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第1話 死体発見
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「と、とにかく警察に、いや、救急車か。110――じゃなくて、119番だ!」
顔中を黒いまだら模様で覆い尽くされている初老のアラビアヒョウが狼狽して叫んだ。この家の当主の高木一夫だ。
着なれている白い麻のジャケットは、ミシュランの星付きのレストランにも入れそうな高級感が漂っている。
「で、でも、どうみても、これは――」
一夫の横で絶句して立ち尽くしているのは、彼の息子の道長だ。サハラチーター。ネコ科の中では足が長くスタイルが抜群と人気なだけあって絵になる立ち姿だ。
ヨーロッパの貴族男性を彷彿とさせる休日スタイルで、一夫よりもフォーマル感がある。
スコティッシュフォールドの畑野優里は、一夫と道長から、改めて視線を目の前の床の上に移す。
道長が言いかけたように、どうみても床に転がっているのは死体だ。
六十代にしては乙女チックが過ぎる部屋に、ピンク色のモヘアセーターを着た小太りのミミズクが、尖った口を開けて目を見開いたまま床に横たわっている。
その瞳は、死んでもこんな姿は人目にさらすものかと必死に訴えかけているようにも見える。まあ死んでしまっては望みは叶わないけれど。
彼女のぽってりと出っ張ったお腹の真ん中あたりにナイフが刺さっている。そしてピクリとも動かないものだから、部屋にいる者は皆、彼女を見て「死んでいる」と思ったのだ。
死体――まだ医師による死亡が確認されていないので、単に女性とでもいうべきか――は、部屋の中央の床に、ベッドの方を向いて右半身を下に横たわっていた。左手には固定電話の子機が握られている。
女性の背中から三十センチほど離れた床に、姉の正子のことだと思われる、「まさこ にくい」と赤い字で書かれている。これは血文字のダイイングメッセージというやつではないのか?
ベージュとグレーの菱形が交互に連なるデザインのカーペットの上に、怨念が浮き出たかのように、毛足に逆らいながら赤色の文字が主張している。
優里は、見合い相手の道長に連れられて、つい四十分前に彼の実家にやって来たばかりだ。そして今、こうして死体となった彼の叔母と対面させられている。
こんな事件に巻き込まれたことにも腹が立つが、その前に、お互いにとって緩衝地帯であるはずのホテルで会食をしていたのに、いきなり相手側のホームに連れてこられたことに憤慨していた。
仲人が、「じゃあ、後は若い方だけで……。おほほほ」ときたら、そのまま食後のコーヒーを飲みながら少し話をするか、せいぜいホテルの庭を歩く程度だろうに。
いや、思い返せば、仲人から紹介されて挨拶をしたときに、「これ、どうぞ」と、道長から渡されたプレゼントを見たときから少しイラついていた。
彼はドヤ顔で、十八センチのバースデーケーキが入っていそうな正方形の箱を優里に差し出した。
「わあ、何かしら」と、期待に胸を弾ませるような声を出して蓋を開けると、色とりどりの花が敷き詰められていた。ブリザーブドフラワーだった。
綺麗に咲いた花だけを摘み取り、水分を抜いて特殊な溶液に浸して作った花。そこに命はない。生花ではない。
優里は紛い物が嫌いだ。花なら、まさに今咲き誇っている瑞々しい状態のものが欲しい。人工的に加工されているものになど用がない。
いっそ道長の目の前でグシャッと握りつぶしてやろうかと思ったが、仲人の手前我慢した。次の相手に差し支える。
道長は、洒落た物を用意した気で悦に入っていた。そして、がっちり優里の心を掴んだと満足しているようだった。それはそうだ。彼女が満面の笑みで喜んでやったのだから。
凄惨な現場となったこの高木邸は、道長の高祖父が昭和初期に建てた日本では珍しいスパニッシュ様式の館だ。
高木家は旧華族の家柄で、当時の子爵だったか男爵だったかの当主が、なんとかと言った有名な建築家に設計させたらしい。
つい今しがた一階のメインダイニングで聞かされた情報だが、あまりに膨大過ぎて既に何割かは優里の脳裏からこぼれ落ちている。
だが確かに、この屋敷に到着し門扉が開くのを見た瞬間は、ホテルで減点した分を帳消しにしてやってもいいかも、と少しだけ思った。
屋敷の外観はヨーロッパのホテルのようだった。壁は黄色みの強いベージュで、森の風景をそのまま写したような、植物や鳥、花などのタイルで装飾されていた。
アーチ型の窓枠が等間隔に並んでいる様は、リズムを刻んでいるように軽やかだ。
美術館の入り口のような彫刻のある石門をくぐり抜けて玄関に入ると、ステンドグラスの天井を擁したロビーが迎えてくれる。
ここを訪れる者は、誰しもその美しさに魅了されるに違いない。優里のうっとりする表情に、道長がニヤけていることも分かっていたが、彼女は素直に建築美に感動していた。
ーーそんな感動もぶち壊されて、思わず「うへえ」とつぶやいてしまうほどの、この現場。
優里は、男たちがあたふたと通報しているのを横目に、死体とその周辺を観察した。
知らない獣人が死んでいるのはもちろん気味が悪いが、部屋の一角に並べられたレッサーパンダの人形の群れが、輪をかけて不気味だ。
人形のドレスはどれも年季の入ったくすみ具合で、アンティークというよりは、何十年と触り続けた手垢のように見える。
人形の何十という瞳に凝視されながら横たわる女性。こういう場面に出くわすことなど、そうそうあるものではない。
この女性はどうして死んだのだろう。なかなか興味深い現場ではないか。優里は人知れず興奮していた。
顔中を黒いまだら模様で覆い尽くされている初老のアラビアヒョウが狼狽して叫んだ。この家の当主の高木一夫だ。
着なれている白い麻のジャケットは、ミシュランの星付きのレストランにも入れそうな高級感が漂っている。
「で、でも、どうみても、これは――」
一夫の横で絶句して立ち尽くしているのは、彼の息子の道長だ。サハラチーター。ネコ科の中では足が長くスタイルが抜群と人気なだけあって絵になる立ち姿だ。
ヨーロッパの貴族男性を彷彿とさせる休日スタイルで、一夫よりもフォーマル感がある。
スコティッシュフォールドの畑野優里は、一夫と道長から、改めて視線を目の前の床の上に移す。
道長が言いかけたように、どうみても床に転がっているのは死体だ。
六十代にしては乙女チックが過ぎる部屋に、ピンク色のモヘアセーターを着た小太りのミミズクが、尖った口を開けて目を見開いたまま床に横たわっている。
その瞳は、死んでもこんな姿は人目にさらすものかと必死に訴えかけているようにも見える。まあ死んでしまっては望みは叶わないけれど。
彼女のぽってりと出っ張ったお腹の真ん中あたりにナイフが刺さっている。そしてピクリとも動かないものだから、部屋にいる者は皆、彼女を見て「死んでいる」と思ったのだ。
死体――まだ医師による死亡が確認されていないので、単に女性とでもいうべきか――は、部屋の中央の床に、ベッドの方を向いて右半身を下に横たわっていた。左手には固定電話の子機が握られている。
女性の背中から三十センチほど離れた床に、姉の正子のことだと思われる、「まさこ にくい」と赤い字で書かれている。これは血文字のダイイングメッセージというやつではないのか?
ベージュとグレーの菱形が交互に連なるデザインのカーペットの上に、怨念が浮き出たかのように、毛足に逆らいながら赤色の文字が主張している。
優里は、見合い相手の道長に連れられて、つい四十分前に彼の実家にやって来たばかりだ。そして今、こうして死体となった彼の叔母と対面させられている。
こんな事件に巻き込まれたことにも腹が立つが、その前に、お互いにとって緩衝地帯であるはずのホテルで会食をしていたのに、いきなり相手側のホームに連れてこられたことに憤慨していた。
仲人が、「じゃあ、後は若い方だけで……。おほほほ」ときたら、そのまま食後のコーヒーを飲みながら少し話をするか、せいぜいホテルの庭を歩く程度だろうに。
いや、思い返せば、仲人から紹介されて挨拶をしたときに、「これ、どうぞ」と、道長から渡されたプレゼントを見たときから少しイラついていた。
彼はドヤ顔で、十八センチのバースデーケーキが入っていそうな正方形の箱を優里に差し出した。
「わあ、何かしら」と、期待に胸を弾ませるような声を出して蓋を開けると、色とりどりの花が敷き詰められていた。ブリザーブドフラワーだった。
綺麗に咲いた花だけを摘み取り、水分を抜いて特殊な溶液に浸して作った花。そこに命はない。生花ではない。
優里は紛い物が嫌いだ。花なら、まさに今咲き誇っている瑞々しい状態のものが欲しい。人工的に加工されているものになど用がない。
いっそ道長の目の前でグシャッと握りつぶしてやろうかと思ったが、仲人の手前我慢した。次の相手に差し支える。
道長は、洒落た物を用意した気で悦に入っていた。そして、がっちり優里の心を掴んだと満足しているようだった。それはそうだ。彼女が満面の笑みで喜んでやったのだから。
凄惨な現場となったこの高木邸は、道長の高祖父が昭和初期に建てた日本では珍しいスパニッシュ様式の館だ。
高木家は旧華族の家柄で、当時の子爵だったか男爵だったかの当主が、なんとかと言った有名な建築家に設計させたらしい。
つい今しがた一階のメインダイニングで聞かされた情報だが、あまりに膨大過ぎて既に何割かは優里の脳裏からこぼれ落ちている。
だが確かに、この屋敷に到着し門扉が開くのを見た瞬間は、ホテルで減点した分を帳消しにしてやってもいいかも、と少しだけ思った。
屋敷の外観はヨーロッパのホテルのようだった。壁は黄色みの強いベージュで、森の風景をそのまま写したような、植物や鳥、花などのタイルで装飾されていた。
アーチ型の窓枠が等間隔に並んでいる様は、リズムを刻んでいるように軽やかだ。
美術館の入り口のような彫刻のある石門をくぐり抜けて玄関に入ると、ステンドグラスの天井を擁したロビーが迎えてくれる。
ここを訪れる者は、誰しもその美しさに魅了されるに違いない。優里のうっとりする表情に、道長がニヤけていることも分かっていたが、彼女は素直に建築美に感動していた。
ーーそんな感動もぶち壊されて、思わず「うへえ」とつぶやいてしまうほどの、この現場。
優里は、男たちがあたふたと通報しているのを横目に、死体とその周辺を観察した。
知らない獣人が死んでいるのはもちろん気味が悪いが、部屋の一角に並べられたレッサーパンダの人形の群れが、輪をかけて不気味だ。
人形のドレスはどれも年季の入ったくすみ具合で、アンティークというよりは、何十年と触り続けた手垢のように見える。
人形の何十という瞳に凝視されながら横たわる女性。こういう場面に出くわすことなど、そうそうあるものではない。
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