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「アレン様、お父上様がお呼びです。」

 いつもと変わらぬ午後、俺の部屋の扉を使用人が叩く。

どうせ、またお説教に違いない。アトリア家の一員としての自覚がないだの、もっとしっかりした大人になれだの、耳にたこができるくらい何度も、何度も聞かされてきたのだ。だが、無視するとまた余計にめんどくさいことになる。憂鬱な気持ちのまま、父の元へと向かった俺に、父が切り出したのは、全く想定だにしていなかった言葉であった。

「アレン、お前に縁談の話が来ている。相手は、カストル家のフィーナ嬢だ」

「お…… いえ、私に縁談? ご冗談を……」

「何故私がお前に冗談を言わねばならんのだ。カストル辺境伯からの申し出でな。お前もカストル辺境伯の名前くらいは知っているだろう?」

「知っていますが…… 父上、お断りすることは出来ないのでしょうか?」

 正直、縁談なんて冗談じゃない。もっと俺は自由を謳歌したいのだ。もし仮に、辺境泊の娘と結婚すると言うことになれば、今までのように家を抜け出して、一人旅に行くという楽しみを奪われてしまうのだ。それは俺に取っては死活問題だ。

「何を馬鹿なことを! 辺境伯の令嬢だぞ! これ以上の相手はいないではないか! そろそろお前も、アトリアの一員としての自覚をだな!」

 またはじまった。こうなってしまうと、父親の話は止まらないのだ。まあ、勝手に話しているだけで、満足してくれるから、聞いている振りをしてごまかすことにしよう。それはしてだ。

 正直な話、俺はこんな家に生まれたくはなかった。贅沢と言われれば贅沢かも知れないが、やれ伝統だのなんだのここにいると息が詰まる。跡取りなんて、弟にでも任せておけばいい。

「とにかくだ! 話は儂の方で承諾をしておいた! おぬしも一度会えば気も変わるだろう。なにせさぞ美しいお嬢さんと言うことで有名らしいからな! これでアトリア家も安泰じゃ!」

 また、勝手に…… 俺とて、自分勝手にあちこちをほっつき回って、皆に心配をかけているという自覚はあるが、父親だって、一度決めたことは頑として譲らないというか…… きっと、俺のこの性も父親から遺伝されたものなのだろう。こうなってしまっては逆らう方がめんどくさいことになる。

「わかりました。お会いすることに致しましょう」

「おお本当か! ようやくお前も腹をくくってくれたのだな!」

 笑顔を浮かべた父親のアーロン。父親は口うるさいし、やたらと厳しいが、なんだかんだ言って、俺に甘いのだ。一応、父親の顔を立てるためにも会いに行くことにはしよう。それでも、縁談は断るつもりだが。実際に会って、相手に告げれば何とかなるだろう。


………………………………………


 アレン・アトリアはアトリア地方を治めるアトリア家の長男であった。父であるアーロンは民からの信頼も厚い領主であったが、その息子、アレンはいつも屋敷を抜け出しては、各地へと旅に出る、いわば放浪者であったのだ。

 アレンにとって、父アーロンは尊敬できる人物でもあり、そして彼にとって重荷ともなっていた存在だった。優秀すぎる父の名声は、アレンにとって大きなプレッシャーだったのだ。だからこそ、アレンにとって、アトリア家をこっそりと離れ、自由気ままに各地を旅する、その時間が何よりもの生きがいであったのだ。

 いずれにしても、一度受けた縁談を会うこともなく断ると言うことは何よりも失礼に当たってしまう。直接フィーナ嬢にあって、縁談を断ろう。どうせ、相手にもろくでもない息子である噂くらいは伝わっていることだろう。そう思っていたアレンは、遂に縁談当日の日を迎えたのだった。


………………………………………


 縁談当日、アトリア家の屋敷でフィーナ嬢、そしてカストル辺境伯の到着を待っていたアレンと、父親のアーロン。ばっちりと衣装を整えたアーロンは朝から大変にご機嫌であった。こうなると、断るというのもなんだか申し訳ない気もしてくるが、背に腹は替えられない。なにせ、俺の自由がかかっているのだ。

 そして、しばらくの後、扉をノックする音と共に使用人の声が聞こえてきた。

「カストル辺境伯、フィーナ嬢のご到着です」

 ゆっくりと開かれていく扉。その先には、少し小太りの、ばっちりと気合いの入った衣装に身を包んだカストル辺境伯、そして、背後には奥ゆかしい美人の姿が見えた。品のありそうなお嬢様。それが俺に取ってのフィーナ嬢に対する第一印象だった。

「アトリア公! この度はお話を快諾してくださり、大変光栄である!」

 上機嫌で部屋へと入ってきたカストル公。何も言わずにその後を付いてくるフィーナ嬢は、少しうつむいたままだった。

「カストル公。こちらこそ、我が愚息にとって大変ご名誉なお話を頂き、感謝いたします! これから、アトリア家とカストル家、お互いの関係はよりよいものになっていくと確信しております!」

 上機嫌なまま話を続けていく父親達。黙ったまま、もじもじとしているフィーナ嬢は、何とも奥ゆかしいというか、俺に取ってはもったいないほどの美人であったのだ。そして、俺は彼女のためにも彼女に対し縁談の断りの言葉を告げよう、そう決意したのだ。なにせ、俺なんかと結婚してしまうにはあまりにもったいない。彼女の幸せのためにももっとふさわしい人がいるに違いないのだから。

「では、あとはお若い二人に任せるとして…… 我々は一度退出いたしましょうか!」

 笑顔を浮かべたまま、そう告げたカストル公。父親のアーロンも上機嫌なままカストル公と共に部屋を出ていく。そして、取り残された俺達の間には何とも言えない微妙な空気が流れる。沈黙が続く中、俺はようやく決心を決め、フィーナ嬢に向かって口を開こうとした。

「……あの!」
「……あの」

 俺が話を切り出そうとした瞬間、彼女も小さな声を振り絞るように発した。お互いの言葉が同時に重なり、ごまかすように俺は彼女に向かって言葉をかけた。

「「何か……?」」

 そして、再び言葉が重なる。なんだこのタイミングの良さというか悪さは…… そして、彼女も俺と同じことを思っただろう、焦るようにして再び口を開く。

「申し訳ございません! アレン様! そちらから!」

「いえいえい、フィーナ嬢、そちらからどうぞ!」

 譲り合いが始まる。なんだこれは。そして、再び沈黙に支配された空間。何とも気まずい…… いや、このままでは話が進まない。そして俺が再び決心して言葉を発した瞬間、またしても彼女も同時に言葉を発したのだ。

「「今回の縁談、無かったことにして頂けませんでしょうか!」」

……

「「えっ……?」」

 俺は思わず耳を疑った。そして、彼女も驚いたような様子で、俺をじっと見ていた。なにせ、俺も彼女もまたしても同時に、同じことを言ったのだ。それも取り繕った会話ではなく、俺がずっと彼女に伝えようと決めていたその言葉を。

「いえ、別に決してあなたが、嫌とかではなく…… 私なんかと一緒になるのは、フィーナ嬢に取ってあまりにもったいないというか……」

「……奇遇です。私も同じことを思っておりました」

 そう小さな声を漏らしたフィーナ嬢。驚いたような表情を浮かべたまま、少し照れたような様子でそう口にしたフィーナ嬢は、元の造形の美しさも相まって何とも言えないほどに美しい女神のように見えた。

「フィーナ嬢、あなたも噂くらいは聞いているでしょう。私が領主の仕事を放り出して、各地を放浪しているということを。私は領主の器にはありません。だから……」

「はい、縁談の話を父上から聞いたとき、私もアレン様について色々と調べて…… いろんな噂を耳にしました。ですが、私にとっては、あなたが何よりも羨ましく思えた。私にとってはカストル家の一員というのは重荷になっていて…… 何度家を抜け出そうとしたかわかりません。ですが、私にはその勇気が無かった」

「勇気なんて…… ただしたいようにしてるだけなのですが……」

「まさにそれが、私が羨ましいと感じた点なのです。そして、もし私と一緒になれば、あなたは旅をやめてしまうかも知れない。私の存在があなたの重荷になってしまうかもしれない。そう思ったら…… 私はこの縁談を断ろうと、心に決めてここに来たのです」

 先ほどの黙ってうつむいていた様子とは打って変わって、目を輝かせながらそう口にしたフィーナ嬢。言葉を交わすまでも無く、もう俺達の答えは決まっていた。


………………………………………


 しばらくして、上機嫌なまま部屋に戻ってきた父親であるアーロンとカストル公。部屋の扉を開けた瞬間、二人は驚きの表情を顔に浮かべた。先ほどまで部屋にいたはずの2人の姿が消えていたのだ。そして、机の上には一枚の置き手紙が。

「アーロン公、カストル公。 申し訳ありませんが、アトリア家とカストル家の間の、この縁談はなかったことにして頂きたい。それが二人の総意です」

 その手紙を読んだ、アーロンは口元を少し緩めながら、カストル公に向かって言葉をかけたのだ。

「……やはり、貴公の提案どおり、上手く行きそうですな。全く…… いつまでも親に心配ばかりかける、ろくでもない息子よ……」

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