吸い魔狂の館

第２章

第９話

　悪徳金貸し業者は、まだ小粒の餌食に入る方であった。そこから奪える金もたかが知れていた。同情に値する債務者にこっそりと返してあげることもあるので、手元に残る金もたかが知れていた。
　それで次に狙いをさだめたのは政治家であった。どう見てもあくどい方法で賄賂を受け取っている政治家がいる。週刊誌でたたかれ、国会でも追求されているにもかかわらず、権力の中枢にいることによって、その証拠を掴まれそうになっても簡単にもみ消すことができるのである。
　健吾は、そのような金権政治によって甘い汁をすっている政治家に絞って、彼らから金を横取りすることを考えた。
　鏡の前に立っていることによって、健吾の身体だけでなく、彼が着ているもの、所持しているものも、鏡から離れた時、立っていた時間の間だけ見えなくなる。健吾がこれから相手にする餌食は、高々半日見えなくなるくらいでは、太刀打ちできない。少なくとも数日間姿を見えなくしなくではならない。数日間飲まず食わず鏡の前に立っていることなどやすやすと出来ることではない。トイレにも行かなくてはならない。
　鏡を途中で移動させても、その前に立ち続けているならば、それと同じ時間だけ見えなくしていられるのか、実証しなければならない。とにかくまる一日の間、家の中にいて、何処へ行くにも鏡を携えて移動した。そしてその間自分が必ず鏡の前いるようにした。ただ、鏡を大窓の方に向けて、空と水平線と海が同時に映るのを避けた。
　実証実験は思ったほどは大変ではなかった。自分の家で他の誰もいない中でやっていることなので、何の束縛もない。食事のときにはキッチンに鏡を携えていき、鏡を冷蔵庫の脇に立て掛け、自分が映る位置にいることを確認しながら冷蔵庫を開けて、レトルト食品か冷凍食品を取り出す。その後レンジの脇に鏡を立て掛け、鏡に映る位置にいることを確認しながら、レンジに食品を入れてスタートボタンを押す。そして、テーブルに座った状態で自分が映る位置に鏡を立て掛け、食事をする。
　食事の時以外は、トイレのドアは開けた状態にしておき、トイレの中が映る位置に鏡を立て掛けておく。トイレの入り口と鏡の間に椅子を設置しておく。その椅子に座った状態でテレビが見られるようにテレビを移動しておく。
　このような段取りで、一日中自分が必ず鏡に映る位置に居続けることが思ったほど大変ではなかった。
　その翌日自分が本当にまる一日見えないかの実証実験に入った。街に出かけて、人の賑わう通りを歩いたり、人気のない通りを歩いたり、いろいろな店に出入りしたりしてみた。やはり決定的なのは、レストランに入ってチャイム音がなって、店員がやってきて入り口付近を懸命に探すときである。さらに決定的なのはハンバーガーショップのレジで誰も並んでいない時に立ったとき、店員に全く何の反応も見られない時である。店員にとって健吾が全く見えない存在であることが確信できた。