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第2章
第2話
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「やっぱ美羽音、昨日坂下くんとなんかあったんでしょ」
「違う違うやめて」
やっぱりまた彼がこっちを見てる。
私はギロリとにらみつける絢奈の視線を遮り、最大限の愛想笑いを浮かべてヒラヒラと手を振った。
「うわ。ホントにこっち見て笑ってるわ」
「でしょ!」
手を振った私に、彼はちゃんと手を振り返してくれた。
しかもにこにこ楽しそうに笑ってる!
「ね、やっぱり笑ってくれてたでしょ? 現実だったよね」
嬉しい。
本気で嬉しい。
本当は思いっきりブンブン手を振り返したいけど、恥ずかしいから心の中だけで大きく振っておく。
「あのさぁ美羽音」
絢奈は先生に怒られないギリギリのラインまで茶色く染めた、肩までの真っ直ぐな髪をサラリとこぼした。
「昨日の放課後、絶対坂下くんとなんかあったでしょ。なにがあったの。場合によっちゃ私も黙ってないから。ちゃんと教えて」
「違う。違うの」
「いいいからちゃんと話して! 私はいつだって美羽音の味方だよ。なにかあったなら絶対にアイツら許しておかな……」
視界の隅で、彼が動いた。
ウソ。
信じられない。
こっちに近づいてくる?
彼は王子さまのように優雅な仕草でゆったりと歩いてくると、そのきらびやかな瞳に広がる世界で、私だけを麗しく見下ろした。
「持田さんて、古文の教科担当だったよね」
「うん。そう」
初めて名前を呼んでくれた。
私の名前、知っててくれたんだ。
しかも教科担当のことまで覚えてくれてる!
「次の時間のさ、単語の小テストの範囲って、21ページから25ページであってる?」
「うん。あってるよ」
「書き下し文のプリント提出って、今日までだっけ」
「うん。放課後集めるから」
「分かった」
立ち去る瞬間、振り向きざまにまた笑った。
そのキラキラ輝くまぶしい笑顔は、間違いなくこの世で私だけに向けられたものだ。
もう無理。
限界。
意識飛びそう。
「いま笑ってたよね」
「誰が?」
「坂下くん。私に向かって」
「そう? いつもの仏頂面じゃない?」
「いや、笑ってたって」
「よく分かんないよ。アイツ表情筋ないもん」
すぐ隣にいるのに絢奈は気づかなかったってことは、やっぱり私だけに微笑んだってことで、確定もらっていい?
「私、古文係やってて本当によかった」
「は? ジャンケンで負けただけですけど? 美羽音決まったときめっちゃ嫌がってたよね」
「プリント回収するの楽しみ」
「ホントに大丈夫? 記憶飛ばした? 別人になってるよ」
「絢奈。今日の分は私がやっとくから、先に帰っていいよ。歯医者なんでしょ」
なんだか体がふわふわして落ち着かない。
頭までぼーっとしてる。
いつもは寝るしかすることのない授業なのに、今日の私の目は、閉じることなくずっと彼の背中を見ている。
早く放課後にならないかな。
そしたらまた話せるのに……。
6時間目が終わって、掃除になってもまだ頭がぼんやりしていた。
教室の隅っこから友達と話す彼を遠くにまったりと眺めている。
こんなにも近くにいるのに、こんなにも遠い人なんだ。
話しかけようと思えばいくらでも声をかけられるのに、かける言葉が見つからない。
みんな何をしゃべってるんだろう。
話しかけるタイミングって?
どんな話題を振ればいい?
どうすれば彼は、私に興味を持ってくれるんだろう。
掃除時間の喧騒が、耳の奥をかき乱す。
私と彼の間にある距離と隔絶が、世界の終わりを告げている。
目に見えない壁が、お前は彼のいる世界と同じ住人ではないのだと知らしめてくる。
話しかけられるわけがない。
だって私は、この世界で認められた人間じゃないんだから。
気分はすっかり悲劇のヒロインだ。
綺麗になった教室で、ホームルームが始まる。
空気の入れ替わったようなすっきりした空間に、生徒たちがきっちり等間隔に並んでいる。
私もこの細切れにされた駒の一区画なんだ。この隙間を埋めていることだけが、自分の存在意義のような気がした。
闇に閉ざされた暗黒の世界で、彼を救えるのは私しかいない。
チャイムが鳴った。
「ねぇ美羽音。本当にプリント集め、任せていいの?」
「うん。いいよ。自分でするって言ったから自分でする」
「じゃあ次は、私がやるね」
「うん。歯医者行ってらっしゃい」
所詮私のような人間には、これくらいしか出来ることがない。
たとえほんの一瞬でも、彼との接点が持てるなら、なんだっていい。
それがたとえどんなくだらない雑用だって、この命をかけて遂行してみせる!
「古文の宿題プリント、集めまーす」
本当は自分の机で座って待って、みんなが持って来てくれるのを受け取るだけでいいんだけど。
つーか普段はそうしてるんだけど、じっと座って待っているより、今は自分から積極的に動いていきたい。
教室の一番窓側の列から、順番に回って回収していく。
廊下に近い席にある彼の順番を後の方になるようにセッティングした。
急いで渡してくれる人もいれば、よそ見してしゃべりながらこっちも見ないで渡すのもいる。
机の上に置いてはあるけど、本人不在で勝手に持って行ってくれ的なのもある。
一列目が終了した。
折り返して二列目は後ろから集めて回る。
そうやって教室を何度か往復し、ようやく彼の番が来た。
「古文のプリント集めまーす」
そう言った私に、無言でそれを差し出した。
彼のぶっきらぼうでやや乱暴ともいえる態度にちょっとムッとしたけど、黙って受け取る。
まぁ、こんなもんだよね、現実は。
一瞬でも彼の手書きの文字が見れてよかった。少
し斜めに傾いたシャープで大きめの文字。
私に出来るのは、ここまでだ。
古文の教科係が不人気なのは、担当する先生のクセが強すぎるのと、宿題プリントの回収と集計を任されること。
生徒からの提出忘れの言い逃れや質問を言付かっても、だいたい職員室に不在で、いつも姿が見えないのが謎だ。
単純な連絡事項すら直接にはなかなか伝えられず、すぐに返事がもらえないのも、ある意味面倒くさい。
まとまったプリントの数を数えて、先生から事前に渡されている名簿に提出日を記入しチェックをつける。
ほぼほぼ毎時間ごとに出される宿題の提出日の遅れだとか、そういう細かいところで成績に反映させるとかさせないとか言って、曖昧な態度で脅してくるのもイヤらしいと思う。
9割がた出そろったプリントを出席番号順に並べ終え、準備が整った。職員室へ向かう。
彼との今日は、これでお終いか。
今朝は頑張って「おはよう」の挨拶は出来たし、そういえば昼休みに向こうから話しかけられたりもした。
上等じゃないか。
これ以上欲張ってどうする。
また明日から頑張ろう。
どうやって距離を縮めたらいいのか分からないけど、伸ばせる限り手は伸ばしていきたい。
職員室に入り、一昔前に流行った古びたキャラクターグッズが並ぶ先生の机に、プリントの束を置いた。
各クラスから集まってくるプリントの束で、ここだけ紙の山が出来ているから分かりやすい。
「失礼しましたー」
職員室の扉を開けたら、思いがけずそこに坂下くんが立っていた。
「あ、持田さん。クラスの奴がさ、渡しそびれたって持って来たのがあるんだけど」
彼の手に、二人分のプリントが握られていた。
「あ。じゃあ、先生の机こっちだから」
彼と二人、職員室の中でもひときわ目立つ、紙の塔まで戻る。
さっき置いたばかりの束に、新たに追加された2枚をチェックして順番通りに差し込んだ。
「古文の教科担当って、やること多いんだね」
「ジャンケンで負けたから」
「でもいつも、ちゃんとやってるよね」
褒めてくれた。
作業中、職員室だし彼の前だし、手の震えているのがバレないように、ずっと力を込めて気をつけてた。
だだっ広い職員室で、二人きりのわけがないのに、周囲は先生ばかりなのに、二人きりでいるみたい。
「もう帰るの?」
「うん。坂下くんは?」
「俺も帰る。途中まで一緒に帰ろう」
は? え? いま何て言った?
声が小さすぎて聞き取れなかったから、もう一回言ってなんて、絶対言えるわけない。
彼は無言でプリントの束に背を向けた。
私も慌ててぐるっと方向転換を決める。
何となく私が先を歩いて、その後ろを彼がついてきた。
なにこの状況。
狭くてごちゃごちゃした職員室の通路だ。
飛び跳ねるワケにも「なんでなんで」と問いただすワケにもいかない。
「失礼しましたー」と扉を閉める時、彼と並んで軽く一礼した。
「違う違うやめて」
やっぱりまた彼がこっちを見てる。
私はギロリとにらみつける絢奈の視線を遮り、最大限の愛想笑いを浮かべてヒラヒラと手を振った。
「うわ。ホントにこっち見て笑ってるわ」
「でしょ!」
手を振った私に、彼はちゃんと手を振り返してくれた。
しかもにこにこ楽しそうに笑ってる!
「ね、やっぱり笑ってくれてたでしょ? 現実だったよね」
嬉しい。
本気で嬉しい。
本当は思いっきりブンブン手を振り返したいけど、恥ずかしいから心の中だけで大きく振っておく。
「あのさぁ美羽音」
絢奈は先生に怒られないギリギリのラインまで茶色く染めた、肩までの真っ直ぐな髪をサラリとこぼした。
「昨日の放課後、絶対坂下くんとなんかあったでしょ。なにがあったの。場合によっちゃ私も黙ってないから。ちゃんと教えて」
「違う。違うの」
「いいいからちゃんと話して! 私はいつだって美羽音の味方だよ。なにかあったなら絶対にアイツら許しておかな……」
視界の隅で、彼が動いた。
ウソ。
信じられない。
こっちに近づいてくる?
彼は王子さまのように優雅な仕草でゆったりと歩いてくると、そのきらびやかな瞳に広がる世界で、私だけを麗しく見下ろした。
「持田さんて、古文の教科担当だったよね」
「うん。そう」
初めて名前を呼んでくれた。
私の名前、知っててくれたんだ。
しかも教科担当のことまで覚えてくれてる!
「次の時間のさ、単語の小テストの範囲って、21ページから25ページであってる?」
「うん。あってるよ」
「書き下し文のプリント提出って、今日までだっけ」
「うん。放課後集めるから」
「分かった」
立ち去る瞬間、振り向きざまにまた笑った。
そのキラキラ輝くまぶしい笑顔は、間違いなくこの世で私だけに向けられたものだ。
もう無理。
限界。
意識飛びそう。
「いま笑ってたよね」
「誰が?」
「坂下くん。私に向かって」
「そう? いつもの仏頂面じゃない?」
「いや、笑ってたって」
「よく分かんないよ。アイツ表情筋ないもん」
すぐ隣にいるのに絢奈は気づかなかったってことは、やっぱり私だけに微笑んだってことで、確定もらっていい?
「私、古文係やってて本当によかった」
「は? ジャンケンで負けただけですけど? 美羽音決まったときめっちゃ嫌がってたよね」
「プリント回収するの楽しみ」
「ホントに大丈夫? 記憶飛ばした? 別人になってるよ」
「絢奈。今日の分は私がやっとくから、先に帰っていいよ。歯医者なんでしょ」
なんだか体がふわふわして落ち着かない。
頭までぼーっとしてる。
いつもは寝るしかすることのない授業なのに、今日の私の目は、閉じることなくずっと彼の背中を見ている。
早く放課後にならないかな。
そしたらまた話せるのに……。
6時間目が終わって、掃除になってもまだ頭がぼんやりしていた。
教室の隅っこから友達と話す彼を遠くにまったりと眺めている。
こんなにも近くにいるのに、こんなにも遠い人なんだ。
話しかけようと思えばいくらでも声をかけられるのに、かける言葉が見つからない。
みんな何をしゃべってるんだろう。
話しかけるタイミングって?
どんな話題を振ればいい?
どうすれば彼は、私に興味を持ってくれるんだろう。
掃除時間の喧騒が、耳の奥をかき乱す。
私と彼の間にある距離と隔絶が、世界の終わりを告げている。
目に見えない壁が、お前は彼のいる世界と同じ住人ではないのだと知らしめてくる。
話しかけられるわけがない。
だって私は、この世界で認められた人間じゃないんだから。
気分はすっかり悲劇のヒロインだ。
綺麗になった教室で、ホームルームが始まる。
空気の入れ替わったようなすっきりした空間に、生徒たちがきっちり等間隔に並んでいる。
私もこの細切れにされた駒の一区画なんだ。この隙間を埋めていることだけが、自分の存在意義のような気がした。
闇に閉ざされた暗黒の世界で、彼を救えるのは私しかいない。
チャイムが鳴った。
「ねぇ美羽音。本当にプリント集め、任せていいの?」
「うん。いいよ。自分でするって言ったから自分でする」
「じゃあ次は、私がやるね」
「うん。歯医者行ってらっしゃい」
所詮私のような人間には、これくらいしか出来ることがない。
たとえほんの一瞬でも、彼との接点が持てるなら、なんだっていい。
それがたとえどんなくだらない雑用だって、この命をかけて遂行してみせる!
「古文の宿題プリント、集めまーす」
本当は自分の机で座って待って、みんなが持って来てくれるのを受け取るだけでいいんだけど。
つーか普段はそうしてるんだけど、じっと座って待っているより、今は自分から積極的に動いていきたい。
教室の一番窓側の列から、順番に回って回収していく。
廊下に近い席にある彼の順番を後の方になるようにセッティングした。
急いで渡してくれる人もいれば、よそ見してしゃべりながらこっちも見ないで渡すのもいる。
机の上に置いてはあるけど、本人不在で勝手に持って行ってくれ的なのもある。
一列目が終了した。
折り返して二列目は後ろから集めて回る。
そうやって教室を何度か往復し、ようやく彼の番が来た。
「古文のプリント集めまーす」
そう言った私に、無言でそれを差し出した。
彼のぶっきらぼうでやや乱暴ともいえる態度にちょっとムッとしたけど、黙って受け取る。
まぁ、こんなもんだよね、現実は。
一瞬でも彼の手書きの文字が見れてよかった。少
し斜めに傾いたシャープで大きめの文字。
私に出来るのは、ここまでだ。
古文の教科係が不人気なのは、担当する先生のクセが強すぎるのと、宿題プリントの回収と集計を任されること。
生徒からの提出忘れの言い逃れや質問を言付かっても、だいたい職員室に不在で、いつも姿が見えないのが謎だ。
単純な連絡事項すら直接にはなかなか伝えられず、すぐに返事がもらえないのも、ある意味面倒くさい。
まとまったプリントの数を数えて、先生から事前に渡されている名簿に提出日を記入しチェックをつける。
ほぼほぼ毎時間ごとに出される宿題の提出日の遅れだとか、そういう細かいところで成績に反映させるとかさせないとか言って、曖昧な態度で脅してくるのもイヤらしいと思う。
9割がた出そろったプリントを出席番号順に並べ終え、準備が整った。職員室へ向かう。
彼との今日は、これでお終いか。
今朝は頑張って「おはよう」の挨拶は出来たし、そういえば昼休みに向こうから話しかけられたりもした。
上等じゃないか。
これ以上欲張ってどうする。
また明日から頑張ろう。
どうやって距離を縮めたらいいのか分からないけど、伸ばせる限り手は伸ばしていきたい。
職員室に入り、一昔前に流行った古びたキャラクターグッズが並ぶ先生の机に、プリントの束を置いた。
各クラスから集まってくるプリントの束で、ここだけ紙の山が出来ているから分かりやすい。
「失礼しましたー」
職員室の扉を開けたら、思いがけずそこに坂下くんが立っていた。
「あ、持田さん。クラスの奴がさ、渡しそびれたって持って来たのがあるんだけど」
彼の手に、二人分のプリントが握られていた。
「あ。じゃあ、先生の机こっちだから」
彼と二人、職員室の中でもひときわ目立つ、紙の塔まで戻る。
さっき置いたばかりの束に、新たに追加された2枚をチェックして順番通りに差し込んだ。
「古文の教科担当って、やること多いんだね」
「ジャンケンで負けたから」
「でもいつも、ちゃんとやってるよね」
褒めてくれた。
作業中、職員室だし彼の前だし、手の震えているのがバレないように、ずっと力を込めて気をつけてた。
だだっ広い職員室で、二人きりのわけがないのに、周囲は先生ばかりなのに、二人きりでいるみたい。
「もう帰るの?」
「うん。坂下くんは?」
「俺も帰る。途中まで一緒に帰ろう」
は? え? いま何て言った?
声が小さすぎて聞き取れなかったから、もう一回言ってなんて、絶対言えるわけない。
彼は無言でプリントの束に背を向けた。
私も慌ててぐるっと方向転換を決める。
何となく私が先を歩いて、その後ろを彼がついてきた。
なにこの状況。
狭くてごちゃごちゃした職員室の通路だ。
飛び跳ねるワケにも「なんでなんで」と問いただすワケにもいかない。
「失礼しましたー」と扉を閉める時、彼と並んで軽く一礼した。
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