と共に、今は征一郎の紹介で彼が所属する病院で医療事務員として勤めている。

 彼は休日になるとバイクをとばして集落へ来る。

「もとちゃん、頼まれてたの見つかったぜ」

 大抵のものはネット通販で手に入る昨今だが、それでも達也は基の為に自分で探して持って来る。

「あ、ありがとうね」

 あの夜から二人の関係は未だに友人のままだ。この家に彼は泊まって行くが、尽きぬ話で夜を明かしたり、別々の部屋で眠るだけ。

 お互いに社会人になって自分たちの恋のリスクが、どれ程になるのかを間辺りにするようなものを見て来た。でもお互いに背を向けて別の道を進むのはできなかった。

 この国では同性婚は庶民であるならば認められている。貴族階級でも抜け道があるそうだ。だから偏見は少しずつ薄れようとはしている。

 けれども基と達也の間にはあの事件の関係者という、マスコミの好物な事実も絡んでいる。

「この前さ、冬也兄さんに会いに行ってきた」

 唐突に達也が口を開いた。あの事件の本当の真相は裁判でも明らかにされず、基と達也にも謎のままだった。

「思い切って単刀直入に聞いてみた」

「聞いてみたって......」

「うん、本当の理由」

「話してくれたの?」

「なかなか言わなかったんだけどね、やっと言わせたよ」

「そうなの!?」

「ああ。家を潰しておいてまだ真実を言わないのは、家族に対して不誠実過ぎるって迫った」

「うん......」

 柊家の人々はすべてを失った。ずっと営んで来た病院を売り払った金は、被害者であり遺族でもある基に多額の慰謝料として支払われた。恵にもかなりの金額が慰謝料として支払われたらしい。当然ながら達也の母親にも養育費の一括払いと共に渡された。

 すべてを失った兄弟の父親は一人で医師のいない離島へ行ったと聞いている。

 その責任を自覚しろと達也は冬也に迫ったというのだ。

「絶対に姉さんのことじゃないって、俺は感じていたからな」

 ずいぶん前からずっと問い詰めていたそうだ。

「やっと言ったよ」

「え......そうなの?」

「うん。で、もの凄く腹が立った」

 達也は苛立たしげに目の前のお茶を飲み干した。

「冬也兄さんさ......征さんが好きだったんだってさ」

「はあ?」

 達也の口から飛び出した事実に思わず問い返す。

「何なの、それ!」

「ようするに冬也兄さんは俺たちと同じく、同性が好きな人間だったってことらしい。で、密かに想っていた征さんが好きだった。ところが肝心の征さんは菜々香さんしか眼中になくて、とうとう自分の恋を成就させたわけだ」

 基は何を答えていいのかわからず、ただ頷いて返した。

「でも彼女はいなくなった」

「うん」

「それもさ……冬也兄さんがどうやら菜々香さんに何か言ったのが原因だったみたいだ」

「え……」

 最終的に選択したのは菜々香だったのだろうが、きっかけは冬也の行動だったのか。初めて知らされたことに基は言葉を失った。

「夏休みの避暑地でも菜々香さんはすぐに立ち去ろうとしてたみたいだ。これは義姉ねえさんから聞いたんだけど、征さんが必至で引き留めていたんだと。多分、冬也兄さんはこの辺りで姉さんの気持ちと同調シンクロしてしまったんかもしれない」

 自分の気持ちを肯定しながらも本当の意味で、彼は受け入れるのを『罪』のように感じていたのかもしれない。達也への恋心に悩み続けながら、普通の友人としての関係を選択した基には何となく彼の苦悩がわかる気がした。けれども彼の犯罪は許されることではない、どのような理由があっても決して。

「俺に盗聴器付けたりもとちゃんを付け回していたのは、お前が征さんに息子だってたかってると考えてたからだ。お前が遺伝的にはそうであっても感情的には親子じゃない、て姿勢を貫いていたのまでは知らなかったみたい。そこへ俺と……な?

 あのままもとちゃんが無理をして記憶を戻さないでいたら、冬也兄さんが殺しに来てたかもしれない。あのマンションのセキュリティが強固過ぎて、手が出せなかったのもあるようだ」

「そっか……」

 誰かが誰かを好きになる気持ち自体には罪はない。けれどもすべての『好き』が合致するわけではない。むしろ一方通行が多いのではないのだろうか。叶えられない想いを抱えて、嘆き苦悩して人は誰しもが迷う。けれども大方の人はそこから立ち上がって歩き出す。

 基も達也も決して互いの想いを捨てても忘れてもいなかった。たった一度の夜を宝物のように抱きしめて、自分の心の支えにして今日まで来たのだ。

「叶わなかった想いを誰かを妬んだり恨んだりしても、救われたりしないとボクは思うけどな」

「俺もそう思うよ」

 それで救われるならば基はいくらでも恨んだ。でもそもそもの元凶だと主張する征一郎を憎んでも、母を手にかけた冬也をうらんでも現実は変わったりはしない。菜々香が戻ってくることも、基の身体が事件で傷つく前に戻ることもない。ただ現実が自分の前に存在しているだけなのだ。

「なあ……俺、もとちゃんとのことを母さんに話した」

「え……」

「征さんにもとちゃんをくださいって、言うつもりで来たんだ」

「たっちゃん……」

 何と答えて良いのかわからなかった。

「なあ、もとちゃん。もとちゃんは今でも俺を好きでいてくれるだろ?」

 肩を掴まれまっすぐに目を見つめて彼は言った。とても真剣な眼差しに小さく基の身体が震えた。

「俺と結婚して欲しい。高校生の時とは違う。俺はもとちゃんを守るから!」

 そうもう二人は子供ではない。今更あの事件を蒸し返す者がいたとしてもきっと、二人でならば立ち向かって生きていけるに違いない。

 そう決意して基は顔を上げて答えた。

「今でも愛してるよ、たっちゃん。一緒に高台寺先生のところへ行こう」


                                           完

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