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第11章
第4話
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「アデルさまの……。ここでの苦労は、私は存じ上げません」
彼はそう言うと、私の隣に立ち手を取った。
「ですがゆっくりと、これからのあなたと共にあることは可能です」
「それは、どういう意味でしょう」
「そのままの意味ですよ」
深く黒く、穏やかに微笑む彼の目は、今なら何でも叶えてくれそうな気がする。
「あ、あの、実は、お願いがあるのですが……」
「なんでしょう?」
やっぱり、帰るのをもう少し延期してもらいたい。
せめてノアと、ちゃんとお別れをしたい。
彼の誕生日を、一緒に祝いたい。
オランドには両親に伝言を頼んで、私は後から遅れて帰るから、だから……。
「あの……、ですね……」
だけど、アカデミーでちゃんとお別れを済ませ、館の荷物のほとんどを運び出し、セリーヌと侍女たちは、ようやく帰れると毎日のように浮かれていて、私は、私のわがままだけで……。
「ち、父と母への、お土産はなにがよろしいでしょうか」
「お土産ですか? それは、あなたがいれば十分ですよ」
「あ、あぁ。……そうですね」
自分で自分がイヤになる。
私は彼を、にっこりと微笑んで見上げる。
どうしてこんなにも、言いたいことが言えなくなってしまうのだろう。
オランドは、コホンと咳払いをした。
「実は、私からもお願いしたいことがあるのですが……」
そう言う彼の顔は、真っ赤になっていた。
「なんでしょう?」
「ダ、ダンスを、教えていただきたいのです。その……歓迎会では、ダンスを踊らなければならないと聞いて……。私も少しは心得ておりますが、なにせ国では戦闘に立つことばかりで、そのような華やかな場には慣れていないのです」
「セリーヌはなんと?」
「お怒りです」
「ふふ」
その困り果てた顔に、つい笑ってしまう。
彼もその精悍な顔に笑みを浮かべた。
「あぁ、やっと笑ってくださいました。あなたの笑顔が見られて、ようやくほっとできました」
彼の目は、じっと私を捕らえて放さない。
思わずうつむくと、そのまま部屋を出て行こうとしている。
「では今宵、夕食のあとで」
パタリと扉が閉まった。
私は一人になった部屋で、自分の胸をぎゅっと抱きしめる。
オランドのことは、信頼していいのか、疑っていいのか、まだ自分の中ではっきりと決まっていない。
彼が私に尽くしてくれるのは、義務か権利か。
仕事として尽くしてくれているだけなら、構わない。
だけど、彼がそうしたいと思ってやってくれているのだとしたら?
ノア以外の男性から向けられる視線に、意味など感じたことはなかったのに……。
食事のあとは、約束通りオランドのダンスレッスンに付き合った。
セリーヌの厳しい指導に、戦歴の猛者である彼すらビクビクしている。
「目線は前!」
「はい! あの、て、手は、この位置でよろしいでしょうか?」
「もう少し高く! 角度を上げて!」
そういえば、誰かのダンスレッスンにこんな風に付き合うのは、初めてだな。
ぎこちないステップ、オランドからのリードなんて、もちろんない。
触れただけで分かる筋肉質な腕に手を添え、体の大きな彼に身を寄せている。
「背筋が曲がっています。あなたは背が高いのですから、相手の女性に合わせてもう少し……。あぁ、もう!」
あれこれ言いかけたのをやめ、セリーヌは盛大なため息をつく。
「全く! これでは、帰ってからが思いやられます。あなたがこんな様子なら、城の中は一体どうなっていることでしょう」
「アデルさまには、文化、教養面で貢献していただけたらと。これほど頼もしいことはありません」
「それはいいアイデアね。アデルさまはこの国でサロンを開き、数々の著名な方々との交流を……」
不意に私の頬を、大粒の涙が伝う。
「アデルさま?」
それに気づいたオランドが、のぞき込んだ。
「どうかされましたか? 私が何か、失礼でもいたしましたか」
「あ、いえ。別にそういうわけじゃなくて……」
この人は悪くない。
この人たちは、誰も悪くない。
オランドもセリーヌもお父さまも、お父さまの兄王さえも。
だけど涙が流れてしまうのは、こんなにも胸が苦しいのは、私が見てはいけない幻を、ここで見てしまったせい。
彼はそう言うと、私の隣に立ち手を取った。
「ですがゆっくりと、これからのあなたと共にあることは可能です」
「それは、どういう意味でしょう」
「そのままの意味ですよ」
深く黒く、穏やかに微笑む彼の目は、今なら何でも叶えてくれそうな気がする。
「あ、あの、実は、お願いがあるのですが……」
「なんでしょう?」
やっぱり、帰るのをもう少し延期してもらいたい。
せめてノアと、ちゃんとお別れをしたい。
彼の誕生日を、一緒に祝いたい。
オランドには両親に伝言を頼んで、私は後から遅れて帰るから、だから……。
「あの……、ですね……」
だけど、アカデミーでちゃんとお別れを済ませ、館の荷物のほとんどを運び出し、セリーヌと侍女たちは、ようやく帰れると毎日のように浮かれていて、私は、私のわがままだけで……。
「ち、父と母への、お土産はなにがよろしいでしょうか」
「お土産ですか? それは、あなたがいれば十分ですよ」
「あ、あぁ。……そうですね」
自分で自分がイヤになる。
私は彼を、にっこりと微笑んで見上げる。
どうしてこんなにも、言いたいことが言えなくなってしまうのだろう。
オランドは、コホンと咳払いをした。
「実は、私からもお願いしたいことがあるのですが……」
そう言う彼の顔は、真っ赤になっていた。
「なんでしょう?」
「ダ、ダンスを、教えていただきたいのです。その……歓迎会では、ダンスを踊らなければならないと聞いて……。私も少しは心得ておりますが、なにせ国では戦闘に立つことばかりで、そのような華やかな場には慣れていないのです」
「セリーヌはなんと?」
「お怒りです」
「ふふ」
その困り果てた顔に、つい笑ってしまう。
彼もその精悍な顔に笑みを浮かべた。
「あぁ、やっと笑ってくださいました。あなたの笑顔が見られて、ようやくほっとできました」
彼の目は、じっと私を捕らえて放さない。
思わずうつむくと、そのまま部屋を出て行こうとしている。
「では今宵、夕食のあとで」
パタリと扉が閉まった。
私は一人になった部屋で、自分の胸をぎゅっと抱きしめる。
オランドのことは、信頼していいのか、疑っていいのか、まだ自分の中ではっきりと決まっていない。
彼が私に尽くしてくれるのは、義務か権利か。
仕事として尽くしてくれているだけなら、構わない。
だけど、彼がそうしたいと思ってやってくれているのだとしたら?
ノア以外の男性から向けられる視線に、意味など感じたことはなかったのに……。
食事のあとは、約束通りオランドのダンスレッスンに付き合った。
セリーヌの厳しい指導に、戦歴の猛者である彼すらビクビクしている。
「目線は前!」
「はい! あの、て、手は、この位置でよろしいでしょうか?」
「もう少し高く! 角度を上げて!」
そういえば、誰かのダンスレッスンにこんな風に付き合うのは、初めてだな。
ぎこちないステップ、オランドからのリードなんて、もちろんない。
触れただけで分かる筋肉質な腕に手を添え、体の大きな彼に身を寄せている。
「背筋が曲がっています。あなたは背が高いのですから、相手の女性に合わせてもう少し……。あぁ、もう!」
あれこれ言いかけたのをやめ、セリーヌは盛大なため息をつく。
「全く! これでは、帰ってからが思いやられます。あなたがこんな様子なら、城の中は一体どうなっていることでしょう」
「アデルさまには、文化、教養面で貢献していただけたらと。これほど頼もしいことはありません」
「それはいいアイデアね。アデルさまはこの国でサロンを開き、数々の著名な方々との交流を……」
不意に私の頬を、大粒の涙が伝う。
「アデルさま?」
それに気づいたオランドが、のぞき込んだ。
「どうかされましたか? 私が何か、失礼でもいたしましたか」
「あ、いえ。別にそういうわけじゃなくて……」
この人は悪くない。
この人たちは、誰も悪くない。
オランドもセリーヌもお父さまも、お父さまの兄王さえも。
だけど涙が流れてしまうのは、こんなにも胸が苦しいのは、私が見てはいけない幻を、ここで見てしまったせい。
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