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第6章

第2話

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「残念だったね、遠山! 館山さんはカラオケ来れないってよ!」
「ちょっと待て。なんでそうなるんだよ。俺は持田を誘ってんだけど」

 彼は黒くて長い前髪の奥で、ムッと眉間にシワを寄せた。
明らかに不機嫌になった彼に、館山さんはもしかしたら、ちょっと怖くなってしまったのかもしれない。

「あ……大丈夫。私は行けないから。ごめんね。誘ってくれてありがとう」

 そそくさと彼女は逃げ去っていく。
あれ? 
遠山くんも、館山さんみたいな可愛い子が好きなんじゃないの? 
私より絶対彼女の方がいいと思うんだけど。
てゆーか、余計なことを言ったおかげで、あんなイイ子にまで迷惑をかけてしまった。
どうしよう。
私だって彼女に嫌われたくない。

「ごめん遠山。私が余計なこと言った。館山さんは関係ないのに、巻き込んじゃったね」
「いいよ、別に」

 怒った。
遠山が怒った。
彼は右手に持った雑巾をブンブン振り回しながら、いつものメンバーのところへ戻っていく。
やっぱ男子ってよく分からない。
結局どうすんだカラオケ。
行くのか行かないのか。
行かないなら、まぁいっか。

 遠山くんが明らかに悪態をついている。
仲のよい男友達のところへ戻って、ふてくされた顔で何かを話し、それを聞いた仲間たちが、彼をからかいながらも慰めているようだ。
どうせ私の悪口でも言ってるんだろう。
きっと多分だけど。
別にどっちでもいいけど。

 館山さんのことも気になって、振り返ると坂下くんと目があった。
彼の所へ戻ってきた彼女に、彼の口が「どうした?」という形に動く。
彼女が坂下くんに何を訴えているのかは、こちらに背を向けているから分からない。
それでも熱心に何かを訴える彼女のことを、彼が真剣に聞いているのは確かだった。

 館山さんも、私のことを悪く思ったのかな。
彼女がそう感じたなら、きっと私はとんでもなく悪いことをしたに違いない。
聞きたくないことには、耳を塞いでいればいい。
見たくないものは、見なければいい。
そうやって目に入れたくない光景から、顔を背ける。
掃除の時間が終わった。

 終わりのホームルームの間、今日は何回目があっただろうかとか、何回すれ違ったとか、何回声が聞けただろうとか、そういうことばかり考えている。
彼女は席まで彼と近くて、もうすでにそういう所から違うんだなーとか思う。
持って生まれた才能とか、運だとかいうやつ。
明日の連絡事項なんて何にも頭に入ってこないまま、チャイムが鳴った。

『カラオケ行くの? 館山さんから聞いたけど』

 帰り支度をすませ教室から出たところで、そんなメッセージがスマホに入る。
坂下くんだ。
その文字列を見ただけで、急に足が重たくなる。
だからどうして、そんなことを聞くの? 
行きたければ、館山さんたちと行けばいいじゃない。
私は関係ない。
いつもなら速攻で返信するのに、今は文字を打つ指まで動きが鈍い。

『別に行きたいわけじゃないよ』
『遠山に誘われたって』
『うん』
『大丈夫なの?』

 なんて返事をしよう。
「大丈夫なの?」って、なにが? 
彼は一体、何を心配しているんだろう。
間違った返事をしたくない。
これ以上距離を離したくない。
既読はつけてしまったけど、慎重に考える時間くらいは、あってもいいはずだ。
照りつけるスマホ画面をにらみながら、廊下を進む。
角を曲がった瞬間、ドンと肩がぶつかった。

「おい。前向いて歩けよ。廊下で歩きスマホすんな」
「ごめん」

 遠山くんだ。
誰とDMしているのか見られたくなくて、とっさに後ろへ隠す。

「なんで隠した?」
「なんとなく」
「見られたくない相手?」
「関係なくない?」

 彼は明らかにイラついた様子で鋭いため息をつくと、独り言のようにつぶやく。

「坂下とは付き合ってないって言ったよな」
「言ったよ」

 バサバサした黒く長い前髪の奥で、キレのある細く鋭い目が私を疑っている。
なんでそんなことが気になるんだろうとか、誰かに聞けって言われたから聞いてんのかなとか、もう色々ごちゃごちゃ考えるのはやめた。

「付き合ってない。し、好きでもない。友達。クラスメイト。同級生。同じクラス。遠山と一緒。それだけ」

 私と向かい合う遠山くんの背後で、上階から階段を下りてきた上靴が足を止めた。
坂下くんだ。
最悪。
一番聞かれたくない人に、今のセリフ全部聞かれた。

「本当に坂下とは、何ともないわけね」

 遠山くんは、まだ自分の背後にいる坂下くんに気づいていない。

「うん。そうだよ」
「分かった。じゃあそこはもう信じる」

 坂下くんの視線が痛い。
だけど私はまっすぐに遠山くんだけを見て、彼には気づいているけど、気づいていないフリをする。
遠山くんは、全身の力をぐにゃりと抜いた。

「ごめん。持田さんって、普段あんまり他の男子としゃべったりしてないのに、急にあいつとはしゃべりだしたから」
「そうかな」

 そんなこと、気にしたこともなかった。
確かに坂下くんとはあんまりしゃべってないかもだけど、他の人だなんて記憶にない。
遠山くんが、ふと自分の手を私の肩に置いた。
壁に手をついたようなもんだ。
そこから恐る恐る伸ばされた指の先が、微かに私の髪の先に触れる。

「なんかちょっと、ヤだったから」

 階段でじっと立ち止まっていた、緑の上靴が動く。
わざとらしい足音をたて、坂下くんが下りてくる。
彼は全く感情の見えない顔で下りてきながら、ただ遠山くんを見下ろした。

「お前ら、なにやってんの」
「何でもねーよ!」

 上から見てたくせに。
それを私が知ってるのも、知ってるくせに。
捨てセリフを吐いて、追われるように消えた遠山くんの背に、ぎゅっと胸がえぐられる。
彼の背はよく見る光景だ。
今の私と同じ。
いつも恥ずかしいことばっかりしてる。
だから遠山くんの気持ちが分かる。
私もここから逃げ出したい。

「ごめんなさい」

 二人きりになった廊下で、よく分からないけど怒られる前に坂下くんに謝っておく。

「何が『ごめんなさい』なの?」
「なんとなく……」

 私は遠山くんの見せてくれた勇気を、このまま坂下くんに返そうと思う。
ずっと気になっていた。
どうしても避けて通れないこと。
自分自身がそこに納得できないと、前には進めない。

「ねぇ。坂下くんにはさ、スティックの効果って、なんかあった?」
「ない。ないと思う。俺はなにも変わってない」
「そっか」

 彼も私のことが好きなのかもって思ってたのは、じゃあやっぱりただの勘違いだ。

「持田さんには、効果なかったの?」
「私?」
「うん。スティックの効果」

 相変わらずなんの表情も読み取れない、ツルッとした顔を見上げる。
スティックの効果? 
彼への好意は、事故の前からあったと言えばあった。
だけどそれは、私にだけの話じゃない。
同じように聞かれたら、きっとクラスの女子はほとんどがそう答えるだろう。
そういうのは、恋じゃない。

 じっと見下ろす彼の目に耐えきれず、視線を反らす。
早く逃げ出したいはずなのに、それでも今この瞬間でさえ、彼の手の甲に突き出る骨の形なら、永遠に見ていられると思うのは、どうしてなの?

「坂下くんのことは好きだよ。友達として」

 自分でも驚くほど、正確な愛想笑いを浮かべる。

「同じクラスなんだし、それって普通じゃない?」
「そうだね」
「逆にさ、坂下くんは私のこと嫌いだった?」
「そんなことはないよ」
「でしょ? 今まで、そんなしゃべることもなかったし。接点だってない」
「確かに。そういう意味では、俺と持田さんは友達以下だったかも」
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